寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

寺田正夫 高等学校へいく(173)

2017年06月09日 14時48分26秒 | 寓話

 明子の祖母は2人の前に甘酒と和菓子をおいた。

「今日は少し冷えるわね。それで甘酒を作りました。正夫さん

は甘酒はどうかしら」

「初めていただきます。私の住んでいる諏訪村では、どぶろく

というのを農家の人が作っているようですが、僕はどういう

ものか分かりません」

「それではお飲みになってから好きになるといいわね」

「はい。いただきます」

 といって正夫は初めて甘酒を口にした。甘酒というので酒

が入っているのかと思ったが、正夫には甘いおかゆだと思っ

た。

 明子は正夫の所作を期待を込めてみていた。

「美味しく好きになりそうです。初めは甘いおかゆのようだと

思いました。それから甘酒というのでお酒の一種かと思いま

したが、お酒の匂いはしませんでした」

「そうね。これはお酒じゃないのよ。ただお酒の成分を絞った

ものなので温めているときにはお酒の香りがするけどすぐ抜

けてしまうので大人でなくても飲めるのですよ」

「寒いときは、ジュースもいいけど私は甘酒の方が好き」

 と明子は、正夫に同意を求めるように言った。

「そうだね。体中が温かくなってきました」

「それではおじいさんのお話をしましょうか」

 正夫は、明子が緊張する様子が分かった。正夫は明子の隣

に席を移した。

「明子さんには、しっかり聞いてほしいの。おじいさまは一昨

年の夏頃から体調が優れなくなり出したのよ」

「そんなに前から体調が悪くなっていたの。私毎日お会いし

ていたのに少しも気がつかなかったわ。おじいさまごめんな

さい」

「明子さん、落ち着いて聞いてね」

「はい。おばあさま」

 明子は顔を正夫に向けた。正夫はおばあさんの前だったが

明子の手を握った。

 それで明子は少し落ち着いたようだ。しかし正夫は自分

が明子の家でこんなに表面に出ていいのだろうかと疑問にな

った。自分の態度が図に乗りすぎているとも感じた。それと

いうのも明子を初め、明子の祖父母もなんとなく正夫を頼り

にしているように思えるから、ついその気になってしまった

ようだ。

「明子さん落ち着いて聞いてちょうだいね」

「はい。おばあさま」

 こうして明子の祖母は、夫のことを明子に話し始めた。正夫

にも聞いて下さいというので正夫も話を聞くことにした。

「只野は、一昨年の夏のある日、身体がだるいといいって掛か

りつけの杉下医師にかかった。杉下医師は丁寧に診察をした

後で、私の知り合いの病院を受診して下さい。紹介状を書い

ておきますからといった。只野はそんなに大変なことになっ

ているのかと不審に思ったが、紹介された病院に行った。すぐ

に杉下医師の知人という山野医師の診察が始まった。初めに

これまでの経過を問われた。医師は只野の話を書き留めてい

た。初めて体調に異変を感じた時期までのことを聞いてから、

山野医師は問診の次に内科的な一般診察をした後で採血をし

た。更に念のためといって胸部と腹部のレントゲン撮影をし

た。山野医師は検査結果についてお話ししますので奥様とご

一緒に明後日、今日と同じ時刻においで下さいといった。そ

の日はそれで終わった。

「2日後、只野は私とともに病院へ行きました。山野医師は丁

重に2人を診察室へ招き入れ腰掛けさせた。

「今日の体調はいかがですか」

「はい。お陰さまですっきりした気分で朝を迎えることがで

きました」

「それはようございました。これから只野さんの身体の状態

を診察し・検査した結果をお話ししますが、落ち着いてお聞

き下さい」

「はい」

「初めに結果からお話しします。只野さんは、少し肝機能が

弱っているようですね。しばらくの間お薬を飲んで消化のよ

いものを召し上がるようにして下さい。そして1ヶ月後にま

たおいで下さい」

「はい。分かりました。少し不安があったのですが、少し気が

楽になりました」

「それでは今日はこれで。奥様に食事のことでお話しがあり

ますので残って下さい」

「はい」

「只野は、診察を出て待合室へ行って妻を待つことにした。

 山野医師は、私にちょっとこれをご覧下さいといって、1枚

のレントゲン写真を見せた。

 私は、写真を見ても何も分からなかった。山野医師は写真

を見せながら説明し始めた。

 私は、只野とのこれまで生きてきたこと、戦争の犠牲者に

なった息子のこと、そして何かあったときの明子のことも、懐

かしさと悔しさとそして希望が頭の中を通り過ぎていったわ。

その間失神したような状態になっていたらしいのね。

