ゴン太の山行記録

首都圏で公共交通機関を使った山歩きをしています

○ 鈴ヶ岳 志賀直哉をめぐる

2009年08月30日 17時50分39秒 | 赤城・安蘇


【山域】 赤城山
【山名】 鈴ヶ岳(1564.7m)
【山行日】 2009年6月27日(土)
【メンバー】 単独
【地図】エアリア20『赤城・皇海・筑波』1999
    1/25000「赤城山」
【参考図書】『志賀直哉全集 第三巻』(岩波書店)
      『志賀直哉 上下』(阿川弘之著 新潮文庫)
【天候】晴

【コース】

 新坂平   09:50 - 10:35 鍬柄山 
 鍬柄山   10:45 - 11:25 鈴ヶ岳
 鈴ヶ岳   12:10 - 13:05 湖尻・深山分岐
 分岐    13:15 - 14:15 赤城キャンプ場
 キャンプ場 14:25 - 15:40 深山バス停

【山行記】

 山との出逢いというのもいろいろな出逢い方があるだろうが、本との出逢いもまた様々である。ある山に登るとそこから見える他の山が気になって、その山に登る、するとまたその山から見える別の山が見えてそこへ登りたくなる、というような連鎖があるが、私の場合、これと同じ様なことが、小説という場でここ数年起きており、最近では長編小説を読むのもほとんど苦にならず、読み出すと上下巻だろうと五分冊だろうとほとんど読み通してしまう。いわゆる中途で放り出して、本棚に上巻や巻一だけがぽつんと置かれるということがなくなった。

 志賀直哉の文庫本を手にしたのは、そういった連鎖とは違い、ブックオフで百五円の棚に並んでいるのを偶然見付けて手に取り、少々逡巡したものの、百円なら安すぎるし、何故か買わないと後悔してしまう気がしてならなかったからである。
 今では新潮文庫の『暗夜行路』は上下巻に分かれておらず一冊の分厚い文庫になっており、巻末には膨大な注釈がつけられているということにまず驚いた。『暗夜行路』という作品は、長年の父親との確執から和解に至った過程を克明に記したその名も『和解』という短編があったからこそ書けたと作者自身述べている。その『和解』も隣にあったので併せて買って読み直してみることにした。

 志賀直哉の作品は、記憶している限り、読んだのが十代の学生の頃のはずで、母親に「志賀直哉の『しろのさきにて』を読むんだ」と話して、「あんた、そりゃ、『きのさき』と読むのよ、城崎温泉(きのさきおんせん)ていう温泉があってね、そこで療養したときの話よ」と笑われた、そんな可笑しなエピソードと、その後挑戦した『暗夜行路』は前篇だけが本棚に残ってみっともなかったことが記憶に残っている。
 ただ、五、六年前だったろうか、どういうきっかけだったか忘れてしまったが、『小僧の神様』が読みたくなって文庫本を買って読んだが、タイトルの「小僧の神様」だけ読んで他の十数ある短編は読まずじまいでほったらかしにしてしまった。小僧が摘んだ寿司を返したところで寿司屋に嫌味を言われる場面が、本当に不憫でそれがやけに印象に残った。

 『暗夜行路』に挑戦するのは、三十年ぶりか、そんなことを考えながら、まず『和解』を読んでみると、夜半過ぎまでかかったたが、ほぼ一日で読了。実際にあった父親との確執の最初の原因が、足尾鉱山の鉱毒事件だったことを初めて知った。
 そして、二つ目の不和の原因というのが、志賀直哉が女中との結婚を望んだことで、これで不和がいっそう深刻なものになったという。結局、女中は暇を出されてしまい、志賀直哉はその後しばらくしてから、同じ白樺派の武者小路実篤の従姉にあたる人と結婚したのだが、この結婚でさえ、その女性が再婚で既に子供も一人いるということで、父親は反対。結婚式の列席者は武者小路実篤夫妻と、勘解由小路資承(かでのこうじすけこと)夫妻だけ。媒酌人無しで執り行われたとの話だ。そして結婚後、奥さんの勘解由小路康子(かでのこうじさだこ)は、父親との不和の板挟みなどいろいろあり、ひどい精神衰弱になってしまった。

 『和解』にも『暗夜行路』にもほとんど描かれていないが、この神経衰弱のこともあって、志賀直哉は奥さんを連れて、数ヶ月だが、赤城山に住んだことがある。大沼(おの)の湖畔あたりだろうと思われるが、その頃のことを描いた作品に『焚火』という美しい短編があり、『小僧の神様』の入っている文庫本ならどれも収録していると思うので、山好きや一度でも赤城山を訪れたことのある人なら一度読んでみることをお奨めする。大沼の湖面を滑るように進むボートの様子や、焚き火の暖かそうな色や梟の啼き声、そして燃えさしの薪を湖面に放り投げるときのジュッという音とその火の粉の赤い色が目に浮かび耳に届くだろうと思う。
 『焚火』は、なんの話もないという志賀直哉短編の特徴を極限まで良く表し、志賀直哉の風景描写の美しさもここに極まれり、という作品だ。こういう描写を読んでしまうと、自分が紀行文でいくら巧みに描写しようと試みた文章でも、それは所詮何処まで行っても説明文に過ぎないと感じてしまう。

 志賀直哉の文章の美しさには定評があって、かの夏目漱石と芥川龍之介でさえ、その対談の中で、「志賀直哉みたいに書きたいと思って書こうとしてもとても自分は真似できない」と口を揃えて認めているほどで、他の多くの作家や作家を志す者たちも、志賀直哉の文章を丸写しして文章修練に励んだという。
 ただ、志賀直哉の文章というものを、恐らく我々のような凡人が何度筆写したところで、私たちの文章がああいう見事な筆致となるわけではない。志賀直哉は技巧が優れているというわけではないのだ。小林秀雄が言うように「ああいう美しさは観察と感動とが同じ働きを意味する様な作家でなければ現せるものではない」のだ。安っぽい言葉になるが、「感性」がなければ、どう筆を捻ってみたところで美しい描写は生まれてこないということだ。
 ちなみにこの『焚火』を読んで感動した英国人学生が、苦労して書き上げたその翻訳を持ってオックスフォードの編集者の所を訪れた際、言われたのは、「いったいこれはなんの話なんだ」という感想だったというエピソードは興味深い。つまりは、志賀直哉の書いた日本語の文章であるからこそ、感動を呼び覚ますのであって、同じ話を他の人が文章にしてもおそらくは誰の心も揺さぶれないことの証左である。そんな志賀直哉がどうして日本の国語をフランス語にしたらいいなどと発言したのか、こればかりは理解に苦しむが、志賀直哉自身はフランス語に堪能なわけでもなんでもないというのは本当のことらしい。

 『暗夜行路』を読み終わり、他の短編もおおよそ文庫本で読んでしまおうかという頃、志賀直哉の末弟子である阿川弘之の『志賀直哉』(上下巻)を新潮文庫で手に入れて読んでみた。阿川弘之なんて知らないという人も多いかも知れないが、テレビで有名な阿川佐和子のお父さんにあたる人で、実際に小説も多数執筆しているれっきとした小説家である。阿川弘之の作品は他に読んだことがないが、志賀直哉に興味のある人はこの大部の作品を読まずにすますことは出来ないと思った。それほど面白く読めた。

 他に赤城のことを書いた作品はないかと志賀直哉全集に当たってみると、『赤城にて或日』というのが見付かった。読んでみると、鈴ヶ岳に登ってそこで野宿をして一晩あかす話である。鈴ヶ岳は「鈴」と称され、山頂か山頂付近の岩穴に泊まったと書かれている。
 一度雪の残る頃鈴ヶ岳に登ったことがある私は、その泊まった岩穴を見てみたくなった。山頂付近にそんなものがあったろうか。。。寒い日で雪が積もっていたので、気がつかなかったのかもしれないが、今行けばわかるのではないか。そんな興味もあって、鈴ヶ岳を再訪することにした。

