大人のための歴史学

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コラム:「情報」が歴史を動かす(6)関ヶ原の戦いと前田利長・大谷吉継(下)

2017-03-07 15:24:23 | コラム
その内容というのは「上杉景勝が越後を制して、その後前田領まで攻め込もうとしている」・「三成方が伏見城を落城させた」・「三成方が上方をほぼ制圧下に置いた」・「吉継の軍が越前北部に向け援軍として進発している」・「吉継の別働隊が日本海の海路を北上し、金沢城に攻め込もうとしている」といったようなものであった。このほか、吉継は、西軍挙兵のときに身柄を押さえた、利長の娘婿である中川光重に対し、利長宛の「大谷の水軍が金沢を襲う」との偽の文書を無理やりに書かせ、さらにそれを利長に送らせた、とも言われている。

このうち、伏見城落城は事実であり、上方制圧や大谷軍の越前進発はほぼその通りと見てよさそうだが、上杉の前田領攻略計画や大谷水軍の吉継その情報が真実であったかどうかはわからない。どうも、吉継の情報操作ではないかと考えられている。このうち水軍による金沢攻撃の情報が前田を動揺させ、金沢への退却につながったと見られている。

 とすれば、こうした「虚報」が前田の大軍を動かしたことになる。吉継の巧みな情報操作・情報戦略が当たったとの評価になろう。片や前田はその虚報に動かされて、まんまと兵を引いたことになる。ただ筆者は、前田はこの情報を口実にして、前田が軍勢の温存と形勢の観望を図ったのではないかとみている。後の大坂の陣の際の利長の呻吟・苦悩をみると、利長はどちらにも本気では味方したくなかったのではないか。いずれにせよ、前田は徳川方としての動きを見せたものの、関ヶ原の決戦には参加せず、場外戦的な動きを見せるにとどまった。一片の情報が大軍を動かしたのである。(了)
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