風車ビルだより

今は風車のない風車ビルからの風だより

”往年の”と付くファンにいつかなり

2007年11月30日 | 本/映画

「若い頃は」、という枕詞が付くのはトシの証拠のようなものだけれど、しょうがない、若い頃は映画館へは通ったほうだと思う。ロードショウよりはリバイバル専門のような映画館がおおかったけれど。
レンタルビデオ屋さんに行き始めたころ、ここは宝の山だ!と本当にそう思った。名前だけは知っているあの映画、あのスターの、あの監督の、、、これを見られるの?! って感じだった。あれにしようか、こっちから見ようか、きょろきょろ目移りばかりして、店内をうろつくだけで幸せだった。BSの映画放送もそう。せっせとビデオに撮りためて、あるとき片付けようと段ボウル箱に入れたらとてもじゃないが持ち上げられないほどの箱が二つも出来上がっていた。

そうこうする内、飽きたのだ、毎週毎週うきうきビデオやさんへ行かなくなった。テレビで何かやっていても、見逃せない!とは思わなくなった。

飽きた、と書いてみたけれど、たぶんにちょっと違うのだ。ひとの好みというものは方向性こそ早いうちからあるのだろうが、本当に固まってくるのはある程度の年齢になってからだと思うのだ。嗜好の幅はひどく広がる時期もあるが、逆に狭まる時期もある。嗜好から少し離れたものを積極的に見たいとは思わない。その上つまらない映画を見たと思ったときの腹立たしさは、年々大きくなるようだ。かつて、はなんかこれつまんなかった、で済んでいたかもしれないが、今では何でこんなものを見たのかな、と本当に腹が立つ。

何か好みに合ったものを見たいと思うとき、未知のタイトルから探すよりも、かつて見た、いいと思ったものの中から気分に合ったものを探すようになった。ある程度の本数見てくれば、ある程度の蓄積はできた、とはいえるのだろう。でもこのあたり、年とって守りに入る、というのはこういうことか、と思わないでもないのだ。
ここらで経験知を吹き飛ばすようなものが見たいなーとはもちろん思う。

どんな映画が好みかって?旧いものが出てきたのでお目にかけましょう。
「2001年は<ライフイズビューティフル><ニューシネマパラダイス>が双璧,後は<シャイン><恋いに落ちたシェークスピア><セントラルステーション><海上のピアニスト><インサイダー><ショーシャンクの空の下><変めん>辺りが印象かな。 」 

 


散り敷いた銀杏金色の鳥に見え

2007年11月29日 | 全般
午前に中央公園を通り県庁へ行く。桜、銀杏散り敷き、楓、ドウダン赤くいい風情。「お堀」を渡るご廊下橋が工事中で、ご本城橋へ廻る。午後、社会保険事務所へ。相変わらず駐車場が満杯で待っている車が並んでいる。こうなると近所の人にとっては社会保険事務所も迷惑施設かも?

携帯で撮った写真をブログにアップを試みる。始めから外出先から出来るほど器用ではないので、夜になってからPCの画面を睨みながらやってみる。写真はどうも失敗だ。PCのブログの編集から画像を回転させることも出来ない。ちゃんと編集した画像をアップしないといけないようだ。それに私の携帯のカメラのスペックだとPCで見るには画素数が少なすぎる。文字だけなら次から外出先からでも出来そう。でもカテゴリーやジャンル分けはPCからでないと出来ないようだ。gooだけだろうか?こうなると他のブログ提供サイトを試したくなる。

JA武生の瀬川瑛子ディナーショー

2007年11月25日 | 全般
JA武生の瀬川瑛子ディナーショーへ行って来た。チケットを断れない事情があり、ディナーショーなるものの初体験。
武生は合併後越前市となった。福井県内には越前市、越前町、南越前町、と越前がつく街が3つもある。
お昼だけどディナーを食べながらショーを見るのかと思いきや、はじめの一時間が食事、次の一時間がショーの時間割だった。食事は刺身と茶碗蒸しは美味しかった。ショーはさすがプロの歌手のショーだからそれなりに見せて聞かせてくれる。でも自分からはこういう催しに進んで出かけはしないだろうな、これからも。

帰宅後、屋上の物干しの塗装をする。夕方、北欧旅行へいった人からお土産を貰う。

ブログについて(2)

2007年11月24日 | 全般

とりあえずブログを作ってみて一週間で判ったことは今のところ大きく二つだ。
一つは当たり前だがブログを作るのは簡単だが、うまく使いこなすのははそれなりの試行錯誤が必要だということだ。
二番目は検索エンジンへの引っかかり易さだ。これには大変驚いた。

ブログのレイアウトに全く不満がないわけではないが、よくまあこれだけ簡単にしかも無料で提供出来るものだ。これを自分でソースを書いていてもたもたしていたら1ヶ月