 志賀直哉が赤城に住んでいたのは大正四年(1915年)の五月から九月であるから、直哉夫妻が鈴ヶ岳で野宿したのは九十四年前、ほぼ百年近く前の話だ。当時と今とでは、大沼周辺の様子はもちろん、鈴ヶ岳の様子も随分変わってしまったかも知れない。ただ、登山道、とりわけ、尾根伝いの登山道というものはそれほど変わるものではないだろうから、帰り途、少しだが彼らの足跡を辿ることが出来るかも知れない、そんなことを考えながら夏の臨時便である前橋駅発赤城山ビジターセンター行きのバスに乗り込んだ。
 前橋からのバスは約一時間で大沼の湖畔、赤城大洞に着く。志賀直哉の頃は当然バスなど通っていなかったから、彼らは移住にあたり、前橋で馬を雇い、荷物と奥さんを馬に乗せて、直哉自身は馬子と一緒に歩いて行ったという。上掲の阿川弘之著『志賀直哉』によれば、七里の道のりということだが、標高差もあるので七里といっても七時間ではとても着かなかったろう。山歩きをやっていて歩くのが好きな私でも、三十キロ近い路、それも登りを歩き通すのは相当大変なことだ。
 居眠りをしたり日焼け止めを塗ったりして時間を潰しているうちに新坂平のアナウンスがあったのでベルを押して下車。今日は熊谷で三十五℃の猛暑予想だが、さすがに標高1300mでは涼しい。前年もこの時期に新坂平で下車したが、去年満開だったレンゲツツジは、もうほとんど落花しており、二週間ほどの違いだが、時期がずれてしまうと花の見栄えもだいぶ違ってくる。
 バス停前で簡単な屈伸運動をしてから前年とは逆の方向へ歩き始める。エゾハルゼミの鳴き声も昨年ほど喧しくはなく、花にしろ虫の鳴き声にしろ自然の様相というのは、その盛衰の時期がはっきりしているものだと思う。すぐに自然林百パーセントの樹林帯に入る。赤城は現在でも植林がほとんど無いのがうれしい。植林帯の薄暗さや陰湿さに比するまでもなく、自然林の森は歩いていて非常に気分が好い。葉の色は既に新緑の段階を過ぎて、濃厚な色へと変化しているが、森の明るさは新緑の時と同じく陽の光に呼応するかのように瑞々しく輝いていて、身体によい刺激を与えてくれるのを素直に感ずる。
 稜線へ出る。尾根上にもレンゲツツジの葉をつけた木が多数見付けるが、どれも花はほとんど残っていない。たまにヤマツツジを見かけるがこちらも咲き残りが萎れている程度。歩を進めるうちに姥子峠、鍬柄峠共に峠の西側に踏み跡が見付かった。いつか秋か冬枯れの日にでも辿ってみたいと考える。尾根を更に上がっていくと、後ろから鈴の音とドスッドスッという大きな足音が聞こえてきた。足音が近づいてきたところで、径の端に寄って、先に行ってもらうことにした。大粒の汗をふきだし息が上がっている二人組。この暑いのに服を何枚も着重ねている。よくいる健康の為に歩いている(走っている)という人たちだろう。それにしてももう少し静かに歩けないものか。新坂平のバス停で降りたとき、私の他にもう一人いたがその人は逆方向に歩いていったので、今日は静かな山歩きが出来ると期待していたのに。…
 先に行ってもらった足音が遠のいていったので少しホッとしたのだが、少し先に鍬柄山があって、そこで足音の主たちも休憩していたので、結局追い付いてしまった。先に行ってまたあの足音で迫られるのも厭なので、二人組が出発するまで私もここで休憩をとることにした。山頂は見晴らしが良く、大沼と黒檜がよく見え、頂上にアンテナのある地蔵など他の赤城の山々もよく見える。トンボが無数飛び回っていた。
 二人組が鍬柄山をあとにしたので、私もしばらくして腰を上げた。痩せ尾根の道を鈴ヶ岳の鞍部まで下る。とすぐに前に例の二人組がいて、下りとなると苦手らしく見える。追い付いても抜かすことも出来ないので、しばらく痩せた尾根道で待機して、距離が出来たところで進むことにした。と、その時足もとが滑って尻餅をついた。幸い怪我はなかったが、山の事故というのは得てしてこういうなんでもないところで起こるものだと気を引き締め直す。
 鞍部は見覚えのある場所で季節が変わっても、そう変わりばえのしないことにむしろ意外な感を抱いた。ここから山頂までは地図で見るより結構登りごたえのある径であることは記憶に残っていたので、ゆっくりとマイペースで登っていく。途中例の二人組を結局追い抜くことになり、見覚えのある石碑をいくつかたどり、高度を上げていく。シロヤシオの木が沢山みつかるが、さすがにもうこの時期では花の咲き残りどころか花殻のひとつも見付からない。花の時期であればこの登りも苦にならないだろうと思われるほどシロヤシオの木やアカヤシオらしい木が青い葉を広げ、それが陽の光に輝いている。二十分ほどの登りで山頂に着き、ちょうど時間も正午を指していたので、鈴ヶ岳の山頂で 昼食とした。陽の光が強く日向では暑いので、日蔭になっている場所を見付けて腰を下ろした。
 食事をしていると、単独の男性が近づいてきて、こっちの方へはよく来るのかとか、鈴ヶ岳は初めてかとか、聞いてきた。悪い人ではないのだろうが、この男、くわえ煙草で話すのがどうにも閉口だった。山で初めて遇った人と話すのは楽しい。だが、マナーはわきまえてもらいたいものだと思う。そして、この手の人の話というのが、どういうわけかいつも、自分が何処に登ったとか、何処から何処まで何時間で歩いたとかいう本人の自慢話に終始することが多いのは二重に苦痛である。この日もさんざん聞かされそうだったので、こちらとしても防御の意味で無愛想な生返事をして体良く追い払うことに決めた。
 山頂で長居をして、閑散として静かになったところで、志賀直哉の泊まったという岩穴を探したが見付からなかった。何年も経って、同じ岩穴に入ろうとする人が多くて危ないということで埋めてしまったのかも知れない。いやもしかすると小説にするときに実際と少し変えて書くことはよくあることなので、泊まったのは山頂付近ではない別の場所にある岩穴かも知れない。…先ほどの鞍部まで往路を戻ることにした。
 鞍部からはまだ歩いたことのない鈴ヶ岳の北側を半円形に回る径を下ってみることにした。出張峠との分岐まではおそらくは志賀直哉たちが歩いた径と同一であろうから、この途中にもしかしたら岩穴のようなものがあるかも知れない、と注意して見ながらシダの生い茂るアカマツ林を下っていくと左手にひとつ岩穴のようなものが見付かった。しかし、崩れそうでここに寝るのは些か恐ろしい気もする。入ってみる勇気もなかった。
 出張峠との分岐で休憩をいれる。道は三方に分かれており、ひとつは出張峠へ行く径で、あとの二つは深山へ下る径だ。左の径は広々としているが、未舗装の車道のようで、面白味に欠ける気がし、右の山径が続く方を辿ることにした。指導標に蝉の抜け殻がしがみついているのが面白く、写真に収めた。
 しかし、この選択はあまり芳しいものではなかった。径は関東ふれあいの道で最低限の整備はされているものの、歩かれずに荒れている径特有の状況がいくつもあった。途中、沼尾川の方へ下ってしまいかねない踏み跡などもあって、注意していないとそちらに引きこまれて厄介なことになりかねない。さらに後半車道と合流するまでの間は、下草がうるさく、その下草の裏に棲み着いている蛾を眠りから覚ましてしまうらしく、歩く度に小さな蛾が無数に飛び立ち、これが五月蠅くて仕方がなかった。
 車道と合流してすぐに展望の丘にあがる道を見つけたので上がってみると、アヤメが咲いていて美しかった。このあたりは、登山地図にない径がいくつもあるようで、余り深入りせずに車道へと降りる径を素直に下って車道に戻った。あとは、以前に歩いたことのある長い車道歩きである。赤城キャンプ場で足休めをしたあと、舗装道路を延々と歩く。登山地図に掲載されている55分ではとてもたどりつかないことは以前歩いたことがあるので知っている。
 前回歩いたときは冬だったので、車には一台もあわなかったが、今回はさすがに夏を前にしているだけに数台と遭遇した。途中でミヤマクワガタの死骸をみつけ、深山へ向かうことと奇妙なアナロジーのように感じる。それにしてもこんなところに棲息していたのかと少し驚くと同時に嬉しく思う。深山の集落を見下ろすところで今度は生きたヒラタクワガタの雌を見付けたので、轢かれないように道の真ん中から端に移してやった。
 小さい頃、生家の裏の雑木林でクワガタやカブトムシをよく捕ったものだった。だから見れば今でもどのクワガタか名前をすぐに言うことが出来る。ただ、カブトムシは見付かってもミヤマクワガタとオオクワガタだけは滅多に見付からなかった。 今の子供たちは、クワガタを買うしかないという。考えてみるとかわいそうなことだ。クヌギやコナラの木を蹴るだけでなく、木の根の穴を掘ってまでクワガタを見付けていた私たちは幸せな少年時代を送ったのだと今にして痛感する。
 結局、志賀直哉の泊まった岩穴はわからなかった。だが、総ての山行きがそうであるように、この日の山歩きもやはり好いものであった。深山のバス停でバスを待っていると、子供を連れた奥さんが挨拶してきてくれた。子供たちはペットの兎を連れていた。真っ黒な兎で、水を飲ませようとしたが兎は欲しくないらしく水を飲まなかった。このペットも買ったものなんだろうか。どうも野性味に欠ける相貌で、こんな田舎でもペットの兎を街で買うのだと想像したら、先ほどのクワガタの話ではないが、何となく物哀しい気分になった。バスが来て乗り込むと、乗客は私一人だけ。渋川市の代行バスとのことで、採算が合わないが行政の要請で走っているものらしい。暑い日で自分の体臭が気になるほど汗をかいたので、日帰り温泉施設で下車して入浴してから帰途についた。
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○ 快晴の仙丈ヶ岳 仙塩尾根&地蔵尾根

2006年10月31日 00時26分31秒 | 南アルプス
【山域】 南アルプス
【山名】 仙丈ヶ岳(3032.7m)
【山行日】 2006年10月8日(日)
      2006年10月9日(祝)
      2006年10月10日(火)
【メンバー】 単独
【地図】エアリア43『甲斐駒・北岳』2000
    1/25000「仙丈ヶ岳」
【参考図書】『アルペンガイド 北岳・甲斐駒・仙丈』(図書館借)
【天候】快晴

【コース】

☆ 一日目 ☆
野呂川出合 12:40 - 15:00 両俣小屋(テント泊)

