ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版066 頭上の河

2008年08月08日 | ユクレー瓦版

 週末では無いが、夕方、ユクレー屋に顔を出した。カウンターにはいつものようにケダマンが座っていて、カウンターの向こうには美女が二人立っている。4人でしばらくユンタク(おしゃべり)する。しばらくしてガジ丸もやってきた。じつは、今日はガジ丸に呼ばれたのだ。「七夕だし、天の川観ながら花火でもやろうか。」とのこと。

 「ドッカーンと賑やかに打ち上げ花火にしようぜ。」とケダマンは言っていたが、ガジ丸が持ってきたのは線香花火などの小さな手持ち花火だけ。
 「お姉さん方、これに着替えな。」とガジ丸は言って、浴衣を二人に渡し、
 「もうすぐマミナも浴衣姿でやってくるはずだ。」と続けた。
 「わー、ありがとう。浴衣かぁ、風情あるねぇ。」(マナ)
 「七夕気分が盛り上がるね。ありがとう。」(ユーナ)
 で、二人が着替えて、勝さん、新さん、太郎さん、マミナも来て、着物姿のウフオバーも加わって、男共はいつもの格好で、皆で庭に出た。頭上には七夕の河が見えていた。庭にベンチを置いて、皆で線香花火を楽しむ。とても風流な夜となった。

 「でもさ、線香花火も切ない感じだけど、織姫と彦星も何か切ないよね。愛し合っているのに会えないなんてね。」と、線香花火の残り火を見ながらユーナがしみじみ言う。
 「切なさも恋の醍醐味さあ。」と、経験豊富なマナは幸せの余裕だ。
 「切ない恋かぁ、それもいいかもしんない。でも、そういう経験もまったく無いんだよね私、はーーーーっ。」少女は溜息ついて、しみじみを続ける。
 「切なさを楽しむにはまだ若すぎるわな。第一、相手もいないんじゃあ切なさを感じることもないわな。道は遠いぜユーナ。」と、いつも通りのケダマンの軽口。
 「ハッ、ハッ、ハッ、道は遠いか、なるほどな。でもな、ユーナ、道があることはケダマンも認めてるじゃないか、遠い道でもよ、歩く道があれば、出会いもきっといっぱいあるさ、安心しな。」と、ガジ丸はいつもの通り、ユーナの味方だ。
 「だよね。ありがとう、ガジ丸。」と、ユーナがニカっと笑う。

 庭にいるのはちょっとだけのつもりだったが、真夏にしては涼しい風が吹いてきて、気持ちが良い。で、「もう少し、外で楽しもう」ということになる。テーブルを出し、酒や食い物を並べ、「今宵は星見酒だ」(ケダマン)となった。
 そしてまた、しばらくユンタクが続く。
 「良かったなユーナ、今年もまた、この島で七夕ができて。」(ガジ丸)
 「うん、浴衣がいいね、花火もいいね、気分が盛り上がるよ。」(ユーナ)
 「オメェよー、オキナワ暮らしが長くなって、心の余裕も失くしていねぇか?花火や浴衣ばかりじゃ無ぇぞ、今日の主役は他にあるぜ。ガジ丸が、この島で七夕ができて良かったなって言ったのは、その主役がきれいだからだぜ。」(ケダマン)
 「主役って、七夕は織姫、彦星、笹の葉だっけ?」(マナ)
 「頭上の河だよ。見上げてみな。」(ケダマン)
 言われて、マナとユーナは一緒に空を見上げる。そして、一緒に声をあげた。
  「わっ、・・・きれい。」と。天の川だ、この島には人工の灯がほとんど無いから、天の川もくっきりと見える。見慣れた私でも、きれいだと思う。
 「オキナワだとこんなにくっきり天の川も見えないだろうよ。」(ガジ丸)
 「そうだね、オキナワでは意識して夜空を見上げることも無かったさあ。バイトが終わるのは夜遅くてさ、たぶん、見てはいると思うんだけど、そういえば、天の川にはまったく気付かなかったさあ。うーん、やっぱり、島の夜空はきれいだね。」(ユーナ)
 「天の川に舟を浮かべてデート、なんてのを想像するんだな、楽しい夢だろ?」と、ガジ丸は顔に似合わずロマンチックでもある。
     

