koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

疲れた半日・・・

2012年03月30日 23時46分34秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

午前中で仕事を切り上げる・・・というか,担当が居なくてどうにもならんので強引に今まで貯まりに貯まった休みを取り付けて昼過ぎに一時帰宅する。
あり合わせの昼食後,洗濯物を干していたら疲れたのでついつい横になったのが失敗だった・・・。
目を覚ますと4時近かったので,急いで出かける。
まずは30年来の模型屋に行く。
塗料を買うつもりが,簡易キットの投げ売りに遭ってついついふらふらと買ってしまう・・・。
その後レンタルビデオ屋に寄ってDVDを借り(1枚100円),下の子を学童保育へ迎えに行く。
下の子と共に,送別会に行く相方を街まで送る(上の子は塾へ行った)。
その後,明日まで有効のホテルの食事券を使って,久々に外食する。
腹が満ちたところで,食事券の残りで上の子と実家に土産を買う。
移動の車内でラジオから試合の経過を知る。
予想通り敗色濃厚。
試合が終わると同時に明日の試合の張り紙をしなくてはならないので,相方を迎えに行くのが先か,張り紙をしにKスタへ行くのが先か迷う。
電話を入れると発信音が無く,
「只今電話に出ることが出来ません」
となったので,頭に来て無視。
9回裏の断末魔状態のKスタへ向かう。
ところが,試合終了を当て込んで張り紙待ちが数百人並んでいた。
勝っていたら試合に集中していたのだろうが,4点差では勝てまいと踏んで席取りに走った連中が既に並んでいたということか・・・。
チャンステーマ2が延々流れた挙げ句嘆声が聞こえ,万事休す。
東京ドームはその1時間前に万事休すとなっていたようだ・・・。
予想通り成瀬も石川も打ち込めなかった・・・。
予想外はハンケチだったが,ま猫が勝つよりいいか・・・。
で,そこからが大変だった。
張り紙の列がさっぱり進まない。
20分は待っただろうか・・・。
ようやく相方から電話が来たが動きが取れず,こちらへ歩いて向かうように言う。
地元生まれの地元育ちなのに,未だに街や通りの名前を覚えようとせず,待ち合わせの際は電話だけが頼りとなるのだが,只でさえ電話に出ようとしないのに,外だと尚更着信音が聞きづらいので困る・・・。
ようやく張り紙を終えて(明日朝一で行っても,席は取れなかっただろう)路駐した車に戻って,Kスタ周辺の渋滞をかいくぐり,何とか相方と合流して,ようやく10時半近くに帰宅・・・。
どっと疲れが出た・・・。
ビール(もとい発泡性リキュール)を1本空け,今2敗目もとい(不吉)2杯目のハイボールを半分ほど空けた・・・。


う〜ん,4失策じゃ勝てるわけ無し。
調子の上がらないまさおの足をすっかり引っ張った挙げ句,序盤のチャンスにあと1本が出ない・・・。
予想はしていたが今年も暗雲が立ちこめている・・・。
明日はヒメネスと唐川・・・。
何か行く前から勝負が決しているような・・・。
ま,黒い軍団見て飲んで騒いで野次って歌って暴れるのに徹してくるか・・・。


・・・にしても,ラジオ聞いていたら,右翼席の鴎応援団の声は鳴り物無しでがんがん鳴り響いていたのに,聖地の鷲応援団の声はさっぱり聞こえない。
ま,鴎の応援の見事さは確かに12球団1と思うが,これじゃどっちがフランチャイズか分かったものではない・・・。
ま,静かに落ち着いて野球見たい・・・と言うなら仕方ないが,私のように騒いでなんぼ・・・と思っている者にとっては,もっともっと分熱い応援がしたいものだ・・・。
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本年度最終作・・・

2012年03月29日 21時23分06秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

先月末から今月頭にかけて組んだものだが・・・。
アメリカ陸軍戦闘機リパブリックP47D-25-REサンダーボルト。
第56航空群第61戦闘飛行隊所属フランシス・ガブレスキー中佐乗機である。
面白いことに,WWIIでは日米のみ空軍を持たず,航空機は陸軍と海軍の航空隊に配属されていた。
この両国は空母を主力とした機動部隊を中核とした戦略をとっていて,それがぶつかり合ったというのは,歴史の必然だったということか・・・。
尤も米国の場合は,大戦後半に陸軍から第8,第9空軍といった具合に,航空機部隊が独立することになるのであるが・・・。