☆ 二日目 ☆
両俣小屋  05:35 - 06:25 野呂川越 
野呂川越  06:35 - 07:05 横川岳
横川岳   07:10 - 07:40 独標
独標    07:50 - 08:20 高望池
高望池   08:30 - 08:40 伊那荒倉岳
伊那荒倉岳 08:40 - 10:20 2755付近
2755  10:30 - 11:25 大仙丈ヶ岳
大仙丈ヶ岳 11:35 - 12:10 仙丈岳
仙丈岳   12:30 - 12:50 仙丈小屋(寝具無し素泊)

☆ 三日目 ☆
仙丈小屋 06:10 -(山頂経由)- 06:45 松峰分岐
松峰分岐 06:55 - 07:50 2422手前小平地
小平地  07:55 - 08:40 地蔵岳手前2400m圏峰(展望地点)
展望地点 08:50 - 09:45 松峰小屋分岐(松峰小屋往復)
松峰小屋分岐 10:10 - 11:15 松峰を巻ききったあたりの小平地
小平地  11:25 - 11:50 1900m付近
1900m付近 12:30 - 13:55 孝行猿
孝行猿  13:58 - 14:55 入野谷=伊那里バス停


【山行記】


自分でも神経質なタチだと思う。山へ行くときは、些細なことが気になったりする。
山行初日、甲府駅でバスを待っていたら係員が来て、順番が13番と言われたあたりからちょっと嫌な予感だと思っていたら、バスの中でポリタンから水が漏れているのを見つけ、こりゃ、大変と青くなった。

ポリタンクは購入してから7年ほどが経過しており、劣化の末にとうとうヒビが入ってそこから微量とはいえ水が漏れるようになっていたのだ。しかし、なにもよりによって2泊3日の秋のスペシャルに漏れなくてもいいだろうに。。。

幸い、着替えも濡れておらず、濡れたら一番まずいシュラフはザックの別室に二重にして梱包してあるので心配は要らない。食糧が少し濡れたが、それも包装紙がぬれたぐらいで、食べるのには何の支障もなさそうだ。ポリタンの他にplatypusという折り畳み可能な1Lの水筒があるので、今の季節であれば問題もないだろう。アクエリアスもあるので、1.5L分の水筒があるのと同じだ。不安だったら両俣小屋でポカリを買えばいい。夜叉神峠でポリタンの水を全部捨てた。

広河原で北沢峠行きのバスを待っていると、若い学生らしいグループがやってきて、その中の一人が私と同じように割れたポリタンをザックに入れて来てしまい、みんなから笑われていた。「ちゃんとチェックしてから詰めろって言ったじゃないかー」。。。苦笑いするしかなかった。

しかし、お昼御飯をすませ、風が強いので、自分のザックからウィンドブレーカー代わりにレインウエアを引っぱり出そうとして、ザックの外側に鋏んでおいたゴム草履が片方無くなっているのに気がついた。たぶんどこかで落としたのだろう。片方だけあっても何もならない。また苦笑いするしかない。

まぁ、100円ショップで買った超安物だから無くしてもそれほどダメージはない。たぶん、バスの中でポリタンの水漏れに気がついてザックを開けたときに落としてしまったのだと思う。停留所に行って落とし物に草履はなかったかいちおう尋ねてはみたが、ないという返事。ゴム草履の左足だけ持って二泊三日の縦走かよ、と自嘲気味に笑うしかなかった。

割れたポリタンと片方だけのゴム草履。何の役にも立たないものを二つも背負って縦走開始かと思うと我ながら情けないというか不甲斐ない気持ちだ。広河原ではたくさんの人たちが北沢峠行きのバスを待っていたが、スタート時点ですでに不要品を二つも背負っている間抜けな登山者は私ぐらいのものだろう。

バスの運転手の呼び名は北沢橋、野呂川出合でバスを降りたのは私の他に一組の若夫婦の3人だけ。こんなところで降りるのがお互い照れくさそうに、会釈だけしてそれぞれに歩き始める。

野呂川出合から両俣小屋までは標高差わずか200mほどだが、緩い登りばかりが続くのではなく、実際には大きな沢を越えるときに道が入り組んで、せっかく稼いだ高度を手放すかのように下りに転じてしまったりする。林道の途中に「両俣小屋まであと43分17秒」という妙に細かい指導標がある。

林道の終点近くには両俣小屋の小さなライトバンが停めてあり、まもなくで林道は途切れて沢沿いの径となり、ところどころ崩壊地をかわすようにして左奥の尾根が近づいてくるとテント場があって、そのまた奥に小屋がある。

小屋でテントの受付をしていると、途中で抜かした先のご夫婦が入ってきた。小屋の女主人が「あらあ、ずいぶんと久しぶりじゃないの」と言っていたので常連さんとわかった。

ビールを二本買ったが、結局一本だけで充分酔っぱらったらしく、夕食後、歯を磨くともう眠かった。沢の音がずいぶんと豪快だったが、6時半過ぎには寝入ってしまったらしい。


☆☆☆


夜中に寒さで目が覚めたものの、10時間近く眠れたので、翌朝は4時頃さわやかに目覚めた。まだ暗く、外に出ると星が瞬いている。風はなく、寒さもそれほど感じない。テントの中でお湯を沸かすとすぐに暖かくなった。ゆっくりと紅茶を飲んでから、シュラフやマットを畳み、薄暗い中テントを撤収する。コーヒーとメロンパンの簡単な朝食をとって5時半頃出発する。小屋でポカリスエットを買うと、野呂川越への道は薄暗いとわかりにくいから、あと十分ぐらいしてから出発したらとアドバイスされた。

しかし、もう昨日のうちに偵察してあったので、小屋を出るとすぐに野呂川越への道を歩き始めた。この時期は早立ちするのなら、前の日に1〜2分でいいので下見しておくと翌朝の出だしがスムーズになる。山の朝独特の空気の中、平坦な道から急坂に移る前に周囲も明るくなってきた。急坂を登り始めた頃、遠くで鹿が鳴く声がする。一時間もかからずに、野呂川越の稜線に出る。

ひと休みしてから横川岳への稜線を辿り始める。朝の陽の光が差してきて、木々もうれしそうに見える。横川岳に着くと、エアリアに入り込まないようにと注意書きのある方向にロープが張ってあった。独標方向へ少し歩いたところに仙丈ヶ岳までの稜線が一望できる場所がある。そこからは遠く北アルプスの山塊も望めるのだが、北アルプスの峰々が真っ白に冠雪しているのを見て息を呑んだ。同じ日本アルプスでも北はもう冬山になっていて、数日前に起こった遭難のことを思うと、その美しさが皮肉でさえある。

下って大きく登り返すと独標。さえぎるものは全くない。雲ひとつない快晴。そして今日は昨日とちがって風もない。白馬から乗鞍まで北アルプスがすべて見えてしまっている。こんな展望を寒さに震えることもなく見られるのはよっぽど運がよいと思う。白馬の北にはさらに妙高らしき山塊も見えてここが山梨県であることを疑いたくさえなる。これから向かう仙丈ヶ岳がすぐそこに見え、その美しい曲線に惚れ惚れしてしまう。午前中に着いてしまいそうなほど近くに見えたが、実際はそう簡単にはいかないだろう。

展望に見とれていると、昨日野呂川出合のバス停でお会いしたご夫婦が登ってきた。

少し話をして、彼らと別れてまた独り歩く。再び樹林帯に入り高望池。池といっても水はなく、入らないようにロープが張ってある。手前にテントを張ったあともあり、ゴミも放置されている。水場を見に行こうとロープをくぐって踏み跡をたどろうとしたが、上から覗いたところ結局かなり下らないと水場はなさそうなので、行くのはやめにして引き返した。

ここで、ご夫婦二人組と出会う。少し登った伊那荒倉岳は三角点があるだけのピークで想像していたものとは違っていた。「テント禁止」の立て札がある。

苳ノ平へ向かうと周囲が黒木の森から様変わりして、もうすぐそこに森林限界があると感じる。草原状になった苳ノ平では紅葉が見られ、少し顔の筋肉が緩む。

ぽっかりと森林限界に出る。風もなく好天の稜線で森林限界に出たときの感じは言葉にできない爽快さと快感がある。自分の足で高度を稼いだことをしっかりと確認でき、もうここからは高度を下げない限り視界をさえぎられることはないのだ。雲ひとつない青空に仙丈ヶ岳の威容が見事に映える。やはり美しい山だ。もうすぐであの頂に到達できるのかと思うと嬉しくて仕方がない。

稜線を辿っているだけの時は快感なのだが、南アルプスの森林限界は高い。そのせいで、急な登りになるといつもより呼吸が乱れる。地上の3分の2ほどの酸素量では、呼吸を意識的に深くしても酸素が間に合わなくなるのだ。そのことが身体でイヤという位わかるようになるのは私の場合だいたい2600mあたりかららしい。

ペースを落とし、ゆっくりと登る。仙丈に行くのにこんな尾根を登る酔狂は他にいないので、周りを気にせず、自分のリズムで登っていけるのが幸いだ。何度も立ち止まり深く息をして呼吸を整え、休み休みではあるけれども確実に高度を上げていくと大仙丈ヶ岳に到着。

大仙丈ヶ岳では若い男性が一人お昼寝中。仙丈ヶ岳を見やると山頂らしき地点にたくさんの人がいるのがはっきりと見て取れる。もう時間のことは気にせずゆっくりと山頂まで行けばいいのだと思うと気が楽になった。大仙丈ヶ岳にも「テント禁止」の立て札。こんなところでテントを張ろうなんて思う人がいるんだろうか?

