風通庵-直言

ヨモヤマ話

格差社会に風穴を開けて-----

2009-12-05 09:41:45 | Weblog
 自民党政権が実施した定額給付金や、民主党政権が推し進めている「子ども手当」には、格差社会に風穴を開けて、活力を取り戻す視点がないとは、わが愛読の産経新聞<産経抄>(21,12,1、)の指摘。だが、ブロガーの実感では、いまほど格差のない社会はないと思うのだが。
 さて、
 NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」の一場面から、「大阪に無料の学校ができた」と没落士族の16歳の風呂たきの少年の主人公は師範学校から云々と、無料の学校ばかりを選んで進んだ。学問をしたいと念じながらも、親の事情でそれがかなわない子どもたちを救った戦前の学校をモデルに、授業料一切無料の国立学校を設立してはと産経抄は提案する。
 その一つ、
 戦前の師範学校。各府県に1校、大都市では2校か。5年制で全寮制、学費一切無料。一種の奨学金で所定の年数教職に就けば返済免除である。貧しい家庭の秀才が多かった。従って教師は聖職で、「○○訓導」と称された。さらにその上に高等師範があった。それだけに先輩後輩の結びつきや同窓意識が強かった。私事ながらわが母親、貧農の生まれながら、9人兄弟のうち4人までが師範学校出身であるのは、この制度による恩恵。
 そして、その二、
 古くて懐かしい言葉、それは「書生」。学業優秀な地方の貧乏学生を東京の自宅に引き取って、学費の面倒を見る資産家や、政治家、財界人の存在を、もう一つの手立てとして産経抄は指摘する。
 「書生」には二つの意味がある。一つは「学生」の古語。坪内逍遥の「当世書生気質」がその例。もう一つは、上で述べたいわゆる「食客」の意味。仄聞するに、海部俊樹元首相は三木武夫元首相の書生であったとか。政治家の講演会には必ず書生達が前座を務めた。
 わが先輩の書生経験者の一人は、大正から昭和初期の頃、さる大企業の社長宅の書生として寄宅し、卒業後はその企業に就職。生涯の師であり、恩人として書生時代に貰った色紙を終生卓上に飾っていた。その企業はいまも一部上場企業として存在する。
 もう一人の経験者は、やはり大学時代。夫婦げんかで家出しているのに、8畳と10畳の二間の二階借りをして、8畳に本人が住み、10畳に二人の書生。聞けば笑いたくもなるが、どうやら格差社会の上の方の人のよう。家出人で、働かなくても書生を置いての生活で、そんなところでの書生でも、貧乏学生の学生生活は安泰であったと笑っていた。古き良き時代である。
 いま、落語家の内弟子制度がささやかながらそんな面影を留めている。何しろ、アカの他人を食客として住まわせるのだから、「心と心」、「情と情」の絡みである。法的な根拠もなければ、相互の権利義務もない。そんな情誼で成り立つ社会こそ、いまや望まれる。
 と、産経抄を読んで、若き頃に先輩から聞かされたそんなエピソードを思い出した。

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