農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

新道あれこれ

2017-12-16 21:42:24 | 
先日書いた山道の新道の話の続きです。

北アルプス伊藤新道の北側には、
同じく湯俣から裏銀座の稜線へ登る道「竹村新道」があります。

伊藤新道が廃道になっている一方で、
竹村新道は新しい地図でも実線で残っています。
顕著な尾根道なので崩壊などの大きな被害はなかったからでしょうか。
新道に名のついた竹村さんのプロフィールは解かりませんでした。

さらに湯俣から南下して北鎌尾根と硫黄尾根の
間を流れる千丈沢沿いに西鎌尾根を目指すルートには、
宮田新道の名前があります。
(古いエアリアマップを見ています。現在は廃道)
宮田さんとはその昔湯俣の晴風荘で働いていた方で、
このルートを独力で開いた方なのだそうです。

新道でいちばんメジャーになったのは、
表銀座コースの喜作新道でしょう。
マタギの小林喜作の物語は、私が少年の頃
少年マガジンに連載されていた「槍ヶ岳巨人」という漫画で
すでに知っていました。


黒部ダム南端から北アの中心部、赤牛岳や水晶岳に延びる
長大な尾根につけられた読売新道は魅力的なルートです。
学生時代に一度登る計画(欅平~黒部川下ノ廊下~黒部ダム~読売新道~三俣~双六~笠ヶ岳~上高地)を立てたのですが、
ダムまで行っただけで日和ってしまい下山してしまいました。
体力気力がみなぎっていた時期だけに、今となっては悔しさが残ります。
ちなみにここの名前はやはり新聞社と関係ありそうです。

アルプスを離れて、学生時代よく歩いた滋賀と京都の境の比良山地。
昔の話ですが、北部のヨコタ峠から尾根通しに釣瓶岳、武奈ヶ岳へと
縦走するルートを整備した功績が認められて、私が所属していた
大学のワンゲル部が同好会から部に昇格したのだと聞いたことがあります。
このルートは当時新道として「龍大ルート」と呼ばれていました。
先日何かのメディアで、もっと北側の蛇谷ヶ峰からこのルートも含めた
縦走コースがロングトレイルランニングの大会コースになる記事を読みました。
最近はやりのトレイルラン。
私が20代の頃だったら必ず熱中していたはずです。

そして地元の山鳥海山。
今では地図からも消え伝説になってしまった道
「清吉新道」があります。
酒田市大宮に生まれた斎藤清吉さんが昭和30~40年代?
に今の湯ノ台ルートの東側に開削した登山道です。
いまや訪れる人もなく藪に帰ってしまったのは想像できるのですが、
なんとかその痕跡を辿りながら清吉新道を踏破してみたいのが
長年の念願です。
池田昭二さんが編纂した昭和50年のエアリアマップには、
清吉新道のルートが破線で書いてありますが、
文章によるガイドの情報はありません。
なんとか清吉新道に関する昔の記録や情報と、
新道踏破のチャレンジに同行してくれる奇特なパートナーを探しています。

「新道」も生き残れなければそのうち「廃道」に。
でもそこにそのルートを拓いた人の熱き想いに
思いを馳せるとそこはかとないロマンを感じてしまいますね。

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