30分ぐらいあれば着くかな、と思ったが、やはり息が上がって、何度も立ち止まっては歩きで、仙丈ヶ岳の山頂には35分ほどで到着。やはり3連休最終日の好天で、山頂には大勢の人がいた。まあ、これだけ天気が良く展望も百点満点ではなかなか立ち去る踏ん切りもつかないのかも知れない。最終バスが何時だからという話があちこちから聞こえた。

自分もしばらく、そこからの展望に見とれ、何枚も写真を撮った。生まれて初めて標高3000mの地に立ったことになる。山梨百名山の標柱もある。そういえば、ここは山梨百名山の西端だ。東端と南端はもう登っているが、北端の赤岳は実はまだ登っていない。来年の宿題になりそうだ。

お昼御飯を食べるには落ち着かないので、お昼はすぐ下の仙丈小屋でとることにした。

お昼を食べる前に小屋で混雑状況を念のため聞いてみた。もし混むようなら、今から松峰小屋まで行った方が、金銭的にトクだし、小屋もそうしてくれる方がありがたいだろうと思ったからだ。しかし、今日はさすがに翌日が平日とあって20人も来ないだろうとのこと。心配していた高山病の症状も全くと言っていいぐらい無いので、標高2900mのこの小屋に厄介になることにした。

昼食後も、ずっと小屋前のベンチに座ってそこからの展望にぼーっと見とれていた。小屋のオヤジさんが「ノンビリして好いなあ」と声をかけてきた。「ノンビリぼんやりが一番の贅沢ですよ」というと、大きく頷いた。

3時近くなるとさすがに寒くなってきたので、小屋の中に入った。素泊まりなんて私一人だけのようで、4時頃から夕食の準備を始めた。フリーズドライの白飯にお湯を入れてぼんやりしていると、そこに見覚えのあるバンダナ青年が現れて仰天。周囲の宿泊客が一斉に振り向いてしまうほど二人同時に「あれー、なんでー?」と叫び、ここまでのいきさつを話す。明日の予定を聞かれ、「伊那里に降りるつもりだけど」と答えると「同じです。地蔵尾根」。お互い、ああやっぱり、という感じで頷きあう。

夜はさすがに冷え込んだが、山小屋の中はやはり暖かい。昨日のテントに比べたら、ぬくぬくという感じですらある。シュラフにくるまり、快適に眠れた。寝具ナシの素泊まりという選択肢を残してくれている南アの山小屋には感謝である。


☆☆☆


伊那里から新宿に行く高速バスの時刻は15:50なので、あまり早く出ても仕方がないと、朝はゆっくり出発。松峰分岐にザックをデポして仙丈ヶ岳の山頂へもう一度。道中の無事を祈って下山開始。

あとから小屋を出たkomadoさんが登ってくるのとすれ違い挨拶。「じゃ、お先に。すぐに追いつかれると思うけど」と言って私の方が先に地蔵尾根にはいることになった。

尾根の入口には「馬の背〜北沢峠へ下る道ではありません」との注意書きがある。しばらくは森林限界の上の爽快な尾根。左手に昨日登った仙塩尾根のダイナミックな曲線が見え、われながらあんなところをよくもまあ登ったものだと思ってしまう。

やがて尾根を右手にはずれるように下っていくが、実際には地蔵尾根の主稜に向かっていることが地形図を見ればすぐにわかる。赤のマーキングが短い間隔でついているので踏み跡がやや頼りなくなるものの迷うことはないだろう。高度をかなり下げて地蔵尾根の主稜をとらえ直すと、そこは小平地になっていたので、時間もちょうど良いしと休憩をいれる。

このころから、左目のコンタクトレンズがはずれそうになったり見えにくくなったりするのが少し気になっていた。普段使い慣れていない使い捨てのソフトレンズなので、ひょっとしたら表裏が逆なのかも知れない。しかし、やはり高いところに長時間いたので軽い高度障害が起こっているのかもしれないのでもう少し高度を落とせば治ってしまうのかも、などとも考える。

休憩後、コメツガの雰囲気の良い森の径となって高度はあまり変わらないまま、ずっと歩いていくと一時間ほどで大きく登り返した2400m峰の展望地点に出た。目の前に地蔵岳が見え、ここでも休憩をとることにした。急いでも仕方ないし、とザックを降ろしたところで外側にくくりつけておいたテントポールがないことに気がつき、愕然とした。

確か、小屋を出るときにはあったはず。デポしておいた松峰分岐でもたぶんあった。しかし、前の休憩地点であったかどうかは定かではない。いったいどこで落としたのだろう? ここまでの道中を振り返る。と、前の休憩地点(小平地)からすぐのところで大きな倒木が道をふさいでいるところが思い当たった。たぶんあそこの倒木を越えるときにどすんと降りた拍子に落としてしまったのだろう。

戻ろうかとも思ったが、往復で約2時間は帰りのバスに間に合うかどうかかなり微妙だ。もうじきkomadoさんも追いつくだろうし、そのとき聞いて「見かけなかった」ということならこの際きっぱり諦めようと、ゆっくり先を歩くことにした。

地蔵岳を巻いて更に一時間ほどで松峰小屋分岐についた。松峰小屋を見に行って戻ってくるまでにkomadoさんはこの地点を通過するはずで、もしポールを拾ってくれているような幸運があれば、私のデポしたザックのそばにポールを置いていってくれるだろう。戻って来てポールがなかったら、たぶんkomadoさんもポールの存在には気づかなかったということだ。

松峰小屋は前日泊まったりしなくて良かったという感想だった。暗く、内部は少し荒れた感じでトイレもない。3500円であの暖かい小屋に泊まって正解だったな、と感じた。

松峰小屋から戻ってみると、やはりザックはそのままで、テントポールはもちろん置いてなかった。ああやっぱり、あの倒木の陰に落としたんじゃ誰も気づかないよなぁ。しかし、今回の山行はポリタンが割れるし、ゴム草履は片方失くすし、これでテントポールもなくしてじゃ、テントもフライシートも何の役にも立たない荷物になって、ゴミを背負って歩いているようなものだよなと、自嘲するよりほかなかった。

相変わらず原生林の美しい森は続き、松峰を巻ききったあたりの小平地でまた休憩をとる。誰もいない静かな森。komadoさんは今どのあたりだろうか。休憩後さらに歩みを進める。蜘蛛の巣が先ほどからしつこく、ちょうど目の高さにたくさんあって、まとわりついては、気になる左目にもからみついて、「ああもう」と声を上げる。が、しかし待てよ。これだけ蜘蛛の巣があるってことはまだkomadoさんは後ろを歩いてる?まさか?

でも、この蜘蛛の巣の状態からして、誰かが前を歩いていようはずがない。もしかしたら地蔵岳を巻かずに三角点を探しに行って少し遅くなっているのかも知れない、などと思う。もし、テントポールを拾ってくれていてそのまま背負わせているとしたら申し訳ないな、と考えるが、いやあの倒木地点では気がつかないだろうと期待を打ち消す。

とりあえず、お腹も空いてきたし、もうまもなく林道に出てしまうというところで、適当な日当たりの好い場所を見つけてお昼御飯にした。山行を振り返り、今回もずっこけっぱなしだったけれど、とにかく天候と展望は最高に良く、これはこれで思い出深い山行になるだろうなどと考える。2泊3日で仙丈ヶ岳ひとつだけっていうのも自分らしくて良かった。

お昼御飯を食べ終え、コーヒーでも煎れようかという頃、人の歩く音が聞こえ、ああ、やっぱりkomadoさんはまだ後ろにいたんだ、と思う。ニコニコして近づいてきた彼は私に「ゴン太さん、テントポール落とされませんでしたか?」と夢のようなことを言ってくれた。「ええ?、それじゃあ、ずっと。。。申し訳ない」そう思いながらも口にはうまく言葉がのらず、もごもごとお礼のようなことを口走った。 komadoさんは「いやよかったよかった」とまるで自分のことのように喜んでくれ、よけい申し訳ない気持ちになってしまう。

komadoさんの話によると、私が落としたと思った地点よりずっと前、なんと森林限界の上にそのテントポールは落ちていたそうで、彼は、そのほとんど道中全部を私に代わり、自分の荷物の重さだけでもかなりあるというのに、ずっと担いでいてくれたのだ。ネットの山仲間というだけでこんなにまでしてもらって、その感謝の気持ちをどう表したらいいのか未だにわからないでいる。

彼は、すぐに、「それじゃ、お先に」とまた笑顔を浮かべながら挨拶し下山していった。なんてさわやかな人なんだろう。自分もあんな風に人に接したいものだ、とほとんど尊敬の心持ちで、食後のコーヒーを飲み、テントポールをザックの中にしっかり仕舞い込んでから、自分も下山を再開した。

すぐに林道に降りたが、そこからが長かった。もう着くだろうもう着くだろうと思いながらも、なかなか「孝行猿の碑」が現れない。これじゃあ、伊那里に着いて時間が余りすぎるどころか、komadoさんに昨晩教えてもらった停留所そばの温泉にも入れないぞ、と足を速めて駆け下る。孝行ザルの碑は写真だけ撮って通過。なおも下っていくと舗装道路となって市野瀬の集落に着いた。ちょうど稲刈りをしているところで、農家の奥さんが「好い天気で良かったね」と声をかけてくださる。本当に最高の山行きでしたよ、そう思いながら「ええとても」と大きな声で返事をした。

温泉は諦めようかと思っていたが、下界は天気予報通り、夏のように暑い。汗がかなり出て、やっぱり温泉に入りたいよ、と懸命にスピードを上げる。すぐそこに車の音が聞こえるが、道は曲がりくねってなかなか大通りに着かない。

