タローさんちの、えんがわ

京都在住のアーティスト・きしもとタローの、日々をかきとめるブログ。音楽とか笛とか人とか…美しいものたち。

その後の、ノラ夫物語

2014-09-16 22:04:23 | 日々を綴る


ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの流れにあらず…

5月の頭に我が家にやって来たのを最後に、ノラ夫が近所から姿を消した。
かすかな望みを残しつつ、時折庭を眺める日々をおくったが、さすがに今度ばかりはもう、逝ってしまったのかも知れない。

6月になり7月になり、そして雨ざらしになり、カビだらけになってしまった彼の器に、再び餌を注ぐことはなかった。

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やがて迎えた、夏のある日のこと。我が家の周りでノラ猫たちの雄叫びがいつになく激しく響いた。早朝の5時過ぎから、我が家の裏庭辺りでドタン、ガシャンと、雄叫びに混じって乱闘の音が聞こえる。もしやと思って飛び起き、目をこすって外へ出てみると、そこには走り去る数匹のノラ猫がいた。

その中に、ノラ夫とノラ夫に言い寄っていた性悪のメス猫(過去のFBや通信など参照)、二匹のDNAを明らかに引き継いだ、彼らの子供たちがいたのである。

一匹は、体の大半が白い猫…コイツは目が合った瞬間(猫は目をしばらく合わせると、大概何らかの交信ができるものだ)、「あの性悪メス猫の気質」を強く感じさせるヤツだった。振る舞いもまるで瓜二つ、イヤな種類の警戒心と内奥の浅ましさを瞬時に発し、仰々しく身構えて逃げ出すその様子は、母猫そのままのようだ。

そしてもう一匹、これは上半分がほとんどキジトラ模様の猫…コイツは不思議なことに、ノラ夫と見紛うばかりの「ノラ夫的気質」を感じさせるヤツ。少し目を合わせると、騒がずに落ち着いてこちらの様子を見、不思議なタイミングを狙って、シャープな動きでスッと姿を消す。まるで、少し若い頃のノラ夫のようである。

同じように出くわしても、全く異なる「気質の違い」を見せる猫たち。猫相手に何だが…僕は動物相手に、イマイチ博愛主義にはなれないでいる。猫だろうが犬だろうが(大概のヤツは好きになれるんだけど)、やはり性格も様々で、自分との相性の善し悪しというものはある。

そんな訳で、体のほとんどがキジトラ模様の、ノラ夫柄の「子ノラ」は、最初に目を合わせた瞬間から、何だか気が合うのを感じたのである。向こうも、同じようなものを感じたのだろう、出くわした際には長い時間目を合わせ、やがて少し目を細めるようになり、窓越しならば、すぐには逃げなくなった。

それどころか、最近はこうして(写真)、庭のベンチの上のザルに入って寝るようになったのである。
ザル、片づけられぬ…。

妙に馴染んだ様子でザルの中で丸まって眠る子ノラを眺めていると、ノラ夫が初めてやって来た時のことを想い出す。
もう、随分昔のことのようである。

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そんなある日の夕暮れ。

車を運転中、家から少し離れた道路端の草むらで、少し小柄の、キジトラの猫のかげが目に入った。
落ち着いた様子で、少しとぼけた顔、そしてスイッと姿を消す、その姿。

「あ、ノラ夫だ」…瞬時にそう思った。


彼はどこかで、生きているのかも知れない。
会えずとも、生きていてくれさえすれば、いい。