ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

バカな自由

2006年09月15日 | 通信-社会・生活

 私は、女女(おんなおんな)している女も苦手だが、男男している男も苦手である。男男しているというのは、ケンカが強く、腕力で他人をリードし、負けず嫌いで、「俺について来い」みたいなタイプ。暴力が嫌いなので、暴力的なのが嫌いなのかもしれない。強制されることが嫌いなので、「ついて来い」が嫌いなのかもしれない。
 テレビで見たか、雑誌で読んだか記憶が定かで無いが、ある文化人(その時、特に気にならなかったのでその名前も覚えていない)が「松田優作を好きじゃないという男は、奇をてらっているだけだ」みたいなことを言っていた。私は気をてらってはいないが、松田優作が、少なくとも男として(良い俳優だとは思う)は好きでは無い。もう一方の”男”である高倉健は大好きである。「静かな強さ」を私は好む。

 松田優作は、好きでは無いが、もちろん嫌いでもない。彼の主演した『探偵物語』は毎週欠かさず観ていた。その松田優作の長男が俳優であることは知っていたが、その次男もまた俳優らしい。ちょっと前にテレビのワイドショーか何かに出ているのを見た。
 まだ二十歳位のその次男が、私が二十歳を過ぎてからなお二十年をかけてやっと「そうなのであるか」と理解したことを、その若さで既に解っているようなのである。
 「食べたいという欲望(食欲ということ)から自由でありたいですね」と彼はテレビのインタビューに応えて言ったのである。
 私が、「自分の欲望を野放しにすると面倒な事になる」ということを知ったのは二十歳を過ぎた頃であり、「いや、著しく面倒な事になる」と認識したのは三十歳手前になってからであり、「欲望からの自由」を考えるようになったのは四十になってからである。
 生きるのに十分食べたのなら、それ以上食う必要は無い。良い気分になるのに十分飲んだのなら、それ以上酒を飲む必要は無い。食欲や性欲など欲望の出所である大脳辺縁系、その望む通りに行動する必要はまったく無いのである。
 私は、私が私として認識する私が、奥深くにいるもう一人の、欲の塊である大脳辺縁系の呪縛から逃れれば、もっと自由に想像ができ、もっと楽に私自身の生き方を楽しめるのではないかと思った。四十歳になってから私が理解したというのは、「自分の欲望をコントロールできるということが、実は、自由になるということ」であった。

  「俺は自由だ」なんて言って、周囲の迷惑を顧みず、自分の欲望のままに行動するということは、だから、私の考えからすると「自由」では無い。酒飲んで車運転して人を轢き殺したり、親を殺したり、子を殺したり、なんてことも実は、「大脳新皮質(理性脳)の不自由」から来ているのではないかと私は思う。バカなのである。

 9.11からもう5年も経ったとのこと。アメリカは悲しみから5年が過ぎたが、イラクでは、ずっと長い間悲しみが生まれ続けている。アメリカの自由は、少なくとも沸酒大統領の考える自由は、「自分たちさえ良ければ」という欲望の塊にすぎない。まったく、バカな自由だと私は思っている。
          

 記:2006.9.15 ガジ丸