やっと大通りに着く。たぶんあの建物だという温泉へ急ぐ。立派な建物で本当に500円で入浴できるのかな、と思ったが、どうぞどうぞという答えだった。

浴場に行くとkomadoさんは上がったところで、入れ替わりに私はカラスの行水気味に汗を流し、髭を剃って、さっぱりしてから自動販売機のビールで乾杯した。

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○ 初めての東北山行

2006年09月19日 21時48分37秒 | 東北
【山域】 東北
【山名】 鳥海山(2236m)
【山行日】 2006年9月2日(土)
      2006年9月3日(日)
      2006年9月4日(月)
【メンバー】 単独
【地図】 エアリア8『鳥海山・月山』2006
【参考図書】『東北の避難小屋150』(随想舎)
      『アルペンガイド 鳥海・飯豊・朝日』
【天候】晴れときどき曇り

【コース】

☆ 一日目 ☆
祓川 14:30 - 15:35 七ツ釜避難小屋 (泊)

☆ 二日目 ☆
七ツ釜避難小屋 05:25 - 07:30 七高山
七高山     07:40 - 08:15 新山
新山      08:30 - 08:45 頂上小屋
頂上小屋    08:55 - 10:00 小浜分岐
小浜分岐    10:10 - 10:50 小浜小屋
小浜小屋    11:30 - 12:55 ドッタリ
ドッタリ    13:05 - 13:45 万助小舎 (泊)

☆ 三日目 ☆
万助小舎  05:20 - 05:55 分岐
分岐    06:00 - 06:35 渡戸
渡戸    06:45 - 07:40 一ノ坂
一ノ坂   07:45 - 08:25 中村バス停


【山行記】

☆☆☆ 9月2日(土) ☆☆☆


矢島駅から走らせたタクシーに乗りながら、妙な違和感を感じていた。それは運転手の話す方言のすさまじさではなく、走っているその道の感覚だ。指定した百宅への道は、私の考えていた道とはどうも違うようだ。道はそれほど高度を上げるはずがないのだが、タクシーがぐんぐんと標高を稼いでいるのはプロトレックを見なくても判るぐらいで、これはひょっとして矢島口(祓川)へ向かっているのではないか、と心配になってきた。

しかし、タクシーの運転手さんは秋田弁100%で屈託なくいろいろと話しかけてくる。その言葉は、ほとんど日本語の範疇からはずれていたと言っても大袈裟ではない。たぶんドイツ人がノルウェーの田舎を旅してノルウェー語しか話せない人とお互いに自国語でしゃべったらこんな感じなのではないか...ほとんどそういう世界だった。

それでも、今朝は鳥海がよく見えていたとか、このあいだこのあたりで熊を見たとか、この登山口は何年か前まで電車で来てくれた人にはタクシー代を4000円に優遇する制度があったけれど、それも廃止になったとか、話の内容はそういうことだったと思う。私にはまったく東北弁の素養はないが、たぶんあっているはずだ。

祓川の標識が見え、これはマズイと思ったが、もしかするとこちらに百宅への近道があるのかも知れないし、とか、まあ最悪間違っていたにせよ、それが好い方向に向かうこともままあるさ、などといい加減な気持ちでいたら、やはり百宅(大清水)ではないと一目でわかるところで車は停まった。

タクシーの運転手さんは行先を間違えてしまったのを非常に申し訳なさそうにしていたが、エアリアを見ると、夕方の4時頃には七ツ釜の避難小屋に行けると判ったので、予定を急遽変更して今日は七ツ釜の避難小屋に宿泊することにした。まあ、タクシー代もかなり安く済んだし、百宅に比べたらずっと頂上に近いところに1日目にいけるのだ、と気持ちを切り替える。

いきなり祓川ヒュッテがあるが、今回は往復の交通費をかなり奮発してしまったので、宿泊には極力出費しないと決めていたため、水を補給するだけで中を覗きもせずに、竜ヶ原湿原の木道を進む。しかし、ザックが重い。。。今日は大清水の避難小屋泊予定だったので全く登るつもりがなく、時間があった秋田駅でヱビスビールのロング2本とアクエリアスの500mlを2本買っておいたのだ。これに補給した水2Lで、液体だけで合計約4kgを背負い込んでいることになる。

湿原を過ぎると急登と言うほどではないが、やはりそれなりの登りとなる。急な予定変更だったので、自然と足の運びも早めになり、ピッチが上がる。汗が噴き出し、降りてくる登山者が、皆心配して、「これから山頂まで?」と声をかけてくださる。「や、今日は、途中にある七ツ釜の避難小屋まで」と答えると安心してくれたり、そりゃ楽しそうだと、羨ましがられたり。

面倒なので、タクシーでのいきさつは説明しない。避難小屋で同宿の人にでも話そうと考えていたが、何度も「これから山頂?」と心配されるにおよび、避難小屋に泊まって登ろうなんて考える人はあまりいないらしい、と思うようになり、これは土曜の夜でも一人きりは十分あり得るとの感触を得た。

途中賽ノ河原あたりで、雪の上を歩くことになったが、若干歩きにくいものの、アイゼンはもちろんキックステップも使わずに歩ける。御田を過ぎ、すれ違う人もだんだん少なくなって坂を上り詰めるとほどなく七ツ釜避難小屋の表示が見えた。

しかし、肝心の避難小屋がみつからない。老朽化のため撤去されたのかもと狼狽したが、よく探せば小屋本体もちゃんと見つかってほっと一息ついた。
小屋には誰もおらず、トイレもなく中もがらんとしていて、大清水の水洗トイレ付きの避難小屋泊の予定だっただけに、ちょっとがっくりきたが、標高1500m以上と今日のうちにだいぶ高度を稼げたことを好い方に考えることにした。

考えていた通り同宿者は一人も来ず、一人だけの静かな夜となったが、やはり昼間のアクシデントで動揺したのか、寝付くまでやや時間がかかった。



☆☆☆ 9月3日(日) ☆☆☆



翌朝は4時半の起床。お湯を沸かし、マットやシュラフを畳みながら、あまり食欲もないので、お茶だけ飲んだ。あとはお腹が空いた時点で昨日買ったメロンパンでも食べることにして、出発の準備を始める。5時頃外に出てみると、雲海の上に太陽が顔を出すところだった。

いちおう晴れてはいる。けれど、足下の雲海は通常朝見られる雲海とは少し違っていて、雲が夏の入道雲のようにあちこちで突起している。これは早めにいかないとガスが早い時間に湧いてきそうだ。

まだ起きて間もなく、朝ご飯も食べていないので、うまく身体に力が入らない感じだが、忘れ物のないことを確認して、さっそく登り始める。行く手に鳥海山と思われる山の頂が見える。

水場と思われる箇所を過ぎるとすぐに康新道の分岐になる。いまさら歩きにくい雪渓を歩いても疲れるだけだし、どちらかといえば展望が良さそうな尾根道の康新道を選ぶ。時間にして10分程度の差でしかない。

康新道は道形もはっきりしていて歩きやすい。すぐに鳥海山の凛々しい姿が見えてくる。遠くから撮影した鳥海山はそのたおやかな姿が印象的だが、こうして近くで山頂付近を望むと、その印象が少し変化する。

ケルンのある眺めの良い場所に出た。ここが康新道を登って40分の地点だろうか。お腹も空いてきたので、メロンパンとアクエリアスを口に入れた。稲倉岳と思われる稜線の向こうの日本海から低い高度で雲が連なってこちらに進んでくる。あきらかに日本海からそのふんだんな水蒸気が供給されているわけで、この分では山頂に着く前にガスが湧いてしまう可能性が高い。もう少しこの場所でノンビリしていたかったが、10分ほどで腰を上げた。

名前も知らない高山植物の写真を撮りながらゆっくりと登っていった。時々振り返るとやはり予想通りガスの量が少しずつ増加している。遠く海岸線付近に見えていた風力発電の風車も見えなくなった。

頂上まであと200mぐらいというところで、目指す鳥海山の頂稜部にもガスが見えてきたと思ったら、あっというまに自分の回りも真っ白になった。時間は7時過ぎ。こんな早い時間にガスに展望を奪われるとは、やっぱりそもそもこの山行自体ツキなしか。。。出だしからずっこけてしまったし。。。でも、まあ初めての東北だし、最初から何もかもうまくいくわけはないな、と独り言を言っていると、ガスはすぐに晴れた。

よし、っとピッチを上げて登るが、それも束の間で、またガス。傷心しながら、急坂を登っていくと、降りてくる登山者に「ずいぶん早いね」と驚かれた。下の登山口から登ってきたのと間違えられたようで、やはり七ツ釜避難小屋泊まりという選択肢はあまり考えつかないものらしい。ゆるゆると登り詰めていくと五里霧中の七高山に到着した。

七高山で少し待ってみたものの、先ほどのように晴れてくれる気配もなく、気温も急激に下がって指先も冷たくなってきた。仕方ないな、と御室の方へ降りていく。水場があったので、アクエリアスを飲み干して、空いたペットボトルに水を詰めた。

御室の方に下りかけて、引き返す。時間はたっぷりあるのだし、新山に登っておこうと考えたのだ。展望はないが、いちおう、鳥海山の最高地点を踏んでおくのも悪くない。

登り始めると何故か、陽が少し差してきた。周囲のガスが薄くなってきて、七高山から下るときにすれ違った団体さんが歓声を上げているのがわかる。ガスがうっすらと晴れてきて七高山や伏拝岳の稜線がガスの向こうに見えてきた。もしかしたらうまく晴れ上がってくれるのかも知れない。そう思って足場の悪い中をドキドキしながら登る。

