ガジ丸が想う沖縄

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寛容による平和

2016年03月04日 | ガジ丸通信-社会・生活

 先週のガジ丸通信『頂いた命への感謝』の続き。H女の容姿と品格の美しさに疑いを持つものではないが、彼女の信じるものを信じるには私の感性は遥かに遠い。私は神の存在も、天国地獄の存在も信じないし、価値観の押しつけをするような宗教、お互いの感性を認め合わない宗教は大嫌いだし、逆に、お互いの感性を認め合うことが平和の元ではないか、仏教で言う慈悲、キリスト教で言う寛容が大事ではないかというのが私の感性。
 念のため断わっておくが、H女の通う教会が「価値観の押しつけをする」とか「お互いの感性を認め合わない」などと言っているのではない。H女も教会の代表者も教会の教えや考え方を述べたが、私に入信を勧めることはなかった。慎ましく上品であった。
          

 その日の講演会の内容はしかし、あまり上質とは感じなかった。私にとっては初の宗教関連講演、良い言葉や興味深い話があればと、私は紙とボールペンを出し、講師の言葉を書き留めていった。講話が終わるまでに(途中の15分ほどは瞑想に入っていたが)文字はA5サイズの紙一杯(字が大きいので全部で150字位だが)に連ねられた。そして、その内の後半分は、講話を聴いての私の批判(ツッコミみたいな)となっていた。
 例えば、存在の否定と神の怒りについて、講師はこれを人間の親と子に喩えて語った。その話の前から既に私は批判的になっている。なので、これにもツッコミしている。
 「あなたが親として、我が子に自分の存在を無視されたら怒りますね。それと同じように神もその存在を我が子であるあなたたちに無視されたら怒ります」と言う。神を人間と同じ感情を持つ存在と捉えていることにツッコミ、神は無視されたら怒る程度の度量の持ち主かとツッコミ。怒られるから崇めないといけない存在なのかとツッコム。

 聖書の語ることが、「私を無視した奴は地獄、私を尊敬する者は天国」というのであれば、「俺様のことを無視する奴は死刑だ!俺様を尊敬する者には褒美を与える」みたいな政治をやっているらしい日本の近所の小太りオジサンとちっとも変わらない。
 神の怒りによる人間に対する罰は、聖書をほとんど読んだことのない私でも少しは知っている。アダムとエバがエデンを追われたとか、神の怒りで言語が様々に別れたとか、バベルの塔やノアの箱舟の話などだが、自分の子供(神の創造物)をそんなに虐めなくても良かろうと思う。北風と太陽の喩もあるじゃないか、罰するのでは無く、寛容と愛で包み込み、その優しさに感動させて神を好きになるようにした方が良かろうと思う。もしも私が神を感じる時が来たとしたら、私の神はそのような神であって欲しいと願う。
          

 人間に罰を与えるのは同じ人間に任せておけばいいのだ。いや、だからといって、現実のこの世で、金輪際神の存在を信じない私が警察に捕まり、「神の存在を信じない罪」と裁判所から判決され、牢獄に入れられることはご勘弁願いたい。
 信じる信じないは心の問題。心は自由にさせて欲しい。大地震があっても日本人は略奪などしない。キリスト教を信じる人が多い国よりも信じない人の多い日本の方が倫理観に優れている。心の自由が人に知恵を与え、寛容を生み、平和を呼ぶのだと思う。
 などといったことを考えている内に、「永遠の命に対する欲望」が宗教を生んだのではないか?とまで思考が進んだ。これについては次の『欲の成せる宗教』に続く。

 記:2016.3.4 島乃ガジ丸

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