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映画「勝手にしやがれ」ジャン=リュック・ゴダール

2012-02-11 18:03:23 | 映画・テレビ
無性にむしゃくしゃしていた。

どうしようもなく、悔しくて、やりきれない気分だった。

こんな心境にあった映画を観てみたかった。

そんな時、ふと以前から、気になっていた映画を、思い出した。


「勝手にしやがれ」


この映画がヌーベルバーグの第一人者ジャン=リュック・ゴダールの作品なのは、説明するまでもない。

ヌーベルバーグとは1950年代にフランスで起こった新しい映画手法で、主にオールロケ、即興演出、同時録音を駆使して作った映画を言うらしい。

その頃、映画はすでに長い歴史を重ね、方法論を確立していたが、既成の常識に飽き足らなかった当時の若者はそれまで営々築き上げてきたものを、メチャクチャにぶち壊し、自らの手で再構築を企てたのである。

その記念すべき作品が、この「勝手にしやがれ」なのだ。
ここに描かれるのは、ジャン=ポール・ベルモンド演じるミシェルという既成の道徳観念に捕われない無軌道な若者で、平気でお金や車を盗んだり、警官を射殺したりする。
女だって、抱きたいだけ抱く。

彼にはモラルや自制心はないのか?

ミシェルの内面には、自分でもどうしようもないほど熱い情熱が渦巻いているのだ。

そんな彼が、気になったのはアメリカから来た留学生のパトリシアという女性である。

ミシェルは足しげくパトリシアのもとに通う。

それは何のため?

過去も未来もなく、ただ現在さえ楽しくあればと思って生きてきたミシェルを、パトリシアがもしかしたら別の世界に連れ出してくれると思ったからかも知れない。

ミシェルが、パトリシアに、大金が入ったら、一緒にイタリアに行こうと言ったのは、そうした理由からなのでは。

しかし、パトリシアはミシェルを愛しているのか計りかねていた。
ミシェルに抱かれたのも、彼への愛を知りたかったからなのだ。

やがて、パトリシアは刑事からミシェルが殺人犯だと知らされ、彼の居所を話してしまう。

そして、刑事に話した事をミシェルにも正直に打ち明けるのだ。

だが、ミシェルは逃げない。

そのあとのミシェルの言葉が意外だった。


ゴダールは、それまでの人間のあるべき姿を壊し、新たなヒーロー像を我々の前に示したのではなかったのか?


ミシェルはブザマな姿を晒したまま、この映画は幕を閉じる。


この映画はゴダールの宣戦布告だったのである。

ありきたりの教条主義的で道徳的な、いかがわしい面を一切排除し、ゴダールなりの偽りのない道徳観を我々の前に示し、新たな時代の到来を告げたのだ。


海が嫌いなら

山が嫌いなら

都会が嫌いなら


勝手にしやがれ!












 
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キーワード
勝手にしやがれ ベルモンド
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