ガジ丸が想う沖縄

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武士である日本兵『ビルマの竪琴』

2008年06月13日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 先週土曜日(6月7日)、土曜日だというのに朝早い時間、8時半には家を出る。雨の中を実家へ行き、ツイタチジュウグニチの神事を行い、那覇新都心の無印良品へ寄り、お気に入りのパンツを買って、家に戻り、車を置いて、またすぐに出る。
 バスに乗って牧志へ。牧志バス停から傘を差して桜坂劇場へ向かう。着いたのは12時41分、映画の始まる時間に1分だけ遅れた。私にしては上出来。
 12時40分なんて早い時間に始まる映画を観るなんてことは、もう十何年も経験が無いかもしれない。その映画の最終上映時間がその時間だったのでしょうがなかったのである。雨の中を傘を差してまで行ったのにもわけがある。映画が、先だって亡くなった市川昆監督の代表作であったからだ。そして、その映画を昔観た記憶がおぼろげにあって、それが確かかどうか確かめたかったからである。

 その映画は『ビルマの竪琴』、1956年の作品。白黒であるということには何の違和感もなかったが、古いフィルムに雑音の多いのが気になった。ザッ、ザッ、ザッ、トン、トン、トンといった音が続く。だが、それが気になったのも最初の十分かそこらのことであった。それ位の時間が経つと、私は映画の世界にどっぷりと引き込まれていた。

 グローバルとか何とか言って、自由競争社会という価値観をどこぞの大統領が押し付ける。銃を持った人も持たない人も同じ土俵で戦えと言っているみたいである。その大統領に感化されたのかしれないが、日本の元総理も自由競争を押し進めた。刀を持った人も持たない人も同じ土俵で戦えと言っているみたいである。
 そんな社会になりつつある中では、正義を為すことに誇りを持ち、弱きを助け強きをくじくなどという精神を持った人もまた、「損するだけじゃない。バッカじゃないの。」と評価される存在になりつつあるのかもしれない。水島上等兵は、そんな現代の風潮からすればまさしく、「損するだけじゃない。バッカじゃないの。」と言われる存在だ。

  私は、武士道というものを勉強したわけでは無いので、それを深く理解しているとは言えないのだが、まあ、時代劇などから推察した限りで言えば、「正義を為すことに誇りを持ち、弱きを助け強きをくじく精神を持つ」ことが武士道なのではないかと思う。
 水島上等兵は従って、武士道の達人なのである。彼のことを理解した井上隊長もまた、同じである。ちなみに井上隊長を演じた三國連太郎は、ああいう爺さんになりたいと思うほど、今もカッコイイが、50年前もすごくカッコ良かった。

 この映画の日本兵の多くが、また、『硫黄島の戦い』の日本兵の多くが、正しい精神を持つ武士として描かれている。もちろん、そうでない日本兵も多くいるだろうが、ただ、日本人の心には武士でなくとも、「弱きを助け」る精神が、少なくとも当時は、多くの人が持っていたに違いない。沖縄戦で、集団自決を軍が強要したかどうかという裁判があったが、直接的、あるいは遠回しの強要があったであろうと私は推測する。ただ、日本兵の中には、倒れた老婆に手を差し伸べた人や、泣き叫ぶ子供を抱きかかえて宥めた日本兵も多くいたであろうと確信するのである。日本の美はそこにあると思う。
          

 記:2007.6.13 島乃ガジ丸

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