寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

寺田正夫 高等学校へいく(196)   

2017年07月16日 00時45分04秒 | 寓話

「正夫君。今日は君の難しい選択をお願いしたいと思っています」

「おじいさま、何で急にそんなことをおっしゃるのですか」

 明子は、正夫をかばうように正夫の前に立って言った。

「アコちゃん、僕はどんなことを言われても大丈夫だよ。それがアコ

のことならなおさらさ。只野さん、どうぞ、なんでも言って下さい」

「正夫君、私のことは前に話したとおりです。今のところ小康状態を

保っているのですが、医師の話では急変することもあるので家族と

一度話し合いをしておくようにと勧められました」

「おじいさまなんのお話しなの。おばあさま」

「明子。人間は誕生するとある期間成長する。それは身体も精神も同

じだよ。これは明子にもわかってくれるね」

「はい。おじいさま」

「そしていつかは生命反応が終了することがあるのだよ。それでね明子

が好きな人が出来たと言ってきたとき私はまだ早いと思ったものだ。

しかし、自分の身体の状態を考えると、明子の好きな人というのはど

んな方か会ってみたくなった。それで正夫君に会うことにした。正夫

君も驚いたことでしょう。でもよくおいで下さった。お礼を申し上げ

ますよ」

 明子がなにか話そうと口を開きかけたとき、只野は口に指を当てて

それを制した。明子はこんな経験が無かったので驚いたが、よほど大

事な話があるのだと思って口を閉じた。只野は明子に微笑みを見せな

がら話を続けた。

「もう何回も言ったように私は正夫君と話をして、正夫君の将来への可

能性を高く評価しました。それで妻と何回も話し合って正夫君に正夫

君と明子が生涯を分かち合うことが出来るようにお願いしました。正

夫君は私たちの希望をすぐ承知してくれましたが、そこに私は一抹の

不安を感じたものです。しかし正夫君は私たちが考えていた以上に思

慮深い人だと分かりました。その上でもう一度、正夫君に一つ提案を

したいのです。そして是非とも承諾してもらいたいと考えました。こ

の提案にはいろんな障害が発生するかもしれませんが、わたしは正夫

君が必要なら、どんな努力でも惜しみなくするつもりです」

「はい、わかりました。只野さんのお話が明子さんに関係あることでし

たらご心配ありません。しかしそれにはある程度の経済的な努力をす

る覚悟もしています」

「よくぞ言ってくれました。この話は私たちの都合がかなり入ってくる

ことも承知おき下さい」

「はい。承知しております」

「そこまで言って下さると、わたしも話しやすくなりました。実はほん

とに急な話ですが。正夫君にお願いがあります。今度、我が家へお出

でになったときに、正夫君と明子の仮の結婚式をさせていただきたい

と考えました」

「おじいさまったら」

 明子は驚きもし、喜びで満面輝きを放った。

「只野様ご夫妻も明子さんも、本当に私で良いのですか」

「もちろんです。冗談でこんな重要なことを言えません。どうか私ども

のお願いを承知していただきたいのです」

「分かりました。僕からも喜んでお願いします。しかし幾つか条件があ

ります」

「なんでも行って下さい。たいていのことはお受けできるようにします」

「初めに、明子さんも承知して下さるのですね」

「明子、お前はどう考えている。お前の将来に関わることだから決心が

付いたらはっきり言いなさい」

「おじいさま。明子には異存はございません。正夫さんよろしくお願い

します」

 明子は物怖じせずにはっきり断言した。

「正夫君ありがとうございます。それでその他の条件とはどんなことで

すか」

「僕はこのことを親には当分話さないつもりです。というのは僕はいつ

か親から独立して自分の力で生活していきたいと思っているので、そ

れまでは自分の心の中においておきたいのです。そういうわけで経済

的には、僕はおそらく困難な状況になると思います。しかし兄を手伝

うことで生活は出来ると思いますが、明子さんの分までは無理だと思

います。そこでお願いがあります。わたしが独立するまで、明子さん

を預かってほしいのです」

「そのことはできるだけ正夫君が望むようにいたしましょう。明子もそ

れでいいかい」

