ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

台風時の過ごし方

2011年08月12日 | ガジ丸通信-社会・生活

 台風9号は稀に見るのろのろ台風で、沖縄島は8月4日昼過ぎに暴風圏に入り、暴風圏から抜けたのは丸二日近く経った6日の昼過ぎであった。暴風圏の中、車を運転するのは嫌いなので、4日昼後から6日のお昼まで私は、倒れた物置を立て起こすために1分かそこら外に出ただけで、あとはずっとヤーグマイ(家籠り)であった。
  ヤーグマイしているあいだ何をしていたかと言うと、炊事、食事、雲子、歯磨き、入浴など以外はほぼパソコン作業。先ずは、撮り貯めてあるたくさんの写真と図鑑とを交互に睨めっこしながら、正体不明の植物や動物たちの正体追及作業に励んだ。正体不明はざっと数えて植物400種、動物200種ばかりある。最初の3時間で判明したのはその内たったの4種だけ。いつ果てるともない作業だ。疲れてしまった。
 「3時間でたったの4種」には訳がある。現在私の家にある図鑑は6冊、それらは全て私の所有物だが、他に私の所有物ではない参考文献は職場に8冊ほど、図書館には、数えたことは無いがたぶん10冊以上ある。「この写真の植物はこれだ!」と、私の所有物である図鑑の写真だけではなかなか特定できないのだ。で、いつもなら職場や図書館の図鑑を借りているのだが、暴風圏だった二日間は職場も図書館も休みだった。

 私の父は31の歳でマイホームを建てている。鉄筋コンクリート造り二階建ての立派な家だ。・・・と改めて考えると、31歳で鉄筋コンクリート二階建てを新築するなんて、今年一畳ばかりの畑小屋を手作りするのがやっとの私など比べようも無い。「父さん、あんたは偉い!」と思う。いや違う、その手柄の半分は主婦をしながら働き続けた母のお陰なので、「父さん、母さんあんたたちは偉い!」と言い直そう。
 私の両親は初のマイホームを建ててから15年後、父が46歳の時に二度目のマイホームを建てている。それが現在の実家。二度目のマイホームは最初と同じ場所で、建て坪は倍以上の鉄筋コンクリート三階建てとなった。最初の家を潰しての新築であった。建ててから15年しか経っていない前の家を潰したのには訳がある。
 父31歳のマイホームは安普請であった。沖縄の建築業者の技術が未熟だったということもあろう、当時の沖縄の建築資材、鉄筋、セメント、砂などの品質が粗悪であったということもあろう、建ててからすぐに雨漏りがした。あちこちいろいろと補修したが、台風の際の、横殴りの激しい雨の場合は雨漏りは続いた。

  雨漏りのする家で台風時は大騒ぎとなった。雨戸を閉め、雨戸が飛ばないよう釘で打ち付け、畳をあげ、雨漏りのしない場所へ積み、バケツやら鍋やらを雨漏りのする個所に置いた。祖父母、両親、従姉(一緒に住んでいた)、兄弟家族一同、雨漏りのしない場所に集まった。その頃は台風になるとほぼ決まって停電した。ローソクの灯りの中、家族との会話、時には誰かが語る幽霊話を聞きながら台風の時間を過ごしていた。
 台風時、中学生になってからは映画を観に行ったりもした。映画館は稼ぎ時でたいてい開いていた。ビデオが普及するようになるとビデオを観たりもした。しかし、オジサンとなった今は、暴風の中外出する気はさらさら無く、ビデオもなかなか観る気にならない。地デジ化になってテレビも観られなくなった今は、ヤーグマイして植物動物のお勉強ばかり。「若さが無いね」と言う人もいるが、若くないのでしょうがない。
          
          

 記:2011.8.12 島乃ガジ丸 →今週の画像

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