ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

高田渡

2008年09月12日 | ガジ丸通信-音楽・映画

 高校3年か浪人の頃に、LPレコードをダビングしたカセットテープを4本、当時仲の良かった1年下の女子から貰った。カセットテープの片面に1枚ずつ、あがた森魚、下田逸郎、斉藤哲夫、遠藤賢司、因幡晃、友部正人、高田渡の8枚のアルバムが収められたいた。当時流行っていたフォークソングの、それなりに名の知れた面々。
 当時流行っていた面々であるが、女子高生の趣味にしてはちょっと渋め。おそらく、LPの持ち主は彼女では無い。彼女の兄や先輩たちだと思われる。友部正人、高田渡については、その持ち主を私も知っている。彼女も私も美術クラブに在籍していたが、私より2期先輩のAさんのものだ。Aさんの家を訪ねた時にそれらのレコードを見ている。

 あがた森魚、下田逸郎、斉藤哲夫、遠藤賢司、因幡晃らはそれぞれにヒット曲もあり、ある程度有名だったので私も知っていた。高田渡にも『自転車に乗って』があり、その名前は知っていた。友部正人は、ほとんど初めて聞く名前だった。
 テープに入っていた高田渡のアルバムは『系図』で、彼のセカンドアルバム。聴くと、それまでラジオなどから流れていた流行の、井上揚水、吉田拓郎、かぐや姫などが歌うフォークソングとは全く趣を異にしていた。「そうか、こういう唄もあるのか。」と少し衝撃を受ける。ただ、衝撃は、それまで知らなかった友部正人により大きく受けた。で、初めの頃は友部正人ばかり聴いていた。巻戻して聴く。裏面の渡はたまに聴く程度。
          

   その頃、私の友人たちに友部正人や高田渡のファンはいなかった。友人達と集まってみんなで歌うのも、私が下手なギターを掻き鳴らすのも、井上揚水、吉田拓郎、かぐや姫などメジャーなフォーク歌手の唄がほとんどであった。あがた森魚、下田逸郎、斉藤哲夫、遠藤賢司、因幡晃らもたまに登場したが、友部正人や高田渡は皆無だった。
 東京に出て、大学に入ってから友部正人、高田渡のファンと多く知り合う。彼らに感化されて益々その二人が好きになる。彼らはまた、私の知らなかった魅力的な唄歌いたちをたくさん教えてくれた。いとうたかお、佐藤博、朝比奈逸人、朝野由彦など。
 大学は吉祥寺にあり、吉祥寺にはライブハウスがいくつかあった。友部正人のライブへは行っているが、高田渡のライブは経験が無い。大学の頃はまだ友部の方が好きであったことと、その頃、渡はライブ活動をあまりやっていなかったという理由がある。
 渡の唄が友部の唄よりも心に沁みるようになったのは、大失恋して、打ちのめされて、仕事も辞めて、収入が無くなって、これからどうしようと途方にくれていた30歳手前になってからのこと。カセットテープに入った『系図』を何度も聴くようになった。
          

 2004年3月に高田渡のライブが那覇であった。私にとって初めての生高田渡。ライブは渡が泥酔して、後半はほとんどグダグダであったが、前半だけでも私の期待を裏切らなかった。改めて、渡の唄の良さを認識した。
 那覇のライブから約1年後に渡は急死する。その近辺、渡の出演するテレビ番組が2本あった。新聞を取ってなくて、テレビ番組の予定を知らない私が、偶然、その2本ともに観た。映画『タカダワタル的』も旅先で観た。「あんたの好きな人はもう長くないから、今のうちに観ておきなさいよ。」という天の声があったのかもしれない。
 →記事(高田渡ライブIN那覇)

 記:2008.9.12 島乃ガジ丸

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