P47Dは,F6FやF4Uといった海軍機同様2000馬力級の空冷星形エンジンを装備した為か,かなりずんぐりした印象であるが,機動性は極めて高く最高速度は690km/hに達する。
見ての通り頑丈だったので,採用当初は独本土への爆撃機の護衛が主たる任務だったようだが,大戦後期により俊足で航続距離の長いP51Dマスタングにその任を取って代わられると,P47は優秀な戦闘爆撃機としてその力を発揮した。
本作が爆装しているのは,それが故であろう。
主翼裏面と胴体下面の白黒の帯は,インヴェイションストライプと呼ばれるDday(1944年6月のノルマンディー上陸作戦)の際の識別帯である。


素性の良いキットで,墨入れもスムーズにいったのだが,風防ガラスの枠が少々太すぎたようだ。
後はキャノピー前縁から機首のカウリング上部にかけてのラインが下を向きすぎでいるような気もする・・・。
夜な夜な作業・・・
墨入れは,シャープペンとガンプラ用墨入れペンを併用・・・
継ぎ目のラインを消したら完成・・・。
キャノピー下のバルカンクロイツは撃墜マーク。
サイドビュー。画素が荒れてしまった・・・。
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不気味な鳴動・・・

2012年03月27日 20時58分30秒 | 時事問題,ニュース

ん・・・揺れているか・・・
というのが第一印象。
小刻みな揺れがだんだん強くなる。
(長い・・・)
時間にして数10秒だっただろうか・・・。
髪が伸びて襟足と耳にかかり,鬱陶しくて仕方がなかったので散髪に行って,丁度店を出ようとして,刈ってくれたガノタの兄ちゃん(以前紹介したように,この店にはガンプラとスケール物が所狭しと飾られている)と「08MS小隊」の話をして,店長と四式重爆「飛龍」とキ109,そして「靖国」の違いを分熱く語っていた時だった・・・。
せっかくのマニアックな話題が途切れたのは残念だったが,仕方ない。
天井からテグスで吊られた1/48の雷電と零戦32型,四式戦が激しく揺れ,MGのガンプラが落ちるのでは・・・という揺れだった・・・。
一昨日は直下から突き上げるような揺れを経験したばかりだったので,すわ震災再び・・・と思ったが,しばらくして揺れが収まった。
震源は三陸沖(一昨日のは福島県沖)でM6.4。
最大震度は県北部と三陸沿岸で5弱。
我が町は震度3という発表だったが,かなり揺れたという印象だ・・・。


何か地雷原の上に乗っているようで不気味である。
さすがにある規模のものは・・・とは思うが,真綿で首を絞められるような感覚である。そろそろ備蓄した食料が賞味期限が近かったり減ったりしているので,今から買い出しに行かなくては・・・。
非常持ち出し用品も今一度確認である・・・。
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今月の休日製作・・・

2012年03月25日 18時11分43秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

一昨日,遂に泥酔してしまい大顰蹙だったことで,昨日から自己嫌悪に苛まれつつ,こまままでは無為な1日を過ごしてしまうと思い,午前中仕事に行き午後から仕上げました。


航空自衛隊戦闘偵察機RF4EJファントムII。
百里基地所属,第501飛行体所属機です。
前回組んだ305空のF4EJと金型は共通,したがって組みにくさも同様,特に最近細かいものが見えにくくなってきているので,1/144を組むときはえらく難儀します。
本分たる1/72を組みたいのですが,塗装・製作スキルが付いていけない部分が大きいので,ついついこうしたものに走ってしまいます・・・。


RF4EJの前任機は,何と朝鮮動乱で活躍したF86FをベースにしたRF86Fですから,空自のジェット偵察機は未だ二代目ということになります。
RF15Jの運用が凍結されたということなので,RF4EJもロートルながら使われ続けるということになります。
501空のスコードロンマークは,垂直安定板に描かれたウッドペッカーなんですね。
中には機種に口と歯を描いた所謂シャークティースも有るようですが,今回の機体にはデカールは入っていませんでした。
シャークティースと言えば,WWIIのアメリカ陸軍航空隊義勇軍のフライングタイガースのカーチスP40戦闘機が有名ですが,尖鋭な機首のF4もシャークティースが似合うはずです・・・。


・・・ということで,ようやく完成。
濃緑色を基本とした迷彩塗装なので,墨入れの甲斐は全くありません(泣)。
勿論,目一杯墨を入れましたが,見栄えは全くしません・・・。
それよりも何よりも,部品が細密すぎて,目がついて行かないことの方が問題です・・・。流し込み用接着剤とマークソフターを駆使して,ピンセットで部品を摘みながらの作業は骨が折れました。
スケールもの初(と思われる)多色成形(バンダイのガンプラでお馴染み)のフジミ1/72のF35J(勿論空自仕様)が欲しいです。
技Mixの同機(1/144)と値段変わらないし,エンジンがディスプレイできるし・・・。
光線の関係で,発色悪し・・・。
フィギュアは塗装したのだが,グレーのヘルメットが無塗装のようだ・・・(泣)
アレスティングフックが填らない・・・
このあたりがコンパクトデジカメの限界か・・・(ということにしておこう・・・)
305空のF4EJと。迷彩は地味だ・・・。
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ZEKE!!