「もしもし、奥さん。分かりますか」

 私は、はっとなって医師の顔を見た。山野医師は怪訝な顔

をしていた。

「あら、済みません。ぼーっとしてしまって」

「そうですか、お話を続けても大丈夫ですか。お話しは次の機

会にしましょうか」

「いいえ。申し訳ありませんでした。すみませんが初めからお

願いできますでしょうか」

「もちろんですよ」

 といって、山野医師は淡々と写真の説明を始めた。初めに

只野に説明の内容をそのまま伝えることがよいかどうかを考

えて下さいといった。その頃は、まだ重大な病気は本人に告

知することはなかった。と前置きがあって山野医師は只野の

容態を説明しだした。

 只野のレントゲン写真を見ると、肝臓には豆粒大の影が数

個映っていた。それはおそらく大腸から転移した腫瘍だとお

もわれるということだった。医師は、このまま放置しておく

と、数年で肝臓機能が損なわれる可能性がある。そして同時

に大腸の検査も必要だという。大腸の検査はまだ試作段階で

実用化されていないが、山野医師の友人が東京の大学病院で

開発に関係していて試験を行なっている。もしかしたらそこ

で検査ができるかもしれないという。

 この件はご主人と相談して受けてみたいかどうかを考える

ようにといった。受けると決まったら手続きをしましょうと、

おっしゃってくださったの。

「只野は、東京へ行くことを決心したの。それがその年の12

月中旬だった。

1週間入院して試験的な検査を受けることになった。それは

胃の検査装置だったのだが山野も希望したので大腸に応用し

てみることになった。大腸検査を進めるうちに山野医師の表

情が自分でも分かるほどに険しくなったといっていたわ。只

野の大腸には多数のガンのようなものが発見された。それで

すぐ大学病院に入院して、山野医師の立ち会いの下に大腸の

大部分を摘出する手術をおこなった。

 それで一時的とはいえ普通の生活ができるようになったの。

翌年つまり去年10月頃に再び体調に異変が出てきたの。初

めは軽い黄疸が出たわ。その頃、明子が、大川高校へ正夫さ

んを訪ねて友達といった。明子はすっかり正夫さんのとりこ

になってしまったのね。そして家へ呼んで私たちにに会って

ほしいと言ってきた。

 只野は、自分の寿命を知ってたのね。それで正夫さんに合

うことにしたの。正夫さんを目の前にして言うことじゃない

のだけど、只野は正夫さんと会って話をしているうちに、明

子は素晴らしい人を連れてきたと言って大変喜びでした。そ

れは私も同じです。明子さんありがとうね。私たちに夢を持

ってきてくれて」

 おばあさんの話は、前回きたときおじいさんから聞いたこ

とを詳しく語っていた。

 正夫は、只野さんが正夫に何度も何度も明子のことを頼む

と言ったことの意味がはっきり分かった。正夫は明子の方を

そっと見た。明子は目に涙をいっぱいためていたが泣いては

いなかった。正夫は明子の手をしっかり握った。

 明子はそれに答えるかのように正夫の手をしっかり握り返

した。おばあさんはそんな様子を見て安堵したようだった。

明子は、祖母に、

「おばあさま。お話ししなければならないことがあります。

私は、正夫さんと結婚の約束をしました。まだ先のことです

が、お許し下さい」

「そうなの。明子さんおめでとう。そして正夫さん、明子の

ことをよろしくお願いします」

 と言って立ち上がって深々と頭を下げた。正夫もすぐ立ち

上がって、

「私はまだ半人前にもなっていませんが、一人前になって明子

さんを大切にします。これからも懸命に頑張りますので、よ

ろしくご指導下さい」

 と言って深々と頭を下げた。明子も同時に頭を下げた。

「嬉しいお言葉をいただきました。明子さんよかったわねえ。

おめでとう」

 こんな言葉をおばあさんに言われたのは初めてだった。

「今のお話を只野に伝えてきます。正夫さんも明子さんも疲

れたでしょう。明子さん、正夫さんに甘酒をもう一杯差し上

げて下さいな。お菓子も忘れずにね。残すことはないので

全部召し上がっていただきなさい」

「おばあさま。ありがとう」

 祖母は少し肩の荷が下りたように階段を上がっていった。

明子は正夫の手を離してキッチンへ行った。

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 寺田正夫 高等学校へいく(1... | トップ | 寺田正夫 高等学校へいく(1... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

寓話」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。