ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

お勧め民謡 ヒヤミカチ節

2011年08月19日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 何年か前に、どこぞのテレビ局、またはラジオ局が主催したのだと思うが、「私の好きな民謡」とかいう企画があって、その第一位になったのが『ヒヤミカチ節』。
 私の好きな民謡はいくつもあるが、『ヒヤミカチ節』は私の中でも文句無しに上位に来る。なので、ウチナーンチュの好きな民謡第一位が『ヒヤミカチ節』であることには大納得した。ちなみに、その時2位が何だったか、3位が何だったかは記憶に無い。

 子供の頃、朝、学校へ行かなくてはならないのになかなか起きないでいると、祖母がやってきて、「ヒヤッ、ヒヤッ、ヒヤッヒヤッヒヤッ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー」と歌いながら私の掛け布団を剥ぎ、敷布団を持ち上げ私を転がし、それでも起きないでいると、後ろから私の両脇に手を入れ、力ずくで私を起き上がらせた。そういうことが何度もあり、で、自然に私はその歌を、その個所だけは覚えた。
 祖母が「ヒヤッ、ヒヤッ、ヒヤッヒヤッヒヤッ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー」と歌っている歌が、『ヒヤミカチ節』という題であることもすぐに知った。あるいは、祖母が歌う前から知っていたかもしれない。それほど当時有名な歌、確か、あるラジオ番組のテーマ曲でもあり、ほとんど毎日耳にしていたような覚えがある。

 ヒヤは「えい!」という風に勢いを付ける時に出す気合のようなもの。ヒヤミカチュンという動詞もある。「ヒヤ(えい、それ)と言う」(沖縄語辞典)のこと。私は言語学者でも、沖縄語学者でも、何の学者でも無いのだが、素人考えで解説すると、ヒヤミカチはヒヤミカチュンから転じた副詞、「えい!と気合を入れて」という意味になる。
 『正調琉球民謡工工四(くんくんしい、三線の楽譜)』第二巻から、その歌詞。

 名に立チュル ウチナー(沖縄) 宝島デムヌ(宝島だもの)
 ククル(心)打ち合わち ウ立チミソリ(御立ちになってください)

 (ヒヤ、ヒヤ、ヒヤヒヤヒヤ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー)

 以上が1番、歌詞は6番まである。2~5は省略して6番、

 ナナクルビ(七転び)クルビ(転び) ヒヤミカチ ウキリ(起きなさい)
 我シタ(我らの)クヌ(この)ウチナー シケ(世間)にシラサ(知らせよう)

 (ヒヤ、ヒヤ、ヒヤヒヤヒヤ、ヒヤミカチウキリー、ヒヤミカチウキリー)

 私が愛聴しているラジオ番組『民謡でちゅううがなびら』の、確か6月23日慰霊の日にこの曲が流れた。曲が流れる前に「沖縄戦で焦土と化した故郷の、人々の心を元気付けるために作られた唄」と紹介された。「そうだったのか!」と私は初めて知り、そして、感動した。寝坊した子供を起こすための唄ではなかったのだ。で、調べる。
 『琉球列島島うた紀行』に「(作詞者の)平良新助氏(1876~1970)は、1953年、ロスアンゼルスから帰郷。ふる里の惨状を目のあたりにし、人々に希望と誇りをもたそうとこの歌をつくったという。」とあった。
  殴られ、叩かれ、蹴飛ばされ、踏みつけられ、叩き潰されてもなお、起ち上がろう、ということだ。1953年といえば、戦争が終わってまだ8年しか経っていない。米軍の占領下でもあり、ウチナーンチュの多くは貧乏で、差別され、虐げられる日々を暮らし、明日への希望も薄かったのかもしれない。そんな時に『ヒヤミカチ節』。
 今聴いても元気が出る唄だ。当時の人達はどんなにか慰められたであろうかと想像すると、胸が熱くなる。ウチナーグチを知らないと意味が解らないというのが残念だが、『ヒヤミカチ節』、東日本大震災の被災地にも届けたい。
     

 記:2011.7.4 ガジ丸 →沖縄の生活目次

参考文献
『正調琉球民謡工工四』喜名昌永監修、滝原康盛著編集発行
『琉球列島島うた紀行』仲宗根幸市著、琉球新報カルチャーセンター編集発行

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