ゴン太の山行記録

首都圏で公共交通機関を使った山歩きをしています

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○ 初めての東北山行

2006年09月19日 21時48分37秒 | 東北
【山域】 東北
【山名】 鳥海山(2236m)
【山行日】 2006年9月2日(土)
      2006年9月3日(日)
      2006年9月4日(月)
【メンバー】 単独
【地図】 エアリア8『鳥海山・月山』2006
【参考図書】『東北の避難小屋150』(随想舎)
      『アルペンガイド 鳥海・飯豊・朝日』
【天候】晴れときどき曇り

【コース】

☆ 一日目 ☆
祓川 14:30 - 15:35 七ツ釜避難小屋 (泊)

☆ 二日目 ☆
七ツ釜避難小屋 05:25 - 07:30 七高山
七高山     07:40 - 08:15 新山
新山      08:30 - 08:45 頂上小屋
頂上小屋    08:55 - 10:00 小浜分岐
小浜分岐    10:10 - 10:50 小浜小屋
小浜小屋    11:30 - 12:55 ドッタリ
ドッタリ    13:05 - 13:45 万助小舎 (泊)

☆ 三日目 ☆
万助小舎  05:20 - 05:55 分岐
分岐    06:00 - 06:35 渡戸
渡戸    06:45 - 07:40 一ノ坂
一ノ坂   07:45 - 08:25 中村バス停


【山行記】

☆☆☆ 9月2日(土) ☆☆☆


矢島駅から走らせたタクシーに乗りながら、妙な違和感を感じていた。それは運転手の話す方言のすさまじさではなく、走っているその道の感覚だ。指定した百宅への道は、私の考えていた道とはどうも違うようだ。道はそれほど高度を上げるはずがないのだが、タクシーがぐんぐんと標高を稼いでいるのはプロトレックを見なくても判るぐらいで、これはひょっとして矢島口(祓川)へ向かっているのではないか、と心配になってきた。

しかし、タクシーの運転手さんは秋田弁100%で屈託なくいろいろと話しかけてくる。その言葉は、ほとんど日本語の範疇からはずれていたと言っても大袈裟ではない。たぶんドイツ人がノルウェーの田舎を旅してノルウェー語しか話せない人とお互いに自国語でしゃべったらこんな感じなのではないか...ほとんどそういう世界だった。

それでも、今朝は鳥海がよく見えていたとか、このあいだこのあたりで熊を見たとか、この登山口は何年か前まで電車で来てくれた人にはタクシー代を4000円に優遇する制度があったけれど、それも廃止になったとか、話の内容はそういうことだったと思う。私にはまったく東北弁の素養はないが、たぶんあっているはずだ。

祓川の標識が見え、これはマズイと思ったが、もしかするとこちらに百宅への近道があるのかも知れないし、とか、まあ最悪間違っていたにせよ、それが好い方向に向かうこともままあるさ、などといい加減な気持ちでいたら、やはり百宅(大清水)ではないと一目でわかるところで車は停まった。

タクシーの運転手さんは行先を間違えてしまったのを非常に申し訳なさそうにしていたが、エアリアを見ると、夕方の4時頃には七ツ釜の避難小屋に行けると判ったので、予定を急遽変更して今日は七ツ釜の避難小屋に宿泊することにした。まあ、タクシー代もかなり安く済んだし、百宅に比べたらずっと頂上に近いところに1日目にいけるのだ、と気持ちを切り替える。

いきなり祓川ヒュッテがあるが、今回は往復の交通費をかなり奮発してしまったので、宿泊には極力出費しないと決めていたため、水を補給するだけで中を覗きもせずに、竜ヶ原湿原の木道を進む。しかし、ザックが重い。。。今日は大清水の避難小屋泊予定だったので全く登るつもりがなく、時間があった秋田駅でヱビスビールのロング2本とアクエリアスの500mlを2本買っておいたのだ。これに補給した水2Lで、液体だけで合計約4kgを背負い込んでいることになる。

湿原を過ぎると急登と言うほどではないが、やはりそれなりの登りとなる。急な予定変更だったので、自然と足の運びも早めになり、ピッチが上がる。汗が噴き出し、降りてくる登山者が、皆心配して、「これから山頂まで?」と声をかけてくださる。「や、今日は、途中にある七ツ釜の避難小屋まで」と答えると安心してくれたり、そりゃ楽しそうだと、羨ましがられたり。

面倒なので、タクシーでのいきさつは説明しない。避難小屋で同宿の人にでも話そうと考えていたが、何度も「これから山頂?」と心配されるにおよび、避難小屋に泊まって登ろうなんて考える人はあまりいないらしい、と思うようになり、これは土曜の夜でも一人きりは十分あり得るとの感触を得た。