ペンキの矢印をたどり、お腹も空いてきたが、がんばって登っていくと山頂に着いた。
誰もいない静かな山頂。新山大神に手を合わせると、それまでかかっていたガスがみるみるうちに晴れ上がっていく。伏拝岳の稜線に立つ人影がこちらからはっきりと視認できるほど晴れ上がり、青い空が見えて、その向こうに海岸線がくっきりと姿を現し、大展望が広がった。遠くに飛島と思われる島影も見えた。

あっけにとられてしばらく呆然としていたが、狭い山頂でドライフルーツを口に入れて空腹を癒すと、のろのろと下山を開始した。
重い荷物で岩場をおっかなびっくり下って無事神社の脇に到着。

伏拝岳に登るのは面倒なので、そのまま七五三掛へ下る。道は歩きやすく展望も思ったより好い。伏拝岳の稜線の向こうに時々日本海が見える。雪渓を横断して登り返す。途中出会う人はこの好展望と好天に大満足の様子だった。再び下りになり、下りきると御田ヶ原分岐に着いた。少し疲れたので登山道の脇によって休む。

好天の日曜日。深田百名山だけあって、登山者がひっきりなしに登ってくる。子供連れも多く、元気にこんにちはと挨拶される。もう一本あったアクエリアスもここで空けてしまう。

扇子森への登り。降りてくる人に挨拶するとモデルのようなきれいな女の子もいて、びっくりする。ふとここで来し方を振り返ると、開いた口がしばらくふさがらなかった。ついさきほどまで晴れ渡っていた鳥海山の山頂付近がべったりと厚い雲に覆われているのだ。

時計を見ると時刻は10時過ぎ。私が新山の山頂をあとにしたのは8時半で、たった一時間半前のことだ。そして、「今日は天気に恵まれましたね」と登ってくる登山者と笑顔で言葉を交わしたのは30分前か、40分前だ。

昨日タクシーの運ちゃんが間違えて私を祓川に連れて行ったことに今更ながら感謝しなければならなかった。大清水(百宅)から登っていたら、ちょうど今頃の時刻に山頂付近だったはずだ。そして、今度こそこの雲はあの山頂を離れず、視界が開けることがないということは容易に見てとれた。

祓川の駐車場で、きのう、タクシーの運転手さんは、今からでも百宅に行こうか、料金はサービスするから、とも言ってくれた。しかし、こうなったから言うのではないけれど、あのとき、これは流れに逆らわない方が好いという予感がなんとはなしに強くしたのだ。結果はみごと禍を転じて福となすであった。私は特に信じている宗教などないが、やはり神様というのはいるのだと思ってしまった。

扇子森から下って御浜小屋に着いても、頭の上は雲ひとつなく、ジリジリと陽の光が強く肌が焼けるほどであった。反面、山頂方面は相変わらずのガスで晴れる様子もなく、なんだか、申し訳ないと言いたいぐらいの気分。

今回一番見たかった鳥ノ海もきれいに見え、その向こうには日本海がはっきりと見える。展望に恵まれたことにひたすら感謝しつつ、お腹も空いたので、早めの昼食にした。御浜小屋でジュースを買うと何と一本500円。ちょっとびっくりしながらも、ここまで担ぎ上げる労力を考えると仕方ないかとも思う。

昼食を終え、しばらくするとガスが鳥ノ海周辺にも湧いてきたところで腰を上げる。鳥海湖のほとりを通る破線路を降り、途中で雪渓から融け出る水を補給する。しかし、思ったほど冷たくはない。ニッコウキスゲがまだ少しだが咲いていた。

二ノ滝、万助道方面と記された道標に従い、木段を下りる。ガスが南の谷の方からも上がってきて、鳥ノ海周辺がガスってしまうのも時間の問題だろう。
蛇石流分岐で右手の万助道へはいる。

万助道はエアリア破線部分よりも実線部分の方が要注意だ。破線部分はおそらくつい最近されたのであろう刈り払いのおかげでまあまあ歩きやすく。仙人平のあたりなど、ほれぼれしてしまうほどの美しい風景が広がって、うっとりしてしまう。もう一度是非訪れたいとの思いを強くした。

しかし、仙人平を過ぎ、傾斜がきつくなってくると道は困難の度合いを深める。

下草は刈り払いがしてあってありがたいのだが、何せ段差が大きく、しかも降りる先の足の置き場が「苔で滑りやすいとがった石の上」といった道が結構続く。特に重い荷物を背負っていると足の置き場を確保してから降りるまでに身体がバランスを崩しやすく、足の置き場を間違えたり、激しくスリップすると怪我につながりかねない。

赤い布やテープのマーキングがあり、慣れていれば迷うことはないと思うが、いわゆる深田百名山の登山道からは想像しにくいたぐいの径だ。仙人平からドッタリまでコースタイムの20分で下れる人はあまりいないと思う。

ヤブがちの急傾斜の径が唐突に終わって小平地が現れるところがドッタリ。まさにドッタリと倒れ込んでしまいたいぐらい疲れる径であった。この先はここまでの径より所要時間が長いので、ドッタリで休憩をとる。まあ、途中でコケたりしない限り、明るいうちに万助小舎に到着できる目途も立ったので、そう焦る必要もあるまい。

ドッタリからもしばらくは気の抜けない径が続き、ややコースタイムをオーバーしても万助小舎が姿を見せないので、あれ、もしかして見逃して通過してしまったか、と少し心配したが、じきに小川のせせらぎが聞こえ、ハクサンフウロ咲く小さなお庭に万助小舎がデンと建っているのが目に飛び込んで、やっと着いたとホッとした。

小屋に入ってみると、その瞬間、時間が早いけど、今日は無理して下山せずにここに泊まろうと心が決まった。中には誰もおらず、窓からは陽の光が入って、きちんと整理整頓された小屋がより輝いて見える。荷物を置き、とりあえず、残しておいたもう一本のヱビスのロング缶を近くの清流で冷やすことにした。

小屋の日誌を見たりしながら、ノンビリと日暮れまでのひとときを過ごす。ときどき、ひょっとしたら小屋の管理に酒田の高校生が上がってくるかもなどと考えたが、結局誰も来ないまま夕暮れが近づき、お湯を沸かして夕餉の支度を始め、冷やしておいたビールをとりに行くついでに水を補給した。

カレーライスとビールの簡単な夕食だったが、ことのほか美味しく感じた。

早めの夕食をすませると、やがて日没となった。もう誰も来ないだろう。また自分一人の貸切小屋となるようだ。シュラフにくるまるほどの寒さではないが、明け方は冷えるだろうと、シュラフにもぐるとまもなく眠りについた。



☆☆☆ 9月4日(月)  ☆☆☆



朝4時過ぎに起きて、帰り支度を始める。予定では6時に出れば中村発の遊佐町営バスに十分まにあうのであるが、きのうの万助道の様子から少し余裕を見て出た方がよいと判断した。

小屋の日誌に出発時刻を記入し、感謝しつつ5時過ぎに小屋をあとにする。小屋の壁には赤トンボがうじゃうじゃいて、もう夏は終わって秋になりつつあるのだとしみじみ思う。

径は、出だしは例によって足の置き場に苦慮する歩きにくい道だったが、すぐに歩きやすい道となって、その後はほぼコースタイム通りに下って行く。尾根側の径をとったが、自然林が豊かで紅葉の頃はさぞかし素晴らしかろうと思った。笙ヶ岳からの尾根がずっと右側に見えているが、特に展望に優れているわけではない。

渡戸で笙ヶ岳からの径をあわせ、水場でひと休み。もういよいよ鳥海ともお別れと思うと少し寂しい気もする。すぐ先で一ノ坂の径をとり、最初は少し歩きにくいが、淡々と下っていく。採石場の作業音がだんだんとうるさくなって、一ノ坂に出ると、そこは少し蒸し暑い感じの砂埃の舞う林道であった。大きなダンプカーがゆっくりと走る。先ほどまでいた山が鳥海山だと言われてもなんだか嘘のような気がする。

しかし、一ノ坂から車道を歩いていくとすぐに舗装道路となって、舗装道路の向こうには、まだ青い稲をつけた田んぼが海岸線まで果てしなく広がって、それが青空に映えてひときわ美しい。車道歩きは苦になるどころか気分の好いものだった。

中村のバス停で町営バスを待つ。時刻ピッタリにやってきたバスは、大きな観光バスといったいでたち。誰も乗っていないバスを手を挙げて停めると、運転手さんが怪訝そうな顔をする。遊佐の駅まで行きますかと尋ねると、おおきく頷いて「いぐよー」と言う。運賃250円を払って乗車。

バスはずっと遠くまで広がる田んぼの中を疾走する。窓から涼しい風が入ってくるので冷房など入れていない。そう、この自然の風が一番なんだよな、と思う。窓から入ってくる風に潮の香りが混じるようになると、遊佐駅はまもなくだった。
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○ のんびりアサヨ峰

2006年08月22日 22時58分14秒 | 南アルプス
 
【山域】 南アルプス
【山名】 アサヨ峰(2799.1m)
【山行日】 2006年8月5日(土)
      2006年8月6日(日)
【メンバー】 単独
【地図】エアリア43『甲斐駒・北岳』2000
【参考図書】『山梨百名山』(山梨日々新聞)
【天候】晴れ

