ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

山を越えることなく

2009年02月06日 | ガジ丸通信-その他・雑感

 火曜日の夢を見た。火曜日はゴミ出しの日だ。ゴミの袋詰めは前夜に準備してある。出勤時に出す。その後のことははっきり覚えていないが、いつものように仕事をして、いつものように帰って、いつものように夜を過ごし、いつものように寝た。
 朝、目が覚めて、台所へ行くと、出したはずのゴミが玄関に残されている。「あれ?昨日、確か出したはずなんだが・・・。」と不思議に思う。
 火曜日と水曜日とでは朝飯の種類が概ね違う。その時、台所に準備されていた朝飯の種類は火曜日のものであった。そこでもまた、「???」となったのだが、その後すぐに、「あっ、今日は水曜日じゃなく火曜日か、火曜日一日過ごしたのは夢だったのか。」と気付いた。何だか変な気分。一日得したような、損したような。

 それから数日後、今度は一夜でたくさんの夢を見た。どの夢も最後にハッとするようなことがあって、目が覚めた。ハッとするようなこととは、他人を傷付けたり、罪を犯したり、大怪我をしたり、不治の病を宣告されたりといったようなこと。覚えているのは4、5回だが、おそらく、似たような夢をその数倍は見たと思う。
  ハッとする夢は、ハッとしたことだけが大きく記憶に残っているだけだが、最後の夢だけははっきり覚えている。そして、最後の夢は、ハッとするようなことは無かった。
 私は演劇学校の生徒である。私を含めたクラスの男子3人が先生に呼び出される。先生は若い美人の先生。自分の才能に自信を無くし、演劇に対する情熱も失いかけた男子3人を、彼女はサイクリングに連れ出す。4人で自転車を漕ぐ。緩やかな坂道を上っていく。その間、先生はいろいろ話してくれる。演劇のこと、人生のこと。
 途中から女子が1人加わる。才能があって、成績優秀で、生意気だと思われている女子だが、私とは仲が良い。でも私は、好きな子は別にいる。大人しい子だ。だけど私は、本当に好きな人は先生である。実は、私の悩みは演劇では無く、そっちの方であった。

 映像も現実そのものであったが、私の心の動きがとてもリアルで、目が覚めるまで、私はそれが夢であるとはちっとも思っていなかった。なので、覚めた時、「なーんだ夢か」と大変がっかりした。悩める少年は、悩みながらも幸せだったようだ。
 夢は、上り坂がもうすぐ終わり、坂のてっぺんが見えたところで終わった。行先に光が見えているという暗示だと思って、私は幸せな気分で目が覚めた。
          

  ところが、よく考えると、夢の中でも私は山を越えていないのであった。ギターに挫折し、バンジョーに挫折し、ベースにもピアノにも挫折し、英会話に挫折し、スペイン語や中国語に挫折し、仕事に挫折し、結婚に挫折した。挫折だらけ人生なのだ。これまで、山を越えることなく生きてきたのだ。山の向こうに何があるかを知らない人間なのだ。
 それでも、だ。それでもなお、そんな人間でも生きている。楽しい夢を見て、幸せに浸っている。挫折を味わい、将来を悲観している青年達へオジサンは言いたい。自暴自棄になる必要は無い。貧乏でも孤独でも、食っていけるだけの最低限の稼ぎさえあれば生きていける。自分や他人を傷付ける必要は無い。平坦な人生も悪くは無いぜ。
          

 記:2009.2.6 島乃ガジ丸

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