途中賽ノ河原あたりで、雪の上を歩くことになったが、若干歩きにくいものの、アイゼンはもちろんキックステップも使わずに歩ける。御田を過ぎ、すれ違う人もだんだん少なくなって坂を上り詰めるとほどなく七ツ釜避難小屋の表示が見えた。

しかし、肝心の避難小屋がみつからない。老朽化のため撤去されたのかもと狼狽したが、よく探せば小屋本体もちゃんと見つかってほっと一息ついた。
小屋には誰もおらず、トイレもなく中もがらんとしていて、大清水の水洗トイレ付きの避難小屋泊の予定だっただけに、ちょっとがっくりきたが、標高1500m以上と今日のうちにだいぶ高度を稼げたことを好い方に考えることにした。

考えていた通り同宿者は一人も来ず、一人だけの静かな夜となったが、やはり昼間のアクシデントで動揺したのか、寝付くまでやや時間がかかった。



☆☆☆ 9月3日(日) ☆☆☆



翌朝は4時半の起床。お湯を沸かし、マットやシュラフを畳みながら、あまり食欲もないので、お茶だけ飲んだ。あとはお腹が空いた時点で昨日買ったメロンパンでも食べることにして、出発の準備を始める。5時頃外に出てみると、雲海の上に太陽が顔を出すところだった。

いちおう晴れてはいる。けれど、足下の雲海は通常朝見られる雲海とは少し違っていて、雲が夏の入道雲のようにあちこちで突起している。これは早めにいかないとガスが早い時間に湧いてきそうだ。

まだ起きて間もなく、朝ご飯も食べていないので、うまく身体に力が入らない感じだが、忘れ物のないことを確認して、さっそく登り始める。行く手に鳥海山と思われる山の頂が見える。

水場と思われる箇所を過ぎるとすぐに康新道の分岐になる。いまさら歩きにくい雪渓を歩いても疲れるだけだし、どちらかといえば展望が良さそうな尾根道の康新道を選ぶ。時間にして10分程度の差でしかない。

康新道は道形もはっきりしていて歩きやすい。すぐに鳥海山の凛々しい姿が見えてくる。遠くから撮影した鳥海山はそのたおやかな姿が印象的だが、こうして近くで山頂付近を望むと、その印象が少し変化する。

ケルンのある眺めの良い場所に出た。ここが康新道を登って40分の地点だろうか。お腹も空いてきたので、メロンパンとアクエリアスを口に入れた。稲倉岳と思われる稜線の向こうの日本海から低い高度で雲が連なってこちらに進んでくる。あきらかに日本海からそのふんだんな水蒸気が供給されているわけで、この分では山頂に着く前にガスが湧いてしまう可能性が高い。もう少しこの場所でノンビリしていたかったが、10分ほどで腰を上げた。

名前も知らない高山植物の写真を撮りながらゆっくりと登っていった。時々振り返るとやはり予想通りガスの量が少しずつ増加している。遠く海岸線付近に見えていた風力発電の風車も見えなくなった。

頂上まであと200mぐらいというところで、目指す鳥海山の頂稜部にもガスが見えてきたと思ったら、あっというまに自分の回りも真っ白になった。時間は7時過ぎ。こんな早い時間にガスに展望を奪われるとは、やっぱりそもそもこの山行自体ツキなしか。。。出だしからずっこけてしまったし。。。でも、まあ初めての東北だし、最初から何もかもうまくいくわけはないな、と独り言を言っていると、ガスはすぐに晴れた。

よし、っとピッチを上げて登るが、それも束の間で、またガス。傷心しながら、急坂を登っていくと、降りてくる登山者に「ずいぶん早いね」と驚かれた。下の登山口から登ってきたのと間違えられたようで、やはり七ツ釜避難小屋泊まりという選択肢はあまり考えつかないものらしい。ゆるゆると登り詰めていくと五里霧中の七高山に到着した。

七高山で少し待ってみたものの、先ほどのように晴れてくれる気配もなく、気温も急激に下がって指先も冷たくなってきた。仕方ないな、と御室の方へ降りていく。水場があったので、アクエリアスを飲み干して、空いたペットボトルに水を詰めた。

御室の方に下りかけて、引き返す。時間はたっぷりあるのだし、新山に登っておこうと考えたのだ。展望はないが、いちおう、鳥海山の最高地点を踏んでおくのも悪くない。

登り始めると何故か、陽が少し差してきた。周囲のガスが薄くなってきて、七高山から下るときにすれ違った団体さんが歓声を上げているのがわかる。ガスがうっすらと晴れてきて七高山や伏拝岳の稜線がガスの向こうに見えてきた。もしかしたらうまく晴れ上がってくれるのかも知れない。そう思って足場の悪い中をドキドキしながら登る。