【コース】
☆一日目☆

広河原  11:40 - 12:00 登山口
登山口  12:05 - 12:35 小尾根に乗る
小尾根  12:45 - 13:30 2130m付近
2130m   13:40 - 14:10 広河原峠
広河原峠 14:20 - 15:00 早川小屋(テント泊)

☆二日目☆

早川小屋 05:35 - 06:15 最初の展望地点
展望地点 06:25 - 07:05 ミヨシの頭
ミヨシの頭 07:15 - 07:55 アサヨ峰
アサヨ峰 08:25 - 09:15 栗沢山
栗沢山  09:30 - 10:55 北沢駒仙小屋
北沢駒仙小屋 11:45 - 11:55 北沢峠

【山行記】

甲府駅からのバスは大混雑。バスにはきっぷ係のおばちゃんが乗り込み、狭い車内を行き先を聞きながら、きっぷを販売する。それもそのはず。7月の三連休は悪天。先週末は土砂崩れで広河原までバスが通っていなかった。ようやく開通した広河原線。そして願ってもない好天とくれば混まないわけがないのだ。

最後に切符を切った私におばちゃんは、「混んじゃってごめんなさいね、でも夜叉神からは座れるから」と笑顔で言う。久々に混んだバスに乗ったけれど、これで緊張感が一気にほぐれる。

他のバスとの無線連絡が終わって、ひと息ついたおばちゃんが、「北岳へ登られるんですか?」と聞いてきた。口ごもりながら「あ、いや、アサヨ峰ってご存じですか?」と答える。一瞬、え、という顔をしたが、すぐに「ああ、あの甲斐駒の手前に見えるあれね」と返ってきて安心した。このバスで広河原までと言えば、大半が北岳。あとは北沢峠まで行って甲斐駒か仙丈と相場が決まっている。

「ふうん、じゃあ、広河原からバスで北沢峠まで?」「あ、いや、その広河原から広河原峠ってとこがあるんでそこまで登っていくんです」そんな会話をしてしばらくするとすぐ近くに座っていた人が桃の木温泉で下車。「どうぞお座りください」そう言われて素直に座る。一番前の席だったので、大きな荷物を抱えて座っても狭苦しい感じはなかった。

大声でしゃべっていたフランス人が夜叉神峠で降りると車内は静かになった。少々の停車時間があり、ゲートが開くのを待ってバスは広河原へ。ようやく着いた広河原は強い陽射しが降り注ぎ、夏山ムードそのものである。バスの待合所が日影になっていて涼しいので、待合所でお昼御飯を食べることにした。


ずらりと並んだバスの列を半ばあきれるように眺めながら、お昼御飯を食べ、トイレをすませたところで歩き出す。大樺沢の吊り橋は大勢の人で賑わっていたが、そこを過ぎてしまえば、途端に静かな山間の林道と言った雰囲気になる。標高1500mといえどもこれだけの陽差しがあると車道歩きはやはりちょっとつらい。行く手に山肌がNの字に崩壊したアサヨ峰が見える。

白鳳峠の入口を過ぎ、工事現場のような建物が見えてくると、右手に広河原峠と記された道標が見つかる。ストックを伸ばし、登山道を上がる準備をしていると、北沢峠から南アルプス市営バスが下ってきた。



登山道にはいると早速涼しげな小滝がある。ヤマホタルブクロは知っているけど、この白い花は何だろう? コマドリが啼き、夏の高山に来たんだなと思う。高度を上げていくとともにものすごい量の汗が噴き出す。水はたっぷりだが、このテント泊装備だと遅くならないうちに早川尾根小屋につけるかどうか心配で、なかなかペースをゆるめることができない。

小尾根に乗ったところで、さすがにくたびれて休憩した。プロトレックの表示が思ったほど上がっていないのは、やはりいつもより荷が重いからだろうか。しかし、ここらで休まないととても身体が持たない気がした。少し休んだだけで熱を持っていた身体がだいぶ冷やされてくるのがわかる。ポカリスエットを空にし、アミノバイタルを飲み干した。

小尾根に乗ってからも傾斜は緩まず、しかし、高度表示は遅々として進まない。もしかすると高圧部に入っているところなのかも知れない。高気圧の中心が近づき、相対的に気圧が上昇しているときは、いくら登っても高度計の表示が進まないというのはよくあることだ。しかし、一方で「ただ体力が落ちて足が上がらないだけなのかも」とも思う。

気温が一番高い時刻にさしかかってきたこともあり、汗の方はこんなに出て大丈夫かと思うぐらい出てしまう。登山道はコメツガ・シラビソの雰囲気のいい径で、もっとゆったり楽しんで歩きたいとも思うが、いかんせん高度計の表示が上がらないので、あまりのんびりもしていられない。1/25000の地形図を持っていれば、現在地の見当もつくだろうが、今日はナメたことをしてエアリアだけしか持ってきていない。
降りてくる登山者一人とすれ違った。


小尾根に乗ってから一時間ほどのところで休憩をとった。この時点で高度計の表示が2000m弱だった。あとでわかったことだが、このときもうすでに峠の下200mほどの地点に来ており、アクエリアスを空にしてから、この休憩地点をあとにすると、ほどなく青空が見えてきて広河原峠に着いた。



峠に着いたのは14時過ぎだったので、15時には早川尾根小屋に着けるだろうと目途も立って、峠ではのんびりとくつろいだ。峠から稜線に咲く花など写真におさめながらゆっくり歩いていくと、早川小屋に到着した。

小屋番さんにテントを張りたい旨告げ、ついでにビールも頼む。ビールは大好きなヱビスで、今年のものは600円だけれど、去年のもので良ければ400円だという。去年のを2本とテント代の合計1200円を支払い、テントを設営した。テント場は空いていて、まだ一張りだけ。それでも今日はかなりの人出なので、あとから移動しなくても好いように端っこの方に張っておく。



ビールを飲んで小屋の周囲をぶらぶらしているとまもなく7・8人の大学のワンダーフォーゲル部がやってきて賑やかになった。どうやら南アルプス北部をほぼ全山縦走するようだ。メンバのTシャツの背にその山名リストが書いてある。いったい全部で何泊するのだろうか。

山中泊は、この夕暮れ前のぼんやりしたひとときがなんともいえずいい。家にいればパソコンやテレビの前で無駄に過ごしてしまう時間だが、山の中では鳥のさえずりや虫の鳴き声に耳をすませ、周囲に咲く花を眺め、さて、そろそろ飯の準備だ、水でも汲んでくるか、という感じでゆったりとした時間が流れる。ついこの間まで、人間はこういう生活をしていたはずで、たぶん本来の人間という動物に少しだけ近づける、そのことが快感なのだと思う。

夕食を終え、歯を磨いてしまうと、もうやることなんてない。お腹がいっぱいになって、周囲が暗くなれば、昼間の疲れも出て、テントの中で横になる。大学のWVのおしゃべりは続いていたが、9時頃ピタリとやんで、いつの間にか深い眠りについた。


☆☆☆


以前はテントでなかなか眠れず、うとうとしても夜中に何度も目が覚めていたが、最近はそんなこともなくぐっすり眠れるようになってきた。この夜も3時頃、近くのテントの人が星見に起きて談笑しているのに起こされるまでまったく記憶がなく、寝覚めも良かった。

満天の星空を見るのに一度テントの外に顔を出したが、急ぐ行程でもないので、ふたたびシュラフにもぐって4時頃まで横になる。

4時過ぎに外も明るくなってきたので、もぞもぞと起き出す。テントの中でお湯を沸かし、シュラフやマットをのろのろと畳む。コンタクトレンズを入れるのに時間がかかる。いつものハードレンズではなく、使い捨てのソフトレンズは大きいうえにぐにゃりとなって目に入れにくい。

朝の5時ではなかなか食欲もわいてこないので、昨日買っておいたパンを食べ、フリーズドライのきのこごはんは、チャックをしたまま持って行く。お腹が空いた時点でまた食べればいいのだ。

5時半に小屋番さんに挨拶してから出発。山の朝の空気がいい。山の朝の独特のニオイがする。忘れかけていたニオイが鼻孔をくすぐり心地よくなる。ウグイスが控え目に囀っているなか、ゆっくりと登り始めた。

すぐに展望が開けて北岳の雄姿が見える。早川尾根の頭の三角点を見ていったん下り登り返す。先に出発した大学のWVに追いつく。最初の展望地点で大学生が展望を楽しんで談笑しているのを見て、先に行かせてもらった。少し先でご夫婦も道を譲ってくださり、あとはマイペースで先に進む。甲斐駒が目の前に大きい。

ミヨシの頭への登りはかなりの急傾斜で、ひとつ登ったと思ってもまたもう一つという感じでなかなか着かない。ようやく着いたミヨシの頭で水分補給のためひと休みした。遠くに八ヶ岳が見えるが霞んでいて写真には巧く収まらない。

ミヨシの頭からアサヨ峰の稜線は森林限界を超えているため、見晴らしのよい尾根道となる。ハイマツのいかにも高山という感じの稜線。この感覚はずいぶん久しぶりだ。
途中、前を行く男性二人組を岩場で追い抜く。いつもの調子でピッチをあげていたら、思ったより心臓がばくばく言って息苦しい感じになった。そうだ、ここは、もう2700mの稜線。下界の2/3ぐらいの酸素しかないのだ。高いところで空気が薄いということに妙な形で気がつく。



