寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

寺田正夫 高等学校へいく(194)

2017年07月14日 01時31分09秒 | 寓話

 正夫と明子はピアノ発表会の日の予定を確認していた。

「それじゃ、前の日にここへ来ていただいて用意してあるものを

持って仙台へ行く。そこでホテルにチェックインして、私は発表

会の会場へ行ってリハーサルに参加する。その間、マオさんは会

場の座席にいてもいいし、会場の近くを散歩してきてもいいわ」

会場の周りに何か見るところがあるのかなあ。でも僕はアコの一

部始終を見ていたいなあ」

「それじゃ会場にいてね。リハーサルが終わる私は少しの間仲間

達とお話ししてホテルに戻るわ。その後はマオさんとズーッと

一緒よ」

「ホテルでは練習しないの」

「ホテルでは練習できないの。ピアノは先生の話によると、生き物

のように周辺の雰囲気で音色が変わってくるらしいのね。それで、

なれないピアノで練習すると感じが変わってくるの。だからホテル

にピアノがあっても使えないの」

「そうかあ。音楽をやる人は微妙な感覚を持っているんだねえ」

「私はまだその域に達していないけど、先生はできるだけ気をつけ

るようにと教えて下さった」

「それじゃ、その日はゆっくり休むんだね」

「それはだめなのよ」

「なんでさ」

「私はもう、マオさんの近くにいつもいたいのよ」

「わかったよ。僕はいつでもアコと一緒にいるから安心しな」

「ありがとう。発表会当日は、朝起きて8時30分までに会場へ着く

ように出発するは。マオさんも一緒に来て下さるわね」

「もちろんさ」

「演奏が終わるまで少しの間、寂しいでしょうが一人で会場で待

っていてね」

「アコの晴れ舞台を見ることができるんだから寂しくないさ」

「発表会の後のパーテイは一緒に出席してね」

「アコが、そう望むなら出席させてもらうよ」

「ただ、近くにいるだけでいいのよ。私はいろんな人と挨拶するけ

ど、あなたは傍にいてくれるだけでいいの。もちろん私が紹介した

ら挨拶をしてね」

「僕がいてもいいのかなあ。アコの邪魔にならないの」

「何いっているのよ。あなたは明子の大切な人なのよ」

「わかった」

「それで発表会の行事はすべてすむの。その日の夕食はおじいさま

とおばあさまのご招待ですって。私もどんなお店か知らないの。楽

しみだわ」

「ちょっと心配になってきたよ。そんなに出費させてしまうのは気

が引けるなあ」

「何いってるのよ。祖父母ができないことをマオさんにお願いするん

だから気にしないでいいのよ。祖父母はマオさんにどんなお礼をし

たら良いのかと悩んでいるみたいよ」

「とんでもない。お礼なんて」

「でもおばあさまもどうしましょうって私に相談するの」

「それじゃ、僕が今一番望んでいることを伝えてほしいんだけど」

「いいわ。なんでも言って」

「僕が一番望んでいることはね。おじいさまが元気になって下さる

ことだよ。それ以外は何もないっていってくれる」

「正夫さんって。ありがとう。あなたってほんとに優しいのね」

 明子は正夫の顔をジーッと見つめていた。その目が潤んでいた。

正夫も明子を見つめていた。そっと近づいて明子の目を素手で優し

く拭いてあげた。

 明子は正夫の胸に顔を埋めた。正夫は優しく明子を抱いて肩をな

でた。正夫このような行動はどうしてできるのだろうか。と考えた

が、自然にそう振る舞っていることに気がついた。明子はちょっと

前までピアノ発表会の打ち合わせで正夫をリードしていたのに、家

族のことになると気が弱くなると言うか優しさが勝ってしまうよう

だった。正夫をそれだけ頼りにしているともとれた。そんな明子を

貯まらなく好きになった正夫は、明子のためなら無理をしてでも聞

いてあげようと決めた。

 正夫は明子にレコードを聴かせてほしいと頼んだ。

「どんな曲がいいかしら」

「そうだなあ、あまり長くないピアノの曲がいいなあ。例えば作曲家

が大切な人のために作曲した曲なんてあるかしら」

 明子は少し考えていたが二枚のレコードを持ってきた。一枚はチョ

ピンという作曲家のピアノ小品集だった。もう一枚はシューマンとい

う人のピアノ曲集だった。正夫は前のレコードを明子に渡して、

「このチョピンという人のがいい」

 といった。明子はクスッと笑ってから、

「これはショパンと読むのよ。ショパンは奥様をそれはとっても死し