2012年03月19日 20時55分58秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

結構前に組んだものですが,ようやく日の目を見ることに・・・。
海軍零式艦上戦闘機52型(A6M5)。
所謂ゼロ戦の最終量産型です。
一応,その後には54型と62型が有るのですが,数ではこの52型が最終と言って良いかもしれません。
零戦というと三菱重工製というイメージがあるのですが,戦闘機王国と言われた中島飛行機(現富士重工業=スバル)でも併行して作られていたことはあまり知られていないかもしれません。

翼端が縮まったせいか,寸詰まりな印象。童遊社1/100の最新作。
大戦初期,F2A,F4F(米海軍),P36,P38,P39,P40(同陸軍),スピットファイアMk.I(英空軍)といった連合軍機に対して,圧倒的な性能アドバンテージを持っていた零戦ですが,2000馬力を大馬力を越える大馬力にものを言わせたF6F,F4U-1D(米海軍),P47D,P51B/D(同陸軍)といった米軍機の開発により,大戦末期にはさすがに歯が立たなくなっていました。
52型は前作である22型よりも翼端を短くすることでスピードを稼いだのですが,大馬力にものを言わせて上昇した後に高速で降下するという一撃離脱戦法を旨とする米軍機には敵わなくなっていました。
勿論,零戦最大の武器は小回りを生かした空戦性能の良さですが,高速で振り切られたのではどうにもなりません。
単純比較は乱暴ではありますが,零戦52型と当時の米陸軍航空隊の主力であるP51Dマスタングの最高速度を比較すると,零戦が約590km/hなのに対して,マスタングは704km/hとなります。
勿論,戦闘機の性能は上記の通りドッグファイト時の格闘性能も重要ですが,振り切って逃げられたのではどうにもなりませんし,頭を押さえられた時点で負けです・・・。

サイドビュー。垂直安定板がやや大きいか・・・。
そういうことで,我々日本人としては,何とも苦い思いの機体となります。
零戦を終戦まで引っ張り続けたのは,物資の不足などによる次期主力艦上戦闘機烈風や局地戦闘機震電の開発の遅れが大きかったのでしょう。
英空軍の主力たるスピットファイアがMk.IからMk.22まで改良を重ねて高速高々度戦闘機として独機と互角に渡り合ったのとは対照的です・・・。
しかし我々は,国の守りとして最後まで死力を尽くして戦った最後の零戦を,決して忘れてはならないと思います・・・。
戦後既に60余年。
二度と戦火の空を飛ぶ飛行機の無いことと平和の希求を込めて・・・。
主翼前縁汚しすぎ・・・。塗装の剥がれ・・・と思って銀とグレーを薄く入れたが失敗・・・
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F1GP,2012−Rd1豪州GP

2012年03月18日 19時36分22秒 | 車&モータースポーツ

今,後追い再生して見終わりました。
しかし,予想通り英独銀の矢マクラーレンが来ましたね。
個人的には大いに気に入らないところですが,6位スタートのベッテルが辛くも2位に入ったことがせめてもの救いでしょうか・・・。
バトンの今日の走りは完全に横綱相撲で,全く付け入る隙が無かったです。
おまけに,ジェシカを含めたバトンファミリーを何度も映すし(ジェシカなんて10回くらい出たのでは?),銀の矢が好きではない私としては,不本意な結果となってしまいました・・・。
赤馬の凋落は,アロンソを持ってしてもどうにもならないのでしょうか・・・。
Q2でノックアウトでもシングルリザルトを得るのはさすがですが,ほぼルーキーのマルドナードに,終盤かなり追い詰められていましたし,マッサに至ってはなにをか況んやです・・・。
ルノー(あれをロータスとはどうしても呼びたくない)は仕上がりの良いところを見せ,Q1で落ちたライコネンも復帰第一戦でまずまずの位置をゲット。
面白い存在となりそうです。
そのルノーの心臓を15年ぶりで身に付けたウィリアムズも,さすが老舗。
最終ラップで縁石乗ってずっこけたマルドナードは残念でしたが,これも上位を攪乱してくれる存在になると面白くなることでしょう。
伊太利赤牛トロロッソと印度力は,昨年の速さを失ってしまったのでしょうか。
昨年同様,今から巻き返してくるのかどうか・・・。
今の時点では,ザウバーの方が仕上がっている感じでした・・・。