呼吸を整えながら、ゆっくりと登っていくとアサヨ峰に着いた。先客はおらず、三角点にタッチして、山頂の標識を写真におさめる。2800mにほんのちょっと足りない山頂。確か山梨百名山のはずだが、あの独特の標柱は見あたらなかった。

アサヨ峰で朝作っておいたフリーズドライのきのこ御飯を食べ、お茶を飲みながら、周囲の展望を楽しむ。ここから見る甲斐駒ヶ岳はなるほどみんながいうようにいい形をしているが、私がそれよりも「いいな〜」と思ったのは仙丈ヶ岳の方であった。「女性的」という形容詞が枕詞のようにくっつくが、私の感想は、優雅でダイナミックではあるけれど、女性的な優しさといったものはあまり感じられない、というものだった。

アサヨ峰から栗沢山の稜線では仙丈ヶ岳が「今度はこちらにおいでください」と言っているかのように、その姿が印象に残った。不思議なことに、甲斐駒にガスがかかり始め、栗沢山では、北岳や稜線がガスに覆われ始めたのに、仙丈ヶ岳だけは、いつまで経ってもガスが湧かず、ずっとその美しい曲線をこちらに見せていた。



時間的に頑張れば甲斐駒を登って降りてもなんとか今日中に帰れそうだったが、この間リハビリ山行をしたばかりの身体には、このくらいのテント山行がちょうどいい気がした。栗沢山から、尾根道でダイレクトに北沢峠に降り、早めの昼食をとってバス停に向かうと、ちょうど臨時の広河原行き市営バスが出るところで、首尾良く乗り込めた。

帰りのバスの車窓から南アルプスのその巨きな山脈を眺めつつ、やはり暑い夏の日は夏山らしい高山を楽しむのも悪くない。そのためにバスが多少混雑しても、それはそれでまたいい思い出になるものだ、と今までの考え方に多少変化が生じたことに気がついた。

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○ 十二ヶ岳と温泉でリハビリ山行

2006年07月31日 17時31分45秒 | 御坂
【山域】 御坂
【山名】 毛無山(1500.1m)・十二ヶ岳(1683.3m)
【山行日】 2006年7月22日(土)
【メンバー】 単独
【地図】 エアリア31 「富士山 御坂・愛鷹」2005
     1/25000 「河口湖西部」
【参考図書】『アルペンガイド12 富士・箱根・御坂』(山と渓谷社)
【天候】 晴れときどき曇り

【コース】
毛無山登山口バス停 09:45 - 10:28 △1241.5
△1241.5   10:38 - 11:25 毛無山
毛無山       11:55 - 13:10 十二ヶ岳
十二ヶ岳      13:25 - 14:30 文化洞分岐
文化洞分岐     14:40 - 14:52 登山口

いずみの湯 15:00 - 15:50 

【山行記】

朝一番の中央特快に乗りうつらうつらしていると、いつの間にか立川駅。あいにくの空模様で、ホームは水たまりができるほど濡れていた。久々の山行は雨か、とがっくりする。天気予報では晴れ間も見えると言っていたのに、これでは山はよくてガス。雨に降られても仕方ないとあきらめていた。



しかし、河口湖の駅でレトロバスを待っていると、日差しがでてきて、空も青くなってきた。レトロバスを降り、陽の光を浴びた自然林100%の登山道を上がっていくと、ヒグラシが朝っぱらからカナカナカナとなんともいえない声で鳴いている。夕刻が近づいてくるときに鳴く声も風情があっていいが、朝から彼らの声を聞くのもまた趣があるものだ。

すぐに足和田山との分岐に着き、十二ヶ岳方面へ進む。純緑の自然林のトンネルを歩いていくと道祖神がお出迎え。こちらも手を合わせて道中の無事を祈る。



明瞭な尾根道となって傾斜がややきつくなる。ときおり振り返れば西湖や足和田山の端正な姿が見え、それをはげみに少しずつ高度を上げていく。ヒグラシの声が遠のき、代わってエゾハルゼミの鳴き声が聞こえてくる。やはり七月も下旬となると大合唱とはならない。もう少し前に来られなかったことを少し悔いてしまう。一ヶ月ほど前ならおそらくうるさいほどの大合唱が聞けたことだろう。



しかし、こうやって都心では聞くことのできないセミの鳴き声を聞くのは気分がいい。そういえば、外国人にとって蝉の鳴き声というのは雑音でしかなく、美しい音色だとはもちろん思わないし、ミンミンゼミとツクツクボウシの区別さえもできないのだという。かの天才数学者で外国語に堪能なピーター・フランクル氏(ハンガリー人)もその著書で、セミの声の区別はまったくできず、ノイズとしか感じない、と書いていた。

尾根の直登が続き、汗がぽたぽたと落ちる。革の登山靴はまだ足になじんでいないようだ。かかとのすぐ上あたりに靴擦れができて少し痛い。
傾斜が緩むと1241.5の三角点。登り始めて約45分、ここで少し休憩した。

地形図で見ると1241.5の三角点の先はそれほど傾斜もきつくないようなので、絆創膏も貼らずに、さらに登り続けたが、やはり登りでは少し痛む。しかし、純緑の自然林の中を歩むのは気分が良く、ほれぼれしながら歩きやすい登山道を登っていく。再び傾斜が緩んでさらに先に進むと長浜からの明瞭な径があわさる。目指す先に毛無山とおぼしき山塊が姿を現し、そこからまた傾斜がきつくなった。

やがて自然林が途切れだし、周囲が草原のようになってヤマオダマキ、カイフウロなどのお花畑になる。富士は雲に隠れて見えないが、青空が見え、眼下に河口湖もはっきりと見える。立川駅では想像することもできなかった光景に、ああやっぱり今日も来て良かったと顔がほころぶ。



花の写真を撮りながらゆるゆると登れば毛無山の山頂。5〜6人のパーティーがひと組だけ。時間はちょっと早いが、十二ヶ岳までの行程を考え、毛無山で食事にした。ガスストーブでお湯を沸かし始めると、パーティーの一人が「あ、また、富士が頭出した」と言うので、見てみると、確かにもくもくと湧いた雲の上にちょこんと富士が顔を出している。もう雪は全くなく、あの山頂にはたくさんの人がいるのだろうな、とそんなことを考えた。

ハルゼミが鳴く山頂でおにぎりを食べていると、ご夫婦がひと組上がってきた。彼らもここで食事としたようだが、私よりも先に出発していった。

靴擦れに絆創膏を貼って、私も出発。歩き始めてすぐに早速「一ヶ岳」の表示。「二ヶ岳」もすぐ。こんな調子だとあっというまに十二ヶ岳に着いてしまうと思うが、実際は十一ヶ岳までが前半、十一ヶ岳から十二ヶ岳が後半戦と思っておいた方が良いようだ。

四ヶ岳か五ヶ岳あたりで、先の夫婦に道を譲ってもらい、アップダウンを繰り返していくとやがて十一ヶ岳。十一ヶ岳からロープを頼りに慎重にキレットまで下ると、一人ずつ渡れと注意書きのある吊り橋を渡る。吊り橋を渡ってから十二ヶ岳までは地形図で見ても判るようにものすごい等高線の混み具合で、両手両足を使って、まさに岩場を登っていく岩登り。しかし、登る分には悪場などもなく、ホールドもふんだんにあるので、3点確保さえしっかりしていれば恐怖を感じるところなどない。むしろ「あ、本当に指一本かかるだけでも立派なホールドになるんだ」とあらためて確認できて楽しかった。毛無山でお会いしたパーティーに道を譲ってもらい、乾いた岩場を順調にこなし、足だけで登れるようになるとようやく十二ヶ岳に到着した。



十二ヶ岳で休憩しながら、このあと節刀ヶ岳〜大石峠と頑張って芦川におりるか、それとも予定通りこのまま桑留尾でお風呂に入って帰宅するか、少し迷った。四ヶ岳あたりで沸きに沸いてきたガスは、いまや稜線を真っ白に覆っており、もうひとつ山梨百名山を稼ぐ意欲を削いでいた。そしてなにより前回の山行からひと月半というブランクが、「まあ今日はリハビリみたいなもんなんだし、無理しないで温泉でのんびりしときな」という判断に向かわせた。

途中で追い抜いたパーティーが遅い昼食をひろげ始めたところで、下山にかかる。

桑留尾に降りる道も自然林が豊かでなかなかいい。途中お地蔵様のあるあたりから、少しカラマツの植林があるが、あとはアカマツ混じりのなかなか佳い道。あまりそそくさと下ってももったいないので、文化洞トンネルとの分岐で足を休めた。

登りにとったら休む場所があまりなさそうなので、ちょっときつそうだな、などと考えながら登山口に降りると「旧根場通学路」と記された道標。その方向を見るといまだに踏み跡がしっかりとある。昔このあたりが増水したときに通学に使われた迂回路なのだろうか。

バス通りに出て、ヤマユリ咲く桑留尾のバス停で時刻を見ると数分でバスが来るとわかったが、一時間後にも、もう一本バスがあることを確認してから、「いずみの湯」に入り、汗を流してお気に入りのヱビスビールでゆっくりくつろいでから、16時過ぎのバスで帰途についた。



乗ったバスは私の他に二人の登山者だけ。その二人はすぐに降りてしまい、河口湖駅まで何十人も乗れる大きなバスを私一人の貸切にしてしまった。電車は富士急・JRとも気づかぬうちに寝入ってしまい、思ったより疲れてしまったようだ。芦川は今日はおあずけにしておいて正解だったかも知れない、そう思いながら家路についた。

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