ペンキの矢印をたどり、お腹も空いてきたが、がんばって登っていくと山頂に着いた。
誰もいない静かな山頂。新山大神に手を合わせると、それまでかかっていたガスがみるみるうちに晴れ上がっていく。伏拝岳の稜線に立つ人影がこちらからはっきりと視認できるほど晴れ上がり、青い空が見えて、その向こうに海岸線がくっきりと姿を現し、大展望が広がった。遠くに飛島と思われる島影も見えた。

あっけにとられてしばらく呆然としていたが、狭い山頂でドライフルーツを口に入れて空腹を癒すと、のろのろと下山を開始した。
重い荷物で岩場をおっかなびっくり下って無事神社の脇に到着。

伏拝岳に登るのは面倒なので、そのまま七五三掛へ下る。道は歩きやすく展望も思ったより好い。伏拝岳の稜線の向こうに時々日本海が見える。雪渓を横断して登り返す。途中出会う人はこの好展望と好天に大満足の様子だった。再び下りになり、下りきると御田ヶ原分岐に着いた。少し疲れたので登山道の脇によって休む。

好天の日曜日。深田百名山だけあって、登山者がひっきりなしに登ってくる。子供連れも多く、元気にこんにちはと挨拶される。もう一本あったアクエリアスもここで空けてしまう。

扇子森への登り。降りてくる人に挨拶するとモデルのようなきれいな女の子もいて、びっくりする。ふとここで来し方を振り返ると、開いた口がしばらくふさがらなかった。ついさきほどまで晴れ渡っていた鳥海山の山頂付近がべったりと厚い雲に覆われているのだ。

時計を見ると時刻は10時過ぎ。私が新山の山頂をあとにしたのは8時半で、たった一時間半前のことだ。そして、「今日は天気に恵まれましたね」と登ってくる登山者と笑顔で言葉を交わしたのは30分前か、40分前だ。

昨日タクシーの運ちゃんが間違えて私を祓川に連れて行ったことに今更ながら感謝しなければならなかった。大清水(百宅)から登っていたら、ちょうど今頃の時刻に山頂付近だったはずだ。そして、今度こそこの雲はあの山頂を離れず、視界が開けることがないということは容易に見てとれた。

祓川の駐車場で、きのう、タクシーの運転手さんは、今からでも百宅に行こうか、料金はサービスするから、とも言ってくれた。しかし、こうなったから言うのではないけれど、あのとき、これは流れに逆らわない方が好いという予感がなんとはなしに強くしたのだ。結果はみごと禍を転じて福となすであった。私は特に信じている宗教などないが、やはり神様というのはいるのだと思ってしまった。

扇子森から下って御浜小屋に着いても、頭の上は雲ひとつなく、ジリジリと陽の光が強く肌が焼けるほどであった。反面、山頂方面は相変わらずのガスで晴れる様子もなく、なんだか、申し訳ないと言いたいぐらいの気分。

今回一番見たかった鳥ノ海もきれいに見え、その向こうには日本海がはっきりと見える。展望に恵まれたことにひたすら感謝しつつ、お腹も空いたので、早めの昼食にした。御浜小屋でジュースを買うと何と一本500円。ちょっとびっくりしながらも、ここまで担ぎ上げる労力を考えると仕方ないかとも思う。

昼食を終え、しばらくするとガスが鳥ノ海周辺にも湧いてきたところで腰を上げる。鳥海湖のほとりを通る破線路を降り、途中で雪渓から融け出る水を補給する。しかし、思ったほど冷たくはない。ニッコウキスゲがまだ少しだが咲いていた。

二ノ滝、万助道方面と記された道標に従い、木段を下りる。ガスが南の谷の方からも上がってきて、鳥ノ海周辺がガスってしまうのも時間の問題だろう。
蛇石流分岐で右手の万助道へはいる。

万助道はエアリア破線部分よりも実線部分の方が要注意だ。破線部分はおそらくつい最近されたのであろう刈り払いのおかげでまあまあ歩きやすく。仙人平のあたりなど、ほれぼれしてしまうほどの美しい風景が広がって、うっとりしてしまう。もう一度是非訪れたいとの思いを強くした。

しかし、仙人平を過ぎ、傾斜がきつくなってくると道は困難の度合いを深める。

下草は刈り払いがしてあってありがたいのだが、何せ段差が大きく、しかも降りる先の足の置き場が「苔で滑りやすいとがった石の上」といった道が結構続く。特に重い荷物を背負っていると足の置き場を確保してから降りるまでに身体がバランスを崩しやすく、足の置き場を間違えたり、激しくスリップすると怪我につながりかねない。