で,そのザウバーの可夢偉くんですが,予選13位という不本意な位置からスタート直後の混乱を辛くも切り抜け(リアウィングの右垂直安定板がぷらぷらしていたのに,よくぞ走り切った!!)入賞圏に車を導いたのはさすがです。
9位は堅いか・・・と思いきや,最終ラップでのマルドナードの単独スピン(たれたタイヤで縁石乗ったからか??)と相棒ペレスの失速(1ストップで,しかもオプションでロングスティントは,いくらタイヤに優しいザウバーでも無理でしょう・・・),そしてロズベルグJrの謎の失速は,粘り強く走ったことと果敢に攻めたことへのご褒美でしょう・・・。
ペレスは最後尾の22位スタートだったことを考えると,上出来でしょう。
ま,1ストップ作戦はギャンブルでしたが・・・。
・・・にしても,昨年黄緑だったヘルメットのカラーリングが,可夢偉同様フロント部分に赤が入ったので,益々可夢偉と見分けが付きにくくなりました。
最終ラップでライコネンに躱されたのは,解説陣と同様私も可夢偉かと思いました・・・。で,結局どこで可夢偉がペレスを抜いたのか分からず終い・・・。


・・・ということで,昨年私が見に行った日本GP以来バトンが勝ってしまい,あまり気分は良くないのですが(ファンの方には申し訳ない・・・),可夢偉の粘り強い走りに満足です。
序盤,各コンストラクターのマシンの熟成が進まない時期や,重馬場等の荒れたレースでは,是非上位勢を食うようなレースをして欲しいものです。
今日も赤馬をずばりと抜くシーンなど,久々に痺れました・・・。


次回は極東連戦なので,今週末にマレーシアのセパンですね。
タイトな1コーナーの次には狭いS字,バックストレートの果てにある最終コーナーもタイトで,混乱が予想されます。
次戦も可夢偉の走りに注目したいと思います・・・。

それにしても川井ちゃん,このサーキットの最初のウィナーであるデーモンを見て,
「老けましたね」
って,あーた同じ年じゃないのかい・・・。
確かにデーモンは頭真っ白だったけどさ・・・。
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お楽しみの始まりだ・・・

2012年03月15日 21時01分43秒 | 車&モータースポーツ

いよいよ明日,メルボルンのアルバートパークにて今期のF1GPが始まります。
以前ほどの渇迎感は無いものの,FISCOで行われた日本GP以来のファンとしては,やはり心嬉しいものがあります。
何故私ごときがF1に萌えるのか,ちょっと考えてみたい・・・というか,随分昔に書いた雑文を載せてみたいと思います。


以前,「ウィニング・ラン」(82)というレース・シーンのオムニバスのような映画がありました。
曲を矢沢永吉が提供したからかどうか,当時のヤンキーや族兄ちゃんたちが結構見に来ていました。
つまり,今以上にレース=スピード狂=暴走族=不良みたいな図式があって,モーター・スポーツというジャンルに対して,「あんなものスポーツではない(速いマシンに乗った奴が勝つ)。」という考えをする方が多いのではないでしょうか。
現に私の母がその典型で,日曜深夜に録画したF1のVTRを翌日再生しているのを見て,まさに上記の言葉を,そのまま私に投げかけたものです。
ただ,状況が微妙に変わってきたのは,1987年からでしょうか。
エンジンサプライヤーとしてのHONDAの躍進と日本人ドライバー中島悟のフル参戦,さらにはフジTVによる全線中継の開始,そして何よりもHONDAとCX(というか古舘伊知郎)が,まるでF1の代名詞のように前面に押し出した,甘いマスクのアイルトン・セナの存在が大きかったことは事実でしょう。
つまり,海の向こうの遠い存在だったF1が急に身近な,手の届くところに来てしまった,とでも言えばよいのでしょうか。そう,まるで芸能界のように・・・。世の女性たちは,ジャニーズの芸人たちよりちょっと大人の「セナ様」に憧れ,セナをイメージ・キャラクターにしたHONDAは,「クイント・インテグラ」だの「プレリュード」だのといった流線型の2ドアクーペを売りまくりました。
しかし,熱しやすく冷めやすい日本人のこと。
91年のバブル崩壊により,多くの日本企業がF1から退き(当時F1のスポンサーだった企業を列記すると,三越,Canon,Akai,Pioneer,カルビー,レイトンハウス,FUJI FILM,Epson,日本信販等々錚々たる名が・・),中島悟が引退。
さらには94年サン・マリノGPにおけるアイルトン・セナの事故死が拍車をかけ,浮動的な(露骨に言えばミーハーな)ファンは,前年開幕のJリーグへ大量に移っていったのです。
「まだF1なんて見てんの?」という言葉を私は何度も耳にしましたが,その裏には「あんなもん,今流行んねーんだぞ」が,あるわけでして,「全米ヒットチャート○週連続1位」とか「アカデミー賞○部門独占」とかいうマスコミの操作に簡単に踊らされる,日本人の体質が躍如としているように思われてなりません。
ま,それはどうでも良いこと・・。


