ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

愛媛高知の旅2006春-松山宇和島編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 1、見えざる妨害者

 飛行機は11時50分発。余裕がある。家からバス停まで10分、バス停から首里駅まで10分、首里駅から空港まで30分、計1時間とみて、10時に家を出れば出発の50分前には着く。何の不安も無く出発を待つことができる。旅はこうでなくちゃ。
 旅に出る前、ゴキブリ退治シロアリ退治のため、いつも殺虫剤を部屋にまいていく。ほとんど1缶全部使うほどたっぷりまく。まき終わって、ドアの鍵を閉め、予定通り10時に出る。朝、ゴミを出す時にバッグを車の中に入れ、車の鍵は開けたままだ。

 小雨が降っていたが、傘も車の中。小走りで車に向かう。ところが、車は鍵がかかっている。どうやら、電子ロックのボタンをうっかり押してしまったようだ。キーを取りに部屋へ戻る。殺虫剤がモウモウとした中を入り、キーを取って、降りて、ロックを外し、部屋へ戻ってキーをドア近くの棚へ置いて、部屋の鍵を閉め、車へ走る。ところがまた、鍵がかかっている。走っている拍子にボタンを押したようだ。また部屋に戻る。今度はモウモウとした殺虫剤の中へ入らずに済んだが、ちょっと汗をかいていた。
 今度は慎重に、ちゃんとロックが外れていることを確認し、電子ロックのボタンに触れないようキーを持って、部屋に戻り、キーを置いて、ドアに鍵をかけ、降りる。ところがなのである。慎重にやったのにも関わらず、またもや車は鍵がかかっていた。何か見えざる妨害者が意地悪をしているみたいである。雨には濡れるし、汗はかくし、なのだが、ここで癇癪をおこしてはいけない。落ち着く。部屋へ戻って、キーを取り、降りて、ロックを外し、今度はドアを開けたままにする。そうしてやっと、バッグを取ることができた。車にロックをし、傘を差してバス停へ向かう。10分少々のロスとなった。

 急ぎ足でバス停まで歩いたが、私が着いた時、バスは出たばっかりのようであった。次のバスまで15分ほど待った。そんなこんなで、那覇空港に着いたのは出発の30分前。それでも余裕なのだが、汗と雨でシャツを濡らしていた私はあまり良い気分では無い。何か前途に不幸が待っている旅になるのではないかと、少し不安になる。

 2、危うく帰りが

 自動手続きの機械で搭乗手続きを済ませ、マイレージの登録も素早く済ませる。いかにも旅慣れた人間のようである。「どうだい」というような顔をしていたかもしれない。そんな顔で、搭乗口前の待合にドカッと座り、汗をかいたこともすっかり忘れる。
 出発の10分前、「機内へのご案内」が始まった。「お年寄り、お子様連れのお客様を先に・・・」というアナウンスが終わった後、「松山へご出発の・・・」と私の名前が呼ばれた。「なんじゃい、何かミスをしたか?俺が?」と思いつつカウンターへ行く。
 「落し物です」と手渡されたものはホテルの予約プリントと、帰りの航空券であった。自動手続きの機械の前に落ちていたということであった。ホテルの予約プリントはホテル名とそこの地図、電話番号が書かれているもので、失くしても、まあ、何とかなるものであるが、航空券を失くしたら、帰れなかったかもしれないのである。冷や汗。

 3、濡れた口紅

 松山に着いて、駅で宇和島行きの特急の時刻などを調べ、ホテルにチェックインする。社員教育のよくできたホテルで、フロントの若い女性は「心よりお待ちしていました」といった雰囲気で応対してくれる。雨の沖縄と違って松山は爽やかな青空だった。その空のように私の心も彼女のお陰で晴れ晴れとした気分になった。
  彼女に名前を告げ、ホテル予約のペーパーを見せる。近くでじっくり見ると、とても可愛い女性。そして、何かキラキラしている。もしかして目が潤んでいる?ひょっとして私に一目惚れでもしたか?などと、得意の妄想世界へ入る。
 よく見ると、唇がキラキラしているのであった。まさか、油物を食べて、唇を油でテカテカさせているわけではあるまい。キラキラさせるような口紅があるのだろう。
 濡れた口紅は、私の好きなピンク色で、まるで、「あなたのことが好きよ」と言っているみたいであった。「僕も、君が好きです」と、私は言いたくなるのであった。
     