「でも正夫さんとはいつでもお会いすることが出来るという条件を付け

下さい」

「正夫君、明子の言ったことでよろしいですか」

「情けないかもしれませんが、わたしも明子さんといつでもお会いでき

ることが出来ないと困ります」

「それではこれで決まりましたね」

「おばあさん、例のものを出して下され」

「はい、おじいさん」

 といって、おばあさんは食器棚のようなものの扉うあけて、グラス

と小ぶりのビンを取り出してお盆にのせて戻ってきた。お盆をテーブ

ルの上に置いて、

「これでよろしいですか」

「そうこれでよい。ではビンのフタを開けて少しずつグラスに入れてお

くれ」

 おばあさんがビンのコルク星の蓋を取ると、なんとも言えない香り

が広がった。正夫は明子と顔を見合わせてニッコリした。

「これはワインです。ドイツのモーゼルという所を友人に案内されてい

ったときに、友人からいただいたものです。現存するのはこれが最後

かもしれないものです。友人はお前の生涯で最も喜ばしいときに開け

ると良いだろうと言っていました。私はその日が今日だと思います。

それでこれを開栓しました。アルコールが入っていますが少しだけな

らいいでしょう。おばあさんグラスについて下され」

「はい、おじいさん」

 おばあさんがグラスにワインを注ぐと芳香がいちだんとつよく

なった。

「さあ乾杯しましょう。明子もいっぱいだけ飲んでいいよ」

「はい、おじいさま。酔っ払ったらマオさんに介抱してもらいます」

「もう、これですからな」

「僕の方が介抱してもらうことになるかもしれません」

「それは、任せて下さっていいわよ」

「こいつめ。はっはっは」

「もう当てられてしまいましたね、おじいさん」

「そうだね。それでは乾杯しましょう。乾杯」

「乾杯」

 とみんなで言ってグラスをあげてから飲み干した。口に入れた途

端に口の中が芳醇という言葉があればそれがこれだと正夫は感じた。

喉元を通るときのまろやかな感触がなんとも言えなかった。正夫は

これまで味わったことがない幸福な感じを受けた。

「正夫君もう1杯飲みますか」

「いいえ、もう結構です」

「それはまた、どうしてですか」

「今の幸せな気持ちを忘れないためです」

「なるほど。それは一理ありますな」

 正夫は今日の話は明子との婚約が成立したということだろうと思

った。これからは、もっと頑張って将来の夢を達成するんだと決心

した。

「正夫君ありがとう。これで私も安心しました。明子も正夫君と幸せ

になるんだよ」

「はい、おじいさま。正夫さんありがとう。よろしくお願いします」

 明子と連れだって正夫は一階へ下りていった。正夫は家へ帰る時

刻が近づいていることを忘れなかった。正夫は明子の身体を引き寄

せて口づけをした。明子もうれしそうに応じ、しばらくそのままで

いた。

 正夫は列車の発車時刻を明子に尋ねた。明子はもうそんな時間か

しらと言いながら時刻表を見に行った。戻ってくると、

「あと30分ほどね。そろそろ用意して下さいな」

「おじいさまとおばあさまに挨拶してくるね」

「私も一緒に行くわ」

 といって二人で二階へ上がっていった。只野の部屋のドアをノッ

クするとおばあさんがドアを開けて、

「今寝付いたところだから、起きたら伝えておくますね」

「今日はいろいろありがとうございました。また参りますのでよろ

しくお願いします」

「こちらの方が無理なお願いをしたりして申し訳ありませんでした

ね。明子もこれで安心したでしょう」

「おばあさま、私は初めからマオさんを信頼していましたよ」

「これは私としたことが。それではまた近々お出で下さいね」

「それじゃ行って参ります」

「おやまあ」

 明子と正夫は家を出た。松島湾は午前中より靄が濃くなったよ

だった。駅に着くとちょうど列車がホームに入ってきた。明子

は乗換駅まついて行くと言ったが、正夫はおじいさんのことを

理由に残ってもらった。

「またすぐ会えるのだから、お互いに少しの間辛抱しよう」

「分かりました。ピアノ発表会には話し合ったとおりに来て下さ

いね」

「うん、わかった。すぐ明子の所へかえってくるよ。じゃ行って

きます」

「気をつけて行ってらっしゃい」

 

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