では,何で今敢えてF1なのか?
まず第1にF1はかっこいい(笑)。
スポーツの世界で,限界に挑むアスリートたちの姿は美しいです。
例えば,航空自衛隊のF15のパイロットたち(通称イーグル・ドライバー)がスクランブルのために控えるアラートを撮影した映像を見たことがありますが,彼らの表情は皆一様に緊張感のみなぎったきりっとしたものでした。
極限のスピードで,肉体と精神と頭脳をも酷使するという点ではF1のドライバー(こちらはF1パイロットと呼ぶ)と何ら変わりがありません。
さらにF1マシンは,コンストラクターとエンジンサプライヤーがハイテクノロジーの粋を集大成させたものですから,戦闘機同様に,研ぎすまされた魅力的なフォルムをしています。


そして第2にF1は格調が高い(爆)。
カーレースの発祥の一つは,言うなれば貴族の娯楽です。
世界三大カーレースの一つ,F1モナコGPをご覧になれば,むべなるかなです。
つまり,ヨーロッパの伝統と格調を感じさせるものであり,絵画や音楽,映画と同様,ヨーロッパの豊かな香りを感じさせてくれるものと言えると思います。


そして第3に,世界に通用する日本人ドライバーの存在です。
今季も,BMWザウバーチームより参戦する小林可夢偉の走りに大注目です。
以前HONDAから参戦した佐藤琢磨も,世界に通用するドライバーでしたが,可夢偉はアグレッシブなファイターでありながら,冷静なレース分析とリスクマネージメントができるクレバーなドライバーだと思います。
昨年のモナコやモントリオールで,上位を走る見事な走りを披露し,リーマンショックによる和製コンストラクターの相次ぐ撤退後の「思い入れの出来るF1」を具現化してくれたのはまさしく可夢偉でした。
そしてトヨタの忘れ形見とも言うべき存在ですので・・・。


・・・という訳で,明日のFP1から録画するかどうか・・・。
緊張と興奮,そしてお楽しみの始まりです。
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分家が20,000越え・・・

2012年03月14日 21時39分18秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

分家のニコッとタウンのが訪問者数が,20,000人を越えました。
感謝の雑文を掲載しています・・・。
              ↓
http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=430582&aid=38149850
よろしかったらどうぞ・・・。
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White Day's Rhapsody

2012年03月13日 20時59分43秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

明日は14日だったことを思い出し,仕事を放り投げて下の子を学童保育に迎えに行き,その足で某大手スーパーへ。
小洒落た洋菓子店とかの方が・・・とも思ったが,義理チョコが多いので大量に購入できるスーパーの特設コーナーにした。


いや〜,あるわあるわ・・・。
バレンタインデーの火付け役だったというMary'sとかモロゾフといったところは勿論,キャラものもいろいろとある。
どうせ2つ(相方と下の子)を除いて自分の腹に入るわけでは無いのだが,カラフルなクッキーやチョコレートをあれこれ物色するのは意外に楽しい。
況してや,女性への贈り物であるから,若い頃のように反応やリアクションを予想しながら選んだ。
10分程度だっただろうか,あまり迷わずぱっぱと決めて,誰もいなかったレジへ。
会計をして,突如名前を聞かれたから何かと思いきや,ラッピングしてくれるとのこと。
10分待つだけというので,ありがたくやっていただくことにした。
商品の引換券を渡されるのに,名前を聞かれたという訳だ。


食料品は,昨夜赤札商品を大量購入していたので(爆),リカーのコーナーで酒を物色して,再び特設コーナーのレジへ。
この時点で7時近かった。
何と,さっきまで誰もいなかったレジに10人以上並んでいる・・・。
殆どが,私と同じぐらいか若干上といった感じのサラリーマンが殆どだ。
皆,それぞれ職場への義理チョコか・・・などと邪推する・・・。


待つこと10数分。
引換券を渡して商品を受け取り帰途につく。
ホワイトデー自体が定着したのは,多分私が学生の頃・・・と記憶しているが,商業資本とマスコミの煽りに乗せられてたまるか・・・とは思ったものの,やはり幾つになっても女性への買い物というのは心ときめく楽しい時間であることを再認識した次第。
そう考えると,おおっぴらにおねいさんに贈り物が出来る日があるというのも,あながち悪いことではない・・・と,大いに軟化した1日でもあった・・・。


さて,明日はどこでどうやって渡そう・・・。
家ではどうしよう・・・。
・・・などと考えつつ,今宵もまた一杯。
いつも通りの夜であった・・・。
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今夜も一杯・・・