 4、ついていない旅

  ホテルの部屋に入って一服した後、カメラ、スケッチブック、ペン、ガイドブック以外の荷物を出して軽くなったバックを背負って散歩に出る。先ず、ホテルから近くにある愛媛県立美術館へ向かう。美術館巡りは私の趣味であり、欠かせない。ところが、美術館は閉まっていた。美術館の休館日は普通月曜日なんだが、その日は特別に休みだった。
 今さら道後温泉、一草庵は遠い。しょうがないので、美術館の近くにある松山城見学に予定を切り替える。城郭に興味があるわけでは無いが、松山城は美しい城だとガイドブックに書いてあったので、観ておくことにした。
     

 城の麓に着くと、何やら工事をしている。石垣の補修工事のようである。訊けば、2、3年前の地震で石垣が危険な状態になったのだそうだ。それでも、立ち入り禁止の箇所はごく一部で、城内のほとんどの部分は見学できるとのこと。城のてっぺんへ向かってテクテク歩く。道々、写真を撮りながら2時間ばかりかけて本丸へ辿り着いた。
 美しいと書かれてあった本丸は、全体のごく僅かであった立ち入り禁止の箇所に含まれていた。そこは修復中で、ネットに覆われて観ることはできなかった。
 
 翌日、道後温泉にある正岡子規(ちょっと興味がある)記念博物館へ行ったが、そこもまた、たまたま休館であった。館内整備とのことであった。
 道後温泉をさっと見て、一草庵へ行く。山頭火の終の棲家であったところ。一人住まいにしては意外と大きいなという感想。私ならこの半分でいいかなと思う。そこもさっと見て、昨日見学できなかった県立美術館へ行く。美術館は常設展のみであった。この日曜日までやっていた企画展はピカソとモディリアーニの作品展だったそうである。二人とも私の大好きな画家である。先週来ていればと、ちょっと後悔したのであった。
     
     
     

 5、坊ちゃん100年、パチンコ86年

  高校生の頃、夏目漱石が好きで、その作品のほとんどを読んだ。彼の思想についてはよく理解できていなかったが、そのユーモアは大好きであった。
 今回の旅の目的はいくつかあるが、その一つに、漱石ゆかりの地である道後温泉を訪ねるということも含まれている。道後温泉は確か、『坊ちゃん』の舞台になっていた。
 道後温泉の、アーケードのある商店街には横断幕が張られてあり、それには「小説『坊ちゃん』発表100年」と書かれてあった。『坊ちゃん』発表100年とは私も知らなかった。これはこれは何とも運の良い偶然。100年を記念しての何か面白いこ とがあるに違いないと期待して、街をブラブラした。ところが、横断幕はあんなにも堂々と張られてあったのに、特別な行事は何も無いようであった。何のこっちゃい!だった。
     
     
     

 大学生の頃、パチンコが好きで、よく通った。よく通ってたくさん負けた。たくさん負けたお陰で貧乏が、さらに酷い貧乏に変化することもたびたびあった。それでも、金が入るとパチンコ屋に通った。それほど好きだったパチンコも、ここ10年ばかりはトイレを借りる時くらいにしか入らない。パチンコをやる金は持っているが、パチンコをやっている時 間が勿体無くなったのである。オジサンに残されている時間は短いのだ。
 道後温泉の商店街の入口にパチンコ屋さんがあった。そのショーウインドウに古い形式のパチンコ台が飾られてあり、その横に説明文がある。パチンコは86年の歴史があるとのこと。そんな昔からあって、今なお、パチンコ中毒患者を大勢輩出するほどの隆盛。坊ちゃん100年には驚かなかったが、パチンコ86年にはちょっと驚いた。
     
     

 6、久々の鯨

  松山での夜、居酒屋を探して、ホテルから比較的近いJR松山駅へ向かう。駅の周辺を1時間近くブラブラしたが、らしきものは無い。しょうがないので、ホテルの日本料理店で酒と肴を取る。三十は越しているが可愛らしい顔をした仲居さんが愛想良くて、いろいろおしゃべりしてくれた。飲みに行くなら徒歩20分ほどの市役所近く。遊びに行くなら徒歩では遠い道後温泉とのことであった。疲れていた私は、ビールをジョッキ2杯と日本酒2合で良い気分になり、部屋に戻って、寝た。

 その店で何を食べたか覚えていない。写真を撮 り忘れてしまった。その翌日は宇和島に宿泊したが、そこでの肴は写真に撮った。ホテルの人に紹介してもらった和食の店で鯵の塩焼きと鯨のタタキを食べる。沖縄では見たことの無い大きさの鯵は新鮮で、とても美味しかった。「食べてはいけない」とヒステリックに叫ぶ人もいる鯨は、数年前の長崎の旅以来久々であったが、これまた、とても美味しかった。
 食物からはエネルギーだけで無く、美味しいという幸せも貰う。食えるなら、熊も鹿も虎も食う。犬も猫も山羊も食う。美味しけりゃ、蝉も蜥蜴も鼠も食う。鯨は旨いので、もちろん食う。たくさんの命を頂いて人間は生きている。ありがたや、ありがたや。
     
