blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

収穫祭を終えて

2016-11-24 | 農作業


見沼保全の魁けは「見沼田んぼを愛する会」だった。

「見沼田んぼを愛するj会」は「子ども達に残そう見沼田んぼ」。
「田園景観と食卓が絆で結ばれる日を夢見て」と言う提案をしていた。
「見沼田んぼを愛する会」の提起を受けて「新米を食べる会」は1986年に始めて30年を超えた。

見沼田んぼの福祉農園収穫祭へ。by山下浩志(わらじの会)
「日本残酷物語」というシリーズには、農村から都市へ出稼ぎに来た少年少女、
とりわけ少女たちの過酷で悲惨な労働の生が記されているが、
東京で生まれ育った自分には、大人になるまでその実感はなかった。

埼玉へ移り住んでからの半生はもう東京での年月を超え、
どうにかこうにか近代という社会、
都市化ということを肌で感じられることが少しはできるようになったかもしれない。

 福祉農園開園が1999年なので、わらじの会からのこの収穫祭参加は、
少しずつ顔ぶれは変わってきたが、17年目ということになるのか。
その前からこの地での「新米を食べる会」は行われていたという。 

 わらじの会の成り立ちは、「農」を抜きに語れない。
農家の奥で就学免除後の人生を生き、
長じて農業の機械化や専業化により家内で担ってきた仕事をも奪われ
「ごくつぶし」の存在に追い込まれた重度障害者達の、
それでも生き抜きたいという思いと、
家郷を奪われて首都圏へ流入してきた新住民の生きる場を
確保したいというエネルギーが結びついた。

そうやって農業振興地域のただなかに出現し、
現在も活動し続けている場が、
生活ホームオエヴィスと生活ホームもんてんであり、
生活介護事業所のくらしセンターべしみなのだ。

 この福祉農園は、県が見沼田んぼの保全活用策の一環として整備し、
当初はさまざまな障害者施設等が主体で運営されていたが、
徐々に風の学校の若者や浦和北ロータリークラブが関わるようになり、
ロータリーの縁で留学生やひきこもりの若者など多彩な顔ぶれが集う場になってきた。
 先に「わらじの会の成り立ちは」と述べたが、都市自体が地方の農山漁村から発し、
それらを収奪し、解体再編しつつ成長した。

そのプロセスは現在進行形でもあることを、
今日参加した顔ぶれひとりひとりの人生からも感じる。

権利や社会、差別や共生といった観念自体、
近代の産物でもあり、一緒に動く中で問い直し続けるしかない。
 この福祉農園の17年の間でも、地域社会の分解は甚だしく、障害者はもちろん、
高齢者、ひきこもりの若者、困窮家庭の子どもたち、
外国人などそれぞれに不安定な雇用状況の下で、生きづらさ、
働きづらさは甚だしくなっており、
各々が追い込まれながら分け隔てられる状況が深まっている。
 社会常識や施策の分断をこえて、さまざまに異なる他者が、
たまたま出会い、一緒に動き、一緒に食べる、
今日のような関係がこれからの社会に問われている

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