6時からBSを録画し,7時過ぎからビデオを回しました。
録画しつつ最初から再生できるとは,便利な時代になったものです。
今回はすべて203高地でしたね。
乃木の第3軍による第3次攻撃の頓挫と児玉への指揮権委譲,そして僅か半日での203高地占領がたっぷりと語られました。
とにかく,要塞攻略戦の惨状が見事な映像で再現されていたのではないでしょうか。
前にも述べたように,上陸作戦と要塞攻略戦は,とにかく遮二無二前へ前へと進むしかないわけですから,人が盾な訳です。
壕を掘り身を隠すも,真上から砲弾が降ってくればおしまいであり,そうした中を全身有るのみということは,戦争自体が既に狂気であるということでしょう・・・。
一度占拠した203高地を再び奪い返され,児玉が旅順に着いたのが12月1日。
その報を知った児玉は,第8師団の歩兵第17連隊を援軍として南下させることを大山満州軍総司令官に要請しています。
3日を配置転換に当て,虎の子とも言うべき28サンチ砲を移動。
攻撃は12月4日から再開され,翌5日夜には完全に203高地を占領。
「そこから旅順港は見えるか〜」
「見えます〜」
も,おそらく事実でしょう。
間髪を入れず,旅順港のロシア艦隊を砲撃したのは,さすがと言うべきでしょう。
この時点で,旅順要塞はまだ落ちていないのですから・・・。
児玉が乃木と会見し,指揮権を委譲された・・・ということになっていましたが,これは原作者の創作,という説が強いらしいです。
児玉は督戦には来たものの,乃木の指揮権に介入はしていないというのが真相では・・・と言われています。
このあたりも,司馬遼太郎を批判する側にとっては格好の材料となるでしょう・・・。
長州出身であった乃木と児玉の過去が手短に語られていましたが,追補すると乃木の師で吉田松陰の叔父であった玉木文之進は,前原一誠を中心とする萩の乱後に責任を取る形で自害しています。
松下村塾は吉田松陰が開いたと思われがちですが,開いたのは叔父の文之進です。
また,児玉は幼くして父を失い,姉婿をもテロで失ったということでしたが,児玉が13歳というと元治元年ですから,長州藩が暴発して京都に攻め上った禁門の政変直後になります。
尊攘派であった義兄次郎彦は,保守である俗論党に殺されたということでしょう。
しかし,これを見た所謂反日を標榜するサヨクの方々は,どう思うのでしょう。
先の大戦の原因が,藩閥政治のなれの果てである軍部による暴走と見るならば,薩長土肥の維新回天に功のあった人物(西郷・大久保・高杉・大村・坂本・江藤)を描き,我が国の帝国主義に拍車を掛けることになった日露戦争の勝利を描く司馬遼太郎の作品は,許せないもの・・・という論法になります。
現に若い頃私の周囲にごまんと居た反体制を標榜する輩は,皆司馬遼太郎が嫌いでしたし(だから読んでいない),山岡荘八なんて論外でした。
しかし,世に言う「司馬史観」とは,明治−善・昭和−悪といった短絡にして単純なものではないことは,作品を一読すれば分かりますし,長州藩の暴走気質がやがて陸軍軍閥の体質となって戦争に突入していったという事実も客観的にとらえられています。
生前,原作者が映像化を嫌って,不可能と断じたことは前に述べました。
短絡的な戦争賛美となることを恐れたこと,そして世界規模のロケーションとなることが最大の原因と思われますが,単純な戦争・帝国主義賛美ではないことは,原作を読んで本作を見れば一目瞭然でしょう。
考えてみたら,サヨクは端からこのような番組見ないか・・・。
次回は,奉天会戦とバルチック艦隊発見まで行ってしまうのでしょうか・・・。
旅順要塞は落ちていませんから,コンドラチェンコ戦死と文部省唱歌にもなった水師営の会見は語って欲しいところですが,今から来週が待たれてなりません・・・。
「本日天気晴朗なれど浪高し」
まで行っちゃうようで,急がなければ良いのですが・・・。














http://www.kokubou.com/document_room/members/kodama02.htm
昭和で陸軍の実権を握っていたのは、
長州系より陸軍大学校出身の将校が中心です。
田中義一の死後、徐々に長州系は官僚・陸軍の両方で影響力を失っていったはず。
戦前の政党政治の終焉も、立憲政友会が海軍艦隊派と結託し、ロンドン軍縮条約に批准した浜口内閣を攻撃する材料に統帥権干犯問題を持ち出したことが一番の原因です。
陸軍はともかく、政治の世界では長州閥というものは存在していなかったと思います。
敷いて言うなら、「伊藤系」と「山縣閥」。
その山縣閥も長州勢ばかりかと思いきや、大浦兼武・平田東助・小松原英太郎・岡田良平・一喜木徳郎・芳川顕正・伊澤多喜男をはじめ、意外と他藩出身者が多いんですよね。
伊東系も同じく。
この方々は、弊害もありましたが、国の発展に貢献したところも少なくなかったですね。
貴重なコメントありがとうございます。
仰るとおり,単純に長州閥と呼ばれるものは,元老山県の死と軍部の台頭の中で消えていったということでしょう・・・。
貼っていただいたリンク先に飛んでいったら,どっぷりと填ってしまいました(笑)。
興味深いサイトのご紹介,唯々感謝です。
本当にありがとうございました。