     

 7、メモリーが足りない

 今回の旅のために、カメラ用のメモリーカードを買った。それまで128メガを使っていたが、その4倍の512メガ。大きなサイズの画像で約400枚撮れる。もちろん、予備として128メガも持っていく。合わせて500枚。400枚で十分なので、500枚なら十二分ということ。大船に乗った気持ちとはこのことを言うのだろう。
  ところが、その余裕が災いしたのである。何でもかんでもバシバシ撮ってしまい、初日は午後2時過ぎから使い始めたのであるが、その半日で200枚近くになる。翌日の夜には512メガが満杯になってしまった。宇和島の夜、飲み屋での酒は8時過ぎに切り上げて、ホテルに帰り、コンビニで買った日本酒をちびちびやりながら、面倒臭がってめったに使わない老眼鏡(今はもう旅の必需品)をかけ、要らない写真を消去する。その作業は翌日の夜も、その次の夜も、ホテルの部屋で日本酒をちびちびやりながら続いた。おかげで今回の旅は、私の夜のメモリー(思い出)も足りないのであった。
     
     

 8、狭まる禁煙包囲網

 二日目の朝、ホテルのレストランで朝食を取る。食後、コーヒーを飲みながらタバコを吸いながらその日の予定を立てるのが、私のいつもの習慣。であったが、その日、「タバコを吸いながら」ができなかった。レストラン内は全て禁煙だった。
  三日目の朝も「タバコを吸いながら」はできなかった。去年の秋の旅までは、朝食の食堂内は概ね分煙であった。吸える席が少なからずあった。が、今回は2つのホテルが全面禁煙。世の中はもうそういうことになっているのだろうと思い、四日目の朝はタバコを持たずに朝食へ出かけた。そのホテルはしかし、喫煙席があった。ただ、そのホテルだけが今回は特別であった。五日目の朝も、レストラン内は全面禁煙であった。

 そういえば去年までは、ホテルにチェックインする際、
  「タバコはお吸いになられますか?」と訊かれた。今回はそれが、
 「禁煙室をご用意できますが、いかがしましょう?」となっていた。つまり、去年まではタバコを吸うのも“普通”の内であったのが、今年からはそれが、“普通”から少しランク落ちしたみたいなのである。「禁煙室をご用意できますが、いかがしましょう?」と訊かれ、「吸います」ときっぱりはっきり、胸を張って答えた私であったが、あともう数年もすると、その「吸います」は、申し訳無さそうな小声になるに違いない。
 狭まる禁煙包囲網である。まあ、タバコを嫌がる人がいる以上、それはしょうがないことである。ただ、できれば、町中全面禁煙だけは避けて欲しい。数少ない愛煙家のためにも、喫煙喫茶とか、喫煙酒場とか、喫煙休憩所というのはいくつか残して欲しいものである。禁煙法なんてものができないよう、法律が心までも縛らないよう願うのみである。

 9、名前だけでもカッコ良く

 三日目の朝、宇和島から四万十川上流にある町、江川崎へ向かう。電車は前日に調べておいた。「しまんとグリーンライン」という名の電車、9時35分発、江川崎駅へは10時42分着、1時間ちょいの鉄道の旅。地形から考えて山登りの路線。
  沖縄で地図を見たときには、その路線、JR予土線という名前だった。電車に慣れないウチナーンチュはここで勘違いする。JR予土線という各駅停車の他に、しまんとグリーンラインという急行があると思ったのである。で、ビールとつまみを買って乗り込む。ところが、しまんとグリーンラインは一両編成の左右向かい合わせの電車。その中で飲み食いする人はいない。私のビールとつまみは、その夜のホテルに着くまで荷物となった。
 そういえば、数年前の長崎の旅でも、佐世保から長崎へ向かう電車にカッコイイ名前の電車があったが、乗ってみると一両編成の通勤電車であったことを思い出す。なんだか騙された気分のウチナーンチュなのではあったが、「名前だけでもカッコ良く」というのは会社としての経営努力なのかもしれない。であれば納得。以後、気をつけます。
     

 記:ガジ丸 2006.6.11~6.14  →ガジ丸の旅日記目次

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