 その時、「ユーナ、こっちおいで。マナもおいで。」とウフオバーから声がかかった。オバーとマミナはゴザの上で、二人並んで寝っ転がっていた。
 「立ったまま見上げていたら、首が痛くなるよ。こっちは楽だよ。」とマミナの声。
 「あっ、いいなあ、行く。今行く。」とマナは言い、ユーナの腕を取る。
 「うん、行く。ねっ、一緒に行こうよ、ガジ丸も。」と、ユーナはマナに引っ張られながら、ガジ丸の腕を掴む。ガジ丸は引っ張られながら、しかし、私やケダマンを掴むことなく二人に付いて行った。なので、私とケダマンは取り残された。
 「切ないのー。」と、私と顔を見合わせて、ケダマンがしみじみ言った。

 記:ゑんちゅ小僧 2008.8.8


おっぱいの力

2008年08月08日 | 通信-社会・生活

 先週の金曜日、金曜日のみの職場へ出勤すると、駐車場でそこの社長とばったり顔を合わせた。「おはよ・・・」と言い終わらないうちに、
 「産まれたよ昨日、女の子だ。」と言う。彼の娘が無事出産したとのことだ。その娘は私の従姉の娘であり、私が目の中に入れても痛くないほど可愛がった娘だ。その娘が第一子を無事出産した。母子共に健康とのことである。私も嬉しくなる。
 少々難産だったらしい。その娘はお尻が小さいので、「さもありなん」と思う。彼女はまた、おっぱいも小さい。「ちゃんと母乳が出るのだろうか」と要らぬ心配をする。その翌日、友人のE子に会ってその話をすると、「おっぱいの大小と母乳の出は関係が無い」とのこと。また、「妊娠六ヶ月頃からおっぱいも大きくなる」とのこと。そういえばと、そうなった頃の女友達や友人の娘たちを思い出す。彼女らは、貧乳は普通となり、普通乳は巨乳となっていた。巨乳となったものを1度触らせたもらったが、見事だった。
          

 このところ、無差別殺傷事件のニュースを頻繁に耳にする。我が身の将来を不幸にしてまでも犯罪に走る者たちの心情が、「人生は楽しい」と、日々暢気に生きている私には理解し難い。体の不自由や病気などで苦労している人ならともかく、健康であれば、仕事を選ばなければ、贅沢をしなければ、食ってはいけるはず。
  日本は独裁国家では無い。恐怖政治では無い。仕事で時間を縛られるかもしれないが、少なくとも精神の自由は保障されている。「自由に考えることができて、生きている。」だけで十分「幸せ」のハードルは越していると思うが、犯罪を犯す者たちのハードルは高いのであろうか。「とても幸せじゃなきゃ嫌!」なのであろうか。
 あるいは、もしかしたら彼らは、愛情不足なのかもしれない。愛されている、または愛されていたという実感が足りないのかもしれない。なので、「どうせ俺なんか誰からも相手にされないし、生きていてもしょうがない。」などと思っているかもしれない。
 もしかしたら彼らは、愛情の源である母親から、愛を感じることが少なかったのかもしれない。母から強く抱きしめられたなどという経験が少なかったのかもしれない。「俺なんか必要の無い子供だったんだ。」などと思っているのかもしれない。

 二ヶ月ほど前、歯医者へ出かけた。半年に1回は歯石除去などの掃除が必要ですと言われて、虫歯治療をした去年10月以来の歯医者。
 若い、女性の、歯科衛生士が私の唇や口の中を弄ぶ。それだけでもオジサンは嬉しいのだが、彼女のおっぱいがまれに頭に当たる。ムニュっという弾力を頭が感じる。それはオジサンの小さな幸せとなる。何だかとても楽しくなる。明日も元気に生きてやるぞ!って気分になる。そんなオジサンが増えると、世の中は平和になるに違いない。
 というわけで、おっぱいは世の中を幸せにする力がある。そして、もしかしたら、個人の心の安定にもおっぱいは関与しているかもしれない。母親に抱かれて乳首を含んだことを私は覚えていないが、母親はそうしてくれたと思う。それがおそらく、愛されている実感として記憶の深いところに残り、私の「人生は楽しい」気分があるのだと思う。
 残念ながら乳の出ないお母さんもいるであろうが、それでも、赤ちゃんを胸に抱きしめて欲しい。それが平和の源かもしれないのだ。従姉の娘にもそう進言しよう。
          
          
          
          

 記:2008.8.8 島乃ガジ丸