大人のための歴史学

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エッセイ:脇役の日本史(6)源(土御門)通親(源頼朝を手玉にとった男)(4)

2017-03-13 10:05:47 | エッセイ
 このように見てくると、通親はいつの時代も、あるいはどんな組織にもいる「辣腕家」といえそうである。しかし、新しいものは何も生み出していない。頼朝が、平氏の政治的遺産はある程度受け継いでいるとはいえ、武士の武士による武士のための本格的な武家政権を作り、また兼実が武家の社会の到来という現実を冷静に受け入れながら(弟の慈円も同じ)、その時代状況の中の朝廷政治のあり方を頼朝と手を携えつつ模索したのと比べ、彼の行動はやはり平安貴族政治の枠組みの中で動いているとしか見えない。ただ彼は、バランス・オブ・オワーをにらみつつ、辣腕をふるって自身の地位を確固としたものに築き上げ、一方朝廷政治の主導権を一旦公家側に取り戻したことに間違いはない。頼朝も彼には散々振り回されたのである。

 なお末尾に示す参考文献には、国文学者による通親の和歌の評価も紹介されている。その評価は「叙情が枯れてめずらしいことばにたよっている」とのことである。感情に流されなず打算的であり、また時に奇策も弄する彼らしい評ではないか。しかし晩年になると「古今和歌集」や「伊勢物語」の本歌取りが多くなるとも述べている。これは屋h吏彼が平安貴族社会の価値観の中に生きていたことを示すものであろう。

 ちなみに彼は承久の乱の10年ほど前に亡くなった。もし彼が生きていたら、朝廷はどうのように動いていたのだろうか。彼の息子たちは後鳥羽の近臣となり、承久の乱後処罰された。しかし、彼の子孫は鎌倉後期に政治的復権を果たす。まさに処世巧みな一族である。(了)

参考文献:橋本義彦氏『源通親』吉川弘文館(人物叢書)
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