2012年03月12日 20時38分17秒 | グルメ

清涼飲料水−つまりジュース類は,私にとって最も縁遠い飲み物・・・と思っていたのだが,最近ついついジンジャエールだのコークだのを1.5Lのペットボトルで買うことが多い。
冷蔵庫の上段に隠しておくのだが,だいたいは子どもが目敏く見つけて,飲まれてしまうことも少なくないのだが,何のことはない,ハイボールを作る際に使用するためである。
私は角瓶のおまけだった専用グラスで作るのだが,まず氷をいっぱいになるまで入れて,角瓶独特の亀甲模様の下あたりまで原液(今は黒角)を入れる。
そして8分目まで炭酸水(レモン入りがベスト)で割り,残りはジンジャエールやコークを入れる。
この2種類を常備しておけば良いのだが,上記の通りすぐに飲まれてしまうので,今は1本ずつ買ってある。
体に良くないのは周知なので,飲み過ぎないようにしてはいるのだが・・・。


若い頃は,コークハイなどをよく飲んだ。
コークの1L瓶を30円で引き取っていた時代のことである。
ひどいときなど,空き瓶を5本持って行って新品1本にしたこともある。
そうやって入手したコークで,安いウイスキーを割って飲んだ。
だいたいは,当時宇津井健が宣伝していたサントリーレッドだったが(オーシャンブライトとかハイニッカだった時も・・・。トリスはその後),とてもストレートで飲めるような代物ではなかったので(馬の小○と呼んで飲んでいた・・・),コークハイにでもするしかなかったのである。
それが今や,ワンランク上だったホワイト(ニッカだとブラックニッカ)より安い価格で当時の特級酒だった角瓶が買えるのである。
時代が変わったとしか言いようがない・・・。


・・・ということで,今宵もコークハイボールだ。
何でまたこんなことを敢えて書いたかというと,今日がコークの発祥の日だからである。
1894(明治27)年,ミシシッピ州ヴィックスバーグで瓶詰コカコーラが初めて販売されたのが3月12日だったという。
ノンカロリーのコカコーラゼロを飲んだ方が良いのかもしれないが,やはり赤いラベルのコークが美味しいと思う。
ペプシは安いが,甘いので個人的にはパスである・・・。
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3.11・・・・・

2012年03月11日 14時11分06秒 | 時事問題,ニュース

あの日から丁度1年。
間もなくその刻限になろうとしている。
そして津波が到達したのは,地域によって違いはあったもののその1時間後であった。
今思うと迂闊極まりないことに,大きな揺れの被害と家族の安否(相方がよりによって携帯忘れて,私も前夜充電せず,夜7時過ぎまで分からなかった)にのみ気持ちが行って,津波による二次災害にまで気が回らなかったというのが現状である。
実は,その3年近く前の2008(平成20)年6月14日の内陸地震の際も同様だった。
あの日は土曜の朝だったが,試合のあった上の子と相方を海浜の野球場まで送った帰り,偶然通った聖地Kスタ宮城の前で大きな揺れに遭った。
内陸が震源だったから津波被害は皆無だったが,昨年の地震のように宮城県沖が震源だったら,間違いなく助からなかったであろう。
何せ,その野球場(海浜緑地球場)は,去年の今日津波を被って現在も瓦礫置き場となっているくらいだから・・・。


私が今こうして家族と共に自宅で平穏に追悼番組を見たり,PCに向かっていたりできるのは只の偶然の所産でしかないのである。
市の中心部に程遠からぬ高台に居を定めたこと(市南部の平野部は,暖かいとは言うが,水が上がったことが有ったので敬遠したし,東部は実家に遠いので考えなかった),たまたま耐震免震構造の建物の中に居たこと・・・といった偶然が重なり,幸いにして生き延びることが出来たに過ぎない・・・。
知人の知人には,たまたま当日市内東部の海沿いに仕事で行き,災禍に遭って命を落とした者も居るし,海沿いの工場に勤務していた知人はごった返す西に敢えて逃げず,丘陵の走る北を目指してひた走って避難所に駆け込んで助かった・・・ということは以前書いた。
全くをもって人ごとではない・・・。
私と家族が同様な運命を辿るのに何の不思議も無かったのである・・・。