ていたらしいの。マオさんみたいね。これにしましょう」

 といってレコードを蓄音機にセットして、急いで正夫のところへ

戻って来た。

明子は、正夫の肩の頭を乗せて目を瞑った。スピーカーから優しい

音が聞こえてきた。一っきょくが10分間にも満たない曲だったが、

ショパンの曲の特色というものが伝わってきたように正夫は感じた

。6曲聴いたところでレコードの表面が終わった。明子は頭を正夫の

肩に預けたまますやすやと軽やかな寝息を立てていた。正夫は、明

子が気疲れしていると思ってそのままにしていた。

 明子は明子なりにギリギリの生き方うぃしているのかもしれない。

正夫が傍らにいることでそれが和らぐならばそのままにしておこう

と思った。
 明子の実の父母は、戦争の犠牲者になってしまい、今は祖父母と

暮らしているがその祖父が病を得て病床にあるということは並大抵

のことじゃないだろう。正夫は、明子の肩を引き寄せて

「明子、もっと僕に甘えてもいいよ。僕は明子を大好きだし、愛して

いるからね」

 と聞こえるか聞こえないほどの小さな声で言った。明子の表情が

緩んだように見えた。これでいいんだと正夫はそのまま動かないよ

うにしていた。庭のどこかでヒバリが鳴き出した。正夫はヒバリが

鳴くのを久しぶりに聞いた。開けておいた窓から入ってくる空気が

暖かく感じた。正夫はこんなくつろいだ気分になったのは何時以来

だろうと考えたが、思いつかなかった。正夫も子供のときから緊張

の連続だったのかもしれない。中学生になっても、いつも家庭の経

済のことを気にしていたので、欲しい本を買ってほしいと言ったこ

とが無かった。中学二年生のとき習字の時間に、筆はおろか硯も墨

も買ってもらえなくて、みんなが書いているのを静かに見ていた。

冬になると村の子達はみんな長靴を履いていたのに正夫だけ、自分

で作ったわら靴で通学した。上履きも自分で作ったわら草履を履い

ていた。わら草履もつま先がでているので冷たかったが、つま先が

隠れるように作り方を工夫した。それを村の子達も真似しだした。

しかし正夫の作った草履はわらを柔らかくなるまで叩いたのでとっ

ても温かった。

  明子の祖父母はどんな会話をしているのだろうか。さっき見られ

た明子と口を合わせていたことを話しただろうか。明子が話してい

たことをおじいさまに話しただろうか。お爺様はどんな返事をした

だろうか。それらが悪い結果にならないだろうかと正夫は心配にな

ってきた。正夫が少し身体の位置を変えた。明子がはっと目を覚ま

した。

「私寝てしまったのかしら、お面なさいね重かったでしょう」

「ううん、そんなことなかったよ。アコの顔をズーッと見ていた。

アコも疲れているんだなあと思ったよ。僕が傍らにいるときはこう

して気を休めるといいよ」

「マオさんはいつでも優しいのね。嬉しいわ」

「レコードは自然に止まったけど、しばらく空回りしていた。大丈

夫かしら」

「多分大丈夫よ」

「そんなら良かった。少し前に庭でヒバリが鳴いていたよ」

「あら。もうヒバリが来たのね。私も聞きたかったわ」

「ヒバリってとっても頭がいいんだって」

「どういう風に頭がいいのかしら」

「ヒバリは空中で虫を捕まえて地上に戻って巣にいる子供にそれを

与えるんだって。そのときに。親鳥は少し離れたところに下りて、

鳴きながらあちこちを歩くんだって。その後で素に戻って子供に餌

を食べさせるんだった」

「どうしてそんな面倒なことをするのかしらね」

「それはね、地上にある巣のすぐ近くに下りるとそこに巣があるこ

とがわかってしまうだろう。そうすると他の動物の子鳥を食べら

れてしまうからだって」

「そうなの。自然ではいろんな生き方の工夫をして生き延びている

のね」

「そうだね」

 そのとき明子の祖母が下へ下りてきた。

「明子さん、悪いけどちょっとお話しがあるのだけど」

「はーい」

 と明るく返事をして応接間から出て行った。ローカで二人は少し

話をしていたが、明子はすぐ戻ってきた。

「お昼の用意ができたら、二階のおじいさまのお部屋でみんなで食

事をしましょうとおじいさまがおっしゃっているんですって。正夫

さん、どうかしら」

「もちろん僕はお願いしたいくらいだよ」

「それじゃあそのようにおばあさまに伝えてくるわね」

 といって、明子はローカへ出て行った。

 

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