ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ナンクルナイサ

2011年01月07日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 ナンクルはウチナーグチ(沖縄口)で、「自然に」とか「勝手に」といった意味。静岡のマリコさんの畑はナンクルミー畑という名前だが、ミーはウチナーグチで「芽生える」ということ。おそらく、植物(概ね雑草の類いだと思われる)が勝手に生えてくることからそのような名前を付けたのであろう。マリコさんは静岡人である。静岡人が何故ウチナーグチを使うのかというと、彼女のご亭主が沖縄人とのことである。

 「なるようになる」というと、『ケ・セラ・セラ』という古い歌を思い出す。ケ・セラ・セラは確かスペイン語で、そのような意味であった。歌詞の内容はうろ覚えだが、「私が小さい(少女)頃、お母さんに○○○と尋ねたら、お母さんはこう答えた。ケ・セラ・セラ、なるようになるさ。」であった。日本人歌手の誰かが日本語で歌っていた。
 私が記憶しているのは、日本人歌手の誰かが日本語で歌っていたものだが、原曲はアメリカの映画音楽で、ケ・セラ・セラ(que sera sera)以外は英語の歌とのこと。
 もう一曲、『ケ・サラ』という題の歌がある。これについては、メロディーはしっかり覚えているが、歌詞やどこの誰の歌かについてはほとんど記憶していなかった。10年ほども前の話だが、スペイン語を勉強している時にアルベルト城間が歌っているのを聴き、ケ・サラもまた、「なるようになる」といった意味であることを知った。

 「なるようになる」を、ウチナーグチ(沖縄口)ではナンクルナイサと言う。ナンクルはたぶん、ナン(成る)クル(如く)ということで、前述の「自然に」とか「勝手に」といった意味はそこから派生しているものと思われる。ナイサは「なるさ」という意味。ナンクルナイサはよく耳にしてきた言葉で、いかにもウチナーンチュらしいと思った。ラテン系の人々と同じような気質をウチナーンチュも持っているのである。
 小さな島は薩摩に叩かれ、アメリカに半殺しにされながら何とか生き延びてきた。庶民はまた、島が平和な時期であっても台風に叩かれ、干ばつに殴られ、明日をも知れない生活を余儀なくされてきた。ナンクルナイサはそんな生活から生まれた諦めの気分を表しているのかもしれない。宮崎県知事の言う「どげんかせんといかん」という積極的な気分を表す慣用句は、沖縄には無いと思う。・・・たぶん。

  ただ、ウチナーンチュ(ラテン系の人々も含めて)を擁護すれば、ナンクルナイサは、単に他人任せという意味では無い。芋を植えたらいつか芋ができる、といったような、努力すればその成果も自然と付いてくるという意味も含まれていると思う。ナンクルナイサはだから、「やるべきことはやったんだから、後は天に任せよう。」といった自然や神に対する謙虚さの現れでもある、・・・ということにしておきたい。
 もちろん、努力は必ずしも報われるわけでは無く、芋が大干ばつ、大洪水などで収穫できないという可能性もある。が、でも、その時はその時さ、なのである。明日は明日の風が吹くのである。そういった気分もまた、ナンクルナイサである。
     

 記:ガジ丸 2010.3.7 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行

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