現在も34万人が居を失い,避難所での不自由極まりない生活を強いられている。
瓦礫の撤去は6%しか終わっていないとも言われる。
政府が出した原発問題収束宣言を信じる者は誰も居るまい。
こうしているうちにも一昨日来幾度とない揺れを感じる・・・。
1年で完全復興などあり得ないし,況してやあの日を境に生活と家族を失った人たちの傷は癒えるはずもない。
しかしそれが故に,残された私たちは自分たちの役割を全うしなくてはならないと思う。
被災地には多くの災害ボランティアが集い,勿論無償で必死で働いているという報を聞き,その姿勢に目頭が熱くなると共に,動きがとれないでいる自分を顧みて悔しい思いをすることもある。
しかし,今の自分に出来ることは,家族の安全を保証して養うこと,そして仕事を全うすることだと思う故に仕方ないとも思う・・・。
せめて季節が良くなったら,かつて訪れたことのある被災地を再訪し,香華を手向けてこようか・・・とも思う・・・。


各地では多くの追悼行事が行われ,我が町でもボランティアの方々の肝いりで,昨夜市内を一望する山で花火が上げられた模様である。
私に出来るのはせめて14時46分に合掌して黙祷を捧げることぐらいだが,哀悼の意を表すのに1曲貼っておく・・・。
せめて,あの時の思いを決して風化させない為にも・・・。
Bruckner Symphony No. 9 D minor ?Claudio Abbado Berliner Philharmoniker
Bruckner Symphony No. 9 D minor ?-2 Claudio Abbado Berliner Philharmoniker
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3.10・・・

2012年03月10日 21時38分08秒 | 歴史

明日の3.11のことしか頭になく,迂闊であること極まりないが,今日は67年目の東京大空襲の日である。
8.6,8.9 ,8.15と共に忘れてはいけない日だ・・・。


民間施設を攻撃すること自体が明らかな戦時犯罪なのであるが,この作戦を立案指揮した米陸軍航空隊のカーチス・ルメイは,日本は家内工業であるが故に民家は軍需施設であるという,理屈にもならぬ理由を述べたという。
日本空襲に使用する焼夷弾の実験のために,日本家屋を内装・調度品に至るまで克明に複製して,焼いてみたそうである。
当日は,先ず風下を焼いて退路を断っておいてから風上を焼くという作戦に出たため,隅田川は焼死体で溢れたという・・・。
10万と一口に言うが,とんでもない数である。
こんだけのことをされておいて,空自創設に功があったということで,我が国はルメイに勲章やったというのだから,お人好しを通り越している。
まあなぁ,GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)によって日本人は,自分たちが悪いことをしたと洗脳されてしまったからなぁ・・・。
東京大空襲に比肩するドレスデン空襲だって無差別爆撃だし・・・。


1945(昭和20)年の東京大空襲,50年後の1995(平成7)年の地下鉄サリン事件,そして昨年の3.11と,3月は哀悼の月だ・・・。
あと仙台市民としては,4ヶ月後の7.10も決して忘れたり風化したりしてはならない日である。
何せ一晩に1,000人もの命が失われたのであるから・・・。
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尻に火が点く・・・

2012年03月09日 21時08分59秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

前々から分かっていたことではあるのだが,不本意ながらこの時期仕事が佳境に入り,莫迦忙しい・・・というか気忙しい。
分かっているのだったら,前々からそれに向けて準備するなり,徐々に仕事を始めて貯まらないようにすれば・・・とよく言われる。


至言であるし,その通りである。
計画的に物事を進められる論理的な思考回路を持った方ならそうするだろうし,出来るのだろう。
が,生憎私にはそのようなものは備わっておらず,前々から周到な用意をして云々・・・というのは,何度かやりかけたのだが,都度挫折というか頓挫を味わってきた。
つまり,行き当たりばったりの人生を歩んできた私であるから,綿密な計画性とか周到性といったものは全く無縁のものであり,今後も変わらないであろう・・・。
どうやら,私は切羽詰まって尻に火が点かないとモチベーションが上がらない人種であるようだ・・・。


今まで何とかなってきたのは,多分追い詰められて切羽詰まった状況になると,爆発的な瞬発力と集中力を発揮してきたからではないだろうか・・・(ということにしておこう・・・)。
・・・ということで,山のような持ち帰り仕事の合間を縫ってinしている。
今夜も果たして上記のような爆発的な力を発揮できるかどうか・・・,それは私のみが知るところである・・・(偉そ−に・・・)。
さ,仕事しよ・・・(小声で・・・)
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「引き分け」だってさ・・・

2012年03月08日 19時46分30秒 | 時事問題,ニュース

今まで,北方領土問題に触れたことは1度も無かったと思う。
イデオロギーに関する話題は,個人の思潮の問題でもあるしナショナリズムとも直結する場合が有るので極力発信を避けてきたのだが,今回はいろいろと思うところがあるので,少しばかり述べてみたいと思う。


