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「兵士のアイドル」「妹たちのかがり火」 女性と戦争

2017-08-10 15:14:07 | 読書
先日、原節子さん、ご出演の戦意高揚映画「望楼の決死隊」を書きましたが、私はこれまでにも、彼女が出演した「ハワイ・マレー沖海戦」、「決戦の大空へ」、「上海陸戦隊」を観てきました。
つまり、原節子さんはいくつもの戦意高揚映画にご出演されていたのです。
だけど、戦意高揚映画に出演した女優さんは、ほかにも田中絹代さん、木暮実千代さん、李香蘭として名を馳せた山口淑子さんなど、沢山いらっしゃったようです。
そして、いずれも当時を代表する美人女優さんが多かったみたいです。

原節子



田中絹代



木暮実千代



李香蘭(山口淑子)

ところで、なぜ、彼女らは戦意高揚映画に出演していたのでしょうか?
兵士が勇敢に戦うだけなら、女性を出す必要はまったくないのでは?
ところが、戦時中に兵士向けの慰問雑誌が作られていたのを知り、その謎が解けたのです。
「兵士のアイドル」著者押田信子
著者の押田信子さんは六年かけて、慰問雑誌の研究を続け、この本を書いたそうです。



その慰問雑誌は軍部が発注したもので、陸軍の兵士には「陣中倶楽部」、海軍の兵士には「戦線文庫」がそれぞれ発行されていたとか。



そして、そのいずれの雑誌にも、当時、大人気だった美人女優のグラビアが巻頭を飾り、肌もあらわな水着写真まで載っていて、雑誌の中身は、いまの青年誌にも劣らない艶やかな女性を描いたイラスト、芸能ゴシップ、大衆小説や映画情報、漫才や落語など、さまざまな娯楽コンテンツで満ちていたとか。


なぜ、軍部がそうしたものを兵士向けに発注していたかと云うと、押田さんはそれを、「美しさと、セクシャリティが兵士を元気にするためには必要だった」と指摘しています。

「私の父もシベリア抑留の経験者。だから兵士は若い人というイメージはなかったけれど、よく考えれば、10、20代の若い人が戦地に行っていたんですよ。もともとはアイドルに旗を振っていたような男の子たちですよ」

「そんな人たちが、いつまで続くかわからない戦争に行く。勝てないと帰れない。友人が死に、傷つき、マラリアやコレラなどの流行病になる。そうすると、いちばん疲弊していくのは心ではないでしょうか」

だからこそ、慰問雑誌には「メンタルケア」の役割があったのではないかと、押田さんは推測しています。戦場で疲弊し続ける若い兵士たちに「夢の世界」を提供するものであると。

彼女たちの笑顔は「精神を弛緩させるためのモルヒネ」だったのかもしれません。

これは、美人女優が戦意高揚映画に出演していた理由に、そっくり当てはまらないでしょうか?

そして、美人女優に「戦争、頑張ってね」と言われた方がより戦争に対する張り合いが起きたのかも知れません。


そこから、私は女性から見た戦争についても知りたくなりました。
戦争に関するものは、今も終戦記念日の前によくテレビで放送されていますが、そのほとんどは男性が作ったものですから。
そこで、私は今年の春頃、ブログに書いた「めもあある美術館」の著者、大井三重子さんが編集した「妹たちのかがり火」という文集を読んでみました。
この本には、戦争で、兄を失った妹たちの思い出が綴られています。

まず、この文集が出来た背景から説明しますと、昭和四十四、五年頃、大井三重子さんが新聞を読んでいて、戦死したお兄さんのお話が投書欄にいくつも載っているのに気づいたことから始まったそうです。
そこで、大井三重子さんは自分の気持ちを発表する場を持たない無名の女性たちが話したがっていると感じ、もう少し大きな場所を与えて語らせることは出来ないだろうかと考え、新聞に投書してみたそうです。
すると、溢れんばかりの思いを綴った手紙が何通も大井三重子さんのもとに届いたそうです。
「自分の息子が戦死した兄の年齢に達して、改めてあの頃が思い出される。」「両親や、生前の兄を知っていた人たちが世を去って、兄のことを記憶しているのは私くらいになった。」「こういうことがあったのだと、次の世代に伝えたい。そのためにも、今のうちに兄のことを書いておきたい。」

そういう熱い思いから、この文集は作られたようです。

この「妹たちのかがり火」は第三集まで作られたそうですが、私は第一集に載った四十編のお話を読んでみました。

それには、それぞれの家庭の妹から見た兄が出征してから戦死するまでの様子や、父母の姿が、生々しく書かれ、家族を思う妹の愛情がにじみ出ています。

この文集によると、戦死したほとんどの人が、大正時代に生まれていて、十代から二十代の若さで、召集令状が届いたのを機に戦地に赴いています。
その年齢ですから、みんな将来への夢を持っていました。
また、両親が苦労して育ててくれたので、一生懸命働き、早く楽にさせてあげたいと思っていた人もいたようです。
出征して戦うことに躊躇した人も少なからずいたようですが、そんな息子の姿に渇を入れたのが、父親で、「お国のために尽くす絶好の機会を与えられたのだから、頑張ってこい」と励ます父親が多いのです。
それが、明治気質というものでしょうか。
だけど、戦死したという報せに落胆し、涙する父親の何と多いことでしょう。
おそらく、本音の部分では息子を戦争に征かせたくなかったのかも知れません。

兄が出征する時、負けいくさだから、生きて帰れないだろうと、父母、妹たち家族をみな呼んで、「長い間、お世話になりました。」と言って、覚悟を決め、最後のお別れの挨拶をした人もいたみたいです。
また、長崎の原爆で、家が火事になり、家の下敷きになった母親を助けようとした兄が、どうすることも出来ず、「早く行きなさい。」と母親に言われ、泣く泣く、その場を離れ、そのあと、母親は猛火に包まれ焼け死んでしまった。

その母親のおかげで、兄は何とか命は助かったものの、その数日後に原爆症で亡くなったというお話は戦争の惨さを痛感せずにはいられませんでした。

自分の命より、息子のためを思って死んでいった母親の願いが届かず、可哀想でたまりませんでした・・・

この文集は、ほかにも戦争で亡くなったお兄さんに対する妹たちの思いが溢れていて、どれも胸を打たずにはいられませんでした。


今また、戦争の危機が起ころうとしているこの時期、戦争について、もっと知るべきではないかと、この文集を読んで、強く思わされた次第でした。

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