寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

寺田正男 高等学校へ行く(65)

2016年12月30日 13時42分51秒 | 寓話

 大川高等学校のマラソン大会は、稲刈りが終わった11月

中旬頃に行われることになっていた。校庭を1周して校庭の

南門をでて少し西に行き国道に出て南はまっすぐ進む。三

森町の北側に掛かっている小野田川の橋を渡って少し先の

ところで折り返し、往路をたどって校庭に着く。往復24

kmの行程だった。1年生の大内雄一郎という生徒が入学後

陸上競技クラブに入り、いつも校庭を走っているのを全校

生徒が観ていた。初めは変わった奴だといわれていたが、

運動会のときにその存在が認められ、今度のマラソン大会

では優勝候補にあげられていた。マラソン大会の上位に入

るのは毎年運動部に入っている生徒が占めるといわれてい

た。

 運動部の生徒といえば、正男は中学の野球大会でひどい

負け方をした大新田中学の横川春男という生徒の姿を行程

で見たことがあった。もうすっかり大川高校野球部のエー

スになっているようだった。体格は正男が少し大きくなっ

たとはいえ、並んでみるとまだ2倍くらいの大きな体をし

ていた。もう一人、大新田町の西側の西小野田町の中学か

ら入学した高橋徹という生徒も、体格では横川春男に劣っ

てはいなかったがちょっと地味な感じで横川春男の方がい

つも表面にでている感じがした。夏の野球大会では2人で

投手の2本柱として活躍したが大川高等学校は県代表には

なれなかった。

 マラソン大会当日、天気は快晴だった。東寄りの風が少

し吹いていたが走るのには絶好の天気だった。正男達は病

気とかその他の理由で参加できない生徒を覗いた全員が学

年クラス別に運動場に並んだ。校長の話があり体育の教師

が注意事項を読み上げて、いよいよ号砲が鳴った。生徒は

3年生から暮らす順に運動場の南門から走り出ていった。

正男も少し緊張した顔を見せながらも元気に走り出した。

正男が10km地点を通過したとき、もう戻ってくる生徒

がいた。先頭集団の着ていたランニングシャツには全員大

川高校とか大川とかローマ字が縫い付けられていた。これ

は何かの運津部に入っている証拠だった。後で正男が聞い

た話では、毎年各運動部の間である運動部の先着5人の順

位でどの運動部が優勝するかを決めることになっていたと

いう。もちろんこれは高等学校の優勝者とは別の話でそう

だが。正男も必死に走った。中学のマラソン大会では、正

男の後にはあまり生徒がいなかったのを情けないと思った。

 折り返し点では、係の先生と生徒が走者の上腕や肩の辺

りに紫色の高校名の書いてあるゴム印を押していた。生徒

が次々に走り込んでくるのでゴム印を押す人も懸命にゴム

印を押していた。折り返し点の少し先に現在何人目か順位

を知らせる小さな黒板があった。正男が通過するときの順

位は600から650番の範囲だった。正男は何とか50

0番台以内に入りたいと懸命に走った。

 正男が運動場の南門に付いたときには、500番台以内

には入れなかったが、最終的には600番台中間だった。

正男はそれでも頑張ったと自分に言い聞かせた。この後出

発時間の調整をして正式な順位が発表される。生徒達が飲

み物を口にしながら仲間どうしで話しながら休んでいると、

合図の鐘が鳴りいよいよ正式順位と時間が発表された。1

位はやはり大内雄一郎だった。彼はこれがきっかけで、当

時日本のマラソン大会でも優勝し続けた外国人のザトペッ

クという選手の名を付けて大川高校のザトペックと呼ばれ

るようになった。その後も彼は登校すると必ずといってい

いほど運動場を走っている姿を見かけたし、昼休みや放課

後は日課のように走っていた。

 マラソン大会が終わると2学期の試験がすぐやってくる。

正男は、2学期はいろんなことがあったのであまり勉強す

る時間が無かったので心配だったが何とか無事に済んだ。

そしていよいよ。 初めての冬休みになる。正男はその頃、

大新田町の魚屋の息子浅川伸之と親しくなった。仲がよく

なったきっかけは中学時代に正男が母親と大新田町へ野菜

を売りに行ったき、帰りに魚を買った。そのとき店番をし

ていた男の子が伸之だったのだ。彼が学園祭のときに正男

の展示の説明を聞いて、ぽんと膝をたたいた。それを何故

かと聞いた正男に、伸之は、君は前に大新田町に野菜を

売りに来たことがなかったかなあ、と訊ねた。それがきっ

かけで話しをするようになり高校の帰りに時々魚を買うよ

うになった。彼がいるときはこれはと思うほどおまけをし

てくれた。それで正男も登校途中に野菜を届けるようにな

った。今年初めて採れた大豆の新豆を持って行ったときに、

彼の母親が、学校の帰りに必ず寄るように言ったので、店

によるとこれを持っていきなといって大きな袋を待たせて

くれた。その中には目刺しやサンマのみりん干し、そのほ

かの干物がたくさん入っていた。それを弘に見せると、弘

はこんなにもらっては申し訳ないなといって後日畑で採れ

たものをもって挨拶に行った。

 

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