ロシアという北方の大国を語る際に,歴史上避けて通れないのが南下政策である。
つまり高緯度にある北の国故に,不凍港の確保はロシア帝国以来の懸案であり,その為に多くの戦争・紛争を経てきたとも言って差し支えないであろう。
その端緒は,何と17世紀のネルチンスク条約まで遡ることになる。
これは,清との間に交わされた北満の国境に関する条約であるが,強勢を誇った清帝国の時代であったが故に,不凍港を獲得するには至らなかった。
ロシア帝国の南下政策は,バルカン半島,中央アジア,そして極東地域の3カ所で行われ,近年では1979年の旧ソ連によるアフガン侵攻も紛れもなく南下政策であり,さらには第二次世界大戦でドイツの侵攻を退けて戦後の東欧諸国を衛星化した鉄のカーテンの時代も,南下政策と捉えて良いのかもしれない。
そうした意味でも,泥沼化したクリミア戦争や清帝国の弱体化につけ込んだアイグン条約や続く北京条約で遂に念願の不凍港である尼港(ウラジオストック)を手に入れたことは,ロシアという国家の体質が躍如していると思う。
つまり,強引としか言いようのない手段で他国を侵し,絶対返さないという・・・。


我が国とロシアの最初の接点は,多分1792年のラックスマンの根室来航と間宮林蔵による樺太と未来流行沿岸・沿海州の探査だと思うが(隣の国が国際世論で認められた日本海の表記を不当と言いがかりを付けて「東海」にしろ,と言ったように,間宮海峡の名を変えろという要求は無いのだろうか・・・と思って調べたら,ロシアではタタール海峡,中国では韃靼海峡と言うらしい),正式に締結された1855(嘉永8)年の日露和親条約においては,樺太は両国に境を求めずという内容だったし,続く1875(明治)8年の千島樺太交換条約において,樺太はロシア領で北方四島を含む千島列島は日本領と明記された。
つまり,北方四島は竹島や尖閣諸島と同様に,紛れもなく我が国固有の領土なのである。断じてロシア領ではない。
これに関しては,日本共産党ですら我が国の領土であることを主張しているくらいだ。


では何故,北方四島を含む千島列島がロシアが分捕ったのか。
それは,日ソ中立条約を一方的に破棄して,南樺太と千島(あとは満州)に押し寄せた囚人部隊の旧ソ連軍のせいである。
何のことはない,1945(昭和20)年1月のヤルタ会談後,アメリカの極東での利権独占を警戒するスターリンが,原爆投下後に突如として対日参戦(日本に分割案まで有った。マッカーサーが断固はねのけたので,朝鮮やドイツのようにならずに済んだのだが)。
押し込み強盗ややくざ以下のやり方で,南樺太と千島を分捕ったせいである。
一般に,昭和20年の8月15日に戦争は終わったとされるが,上記地域では20日を過ぎても戦争は行われていたのである。
否,戦争とは名ばかりで,南樺太や北満など殆ど蹂躙であった。


今回,大統領への返り咲きが決まったプーチンが,「引き分け」なる言葉を持ち出して,2島(歯舞・色丹)返還へ前向きの姿勢を示したという。
のだめ総理はそれを突っぱねた。
当然である。
歯舞・色丹は面積にして4島の7%に過ぎない。
「引き分け」など笑止である(軍事基地のある国後・択捉を返す言っても引き分けになぞならん)。
今回ばかりはのだめ総理に賛同するが,問題はこの後である。
今までのような及び腰外交ではなく,毅然とした態度での外交を望みたいが,望み薄であるのが何とも情けないところである・・・。
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もうすぐ1年・・・

2012年03月06日 20時57分14秒 | 時事問題,ニュース

1年前のブログを読み返すことが最近増えた。
あの時期−つまり震災の前後,いったい何を考え何をしていたのか,今更ながらに反芻することが多い。


被災地では,今尚不自由極まりない生活をしている人が多く存在する。
特に,二次災害である津波で生活と家族を根こそぎ持って行かれた方々のことを考えると,自分なんか被災していないに等しい故に心が痛む。
機会が有れば,現地に行って少しでも役に立てれば・・・とは思うものの,仕事を抱えている身としては不可能であり,それもまた気持ちが落ち着かぬ原因の1つとなっている。


いずれにしても,あの時の三日三晩の暗黒の闇の世界と,それに続くひもじかった日々を思うと今でも心が暗くなるのは事実だ。
否,被災していないに等しい私ですらそうなのだから,被災地で必死に生を模索されている方々にとっては如何ばかりだろうか・・・。
いずれにしても,あの時の思いを風化させてはならないと思う。
灯火の無い漆黒の闇の中で,物流が回復しなかったら最悪餓死もあり得る・・・と思ったあの暗澹たる思いを決して忘れてはなるまい。


間もなく1年になる。
来週の日曜日は,厳粛な気持ちで迎えたいと思う・・・。
持ち帰り仕事の最中だろうが・・・。
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