碧のサカナ

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わたしごと

2016-04-18 18:48:57 | アタクシゴト



震災に遭われた方、そのご家族、ご親戚、ご友人の方、胸がぎゅーっと苦しい日々を送っていることだと思います。わたしもその1人です。


わたしの実家は大分です。
現在は福岡で大学生をしておりますが、14日の夜、お風呂に入ろうかぐずぐずしていると、潤くんゲストの夜会が始まった。これはお風呂は後回しだと画面を見ていると、携帯から警報が鳴った。何秒かしてやってきた地震は、実際には数秒のことだったのに、とても長くとても大きいように感じた。わたしの住むところは震度4だった。すぐに地震速報が流れ、夜会は緊急のニュースに切り替わった。まだ、状況がよく分からなかった。


熊本が震源地だとわかった時、思い当たる熊本の友達にLINEを入れた。数分して帰ってきた。焦ったけど大丈夫。その言葉に安心した。その後も何度か地震はきた。わたしの住むところはすべて震度3か4だったけれど、一人暮らしを始めて初めての大きな地震だったため、ひどく怖かった。


物が落ちてくるといけないと思い十分に注意しながら場所を選んで布団に入った。その日は朝まできちんと寝た。


金曜日の夜中はもっと酷かった。
日中はわりと落ち着いていたため、安心しきっていたわたしを携帯の警報が何度も起こした。警報が鳴っては揺れて、鳴っては揺れて、そのうち、外でも警報が鳴り始めた。隣部屋の人が窓を開ける音がした。外の警報を聞いていたんだと思う。
ようやく、眠りにつけたと思ったらまた警報が鳴り、揺れて、その日朝6時に目がさめると、震源地が大分になっていた。


友達から夜中にいくつか地震の安否を問うLINEが入っていた。そして家族からも。すぐにテレビをつけて確認すると、間違いなく震源地が大分になっていた。わたしの家族は全員無事で、家も数年前に建て替えたばかりのため、崩壊の恐れはなさそうだった。しかし友達は何人か避難しており、海沿いに住む友達は、夜中に津波警報が出されていてとても怖かったとLINEをしてきた。わたしもそれを見てひどく怖くなった。


ツイッターを見ると、たくさんの人が地元を心配していて、熊本の大学に行った友達は震災に自身も遭いながらも地元を心配し、復旧作業のために帰った子もいた。胸がとにかく苦しかった。わたしが、震度3でこんなに寝れない想いをしているならば、熊本の人は、大分の人は、何日間眠れない日々を過ごしているのだろう。とにかく苦しかった。そして自分は何も出来ないことがとても悔しかった。その日、わたしは21回目の誕生日だった。




今日、学校に行った。
朝行くと友達がいつもと変わらない様子でファッションの話や先週出された課題の話をしていた。もちろんその子たちにはわたしの地元で起こった震災のことは直接的には関係なくて、けど、普通に笑って普通に過ごしていることに勝手ながら腹が立った。気持ちが合わないのがしんどかった。
無理して最低限、話に入らないといけないのが苦しかった。





今もなお、たくさんの人が震災で苦しんでいます。まさかこんな身近で、わたしが大好きな地元で、九州で、起こるなんて思っていなかった。それが正直な気持ちです。友達が苦しい時にわたしは何もしてあげられないけれど、心配することはできる。心配するしかできないけど、とてもとっても心配してます。熊本の方、大分の方、九州の方、心配してます。胸が苦しい。どうか、気をしっかりもって、また笑顔の日々が送れるように頑張りましょう。いつだって、どこにいたって、心配してる人がいること、忘れないで。