赤い布やテープのマーキングがあり、慣れていれば迷うことはないと思うが、いわゆる深田百名山の登山道からは想像しにくいたぐいの径だ。仙人平からドッタリまでコースタイムの20分で下れる人はあまりいないと思う。

ヤブがちの急傾斜の径が唐突に終わって小平地が現れるところがドッタリ。まさにドッタリと倒れ込んでしまいたいぐらい疲れる径であった。この先はここまでの径より所要時間が長いので、ドッタリで休憩をとる。まあ、途中でコケたりしない限り、明るいうちに万助小舎に到着できる目途も立ったので、そう焦る必要もあるまい。

ドッタリからもしばらくは気の抜けない径が続き、ややコースタイムをオーバーしても万助小舎が姿を見せないので、あれ、もしかして見逃して通過してしまったか、と少し心配したが、じきに小川のせせらぎが聞こえ、ハクサンフウロ咲く小さなお庭に万助小舎がデンと建っているのが目に飛び込んで、やっと着いたとホッとした。

小屋に入ってみると、その瞬間、時間が早いけど、今日は無理して下山せずにここに泊まろうと心が決まった。中には誰もおらず、窓からは陽の光が入って、きちんと整理整頓された小屋がより輝いて見える。荷物を置き、とりあえず、残しておいたもう一本のヱビスのロング缶を近くの清流で冷やすことにした。

小屋の日誌を見たりしながら、ノンビリと日暮れまでのひとときを過ごす。ときどき、ひょっとしたら小屋の管理に酒田の高校生が上がってくるかもなどと考えたが、結局誰も来ないまま夕暮れが近づき、お湯を沸かして夕餉の支度を始め、冷やしておいたビールをとりに行くついでに水を補給した。

カレーライスとビールの簡単な夕食だったが、ことのほか美味しく感じた。

早めの夕食をすませると、やがて日没となった。もう誰も来ないだろう。また自分一人の貸切小屋となるようだ。シュラフにくるまるほどの寒さではないが、明け方は冷えるだろうと、シュラフにもぐるとまもなく眠りについた。



☆☆☆ 9月4日(月)  ☆☆☆



朝4時過ぎに起きて、帰り支度を始める。予定では6時に出れば中村発の遊佐町営バスに十分まにあうのであるが、きのうの万助道の様子から少し余裕を見て出た方がよいと判断した。

小屋の日誌に出発時刻を記入し、感謝しつつ5時過ぎに小屋をあとにする。小屋の壁には赤トンボがうじゃうじゃいて、もう夏は終わって秋になりつつあるのだとしみじみ思う。

径は、出だしは例によって足の置き場に苦慮する歩きにくい道だったが、すぐに歩きやすい道となって、その後はほぼコースタイム通りに下って行く。尾根側の径をとったが、自然林が豊かで紅葉の頃はさぞかし素晴らしかろうと思った。笙ヶ岳からの尾根がずっと右側に見えているが、特に展望に優れているわけではない。

渡戸で笙ヶ岳からの径をあわせ、水場でひと休み。もういよいよ鳥海ともお別れと思うと少し寂しい気もする。すぐ先で一ノ坂の径をとり、最初は少し歩きにくいが、淡々と下っていく。採石場の作業音がだんだんとうるさくなって、一ノ坂に出ると、そこは少し蒸し暑い感じの砂埃の舞う林道であった。大きなダンプカーがゆっくりと走る。先ほどまでいた山が鳥海山だと言われてもなんだか嘘のような気がする。

しかし、一ノ坂から車道を歩いていくとすぐに舗装道路となって、舗装道路の向こうには、まだ青い稲をつけた田んぼが海岸線まで果てしなく広がって、それが青空に映えてひときわ美しい。車道歩きは苦になるどころか気分の好いものだった。

中村のバス停で町営バスを待つ。時刻ピッタリにやってきたバスは、大きな観光バスといったいでたち。誰も乗っていないバスを手を挙げて停めると、運転手さんが怪訝そうな顔をする。遊佐の駅まで行きますかと尋ねると、おおきく頷いて「いぐよー」と言う。運賃250円を払って乗車。

バスはずっと遠くまで広がる田んぼの中を疾走する。窓から涼しい風が入ってくるので冷房など入れていない。そう、この自然の風が一番なんだよな、と思う。窓から入ってくる風に潮の香りが混じるようになると、遊佐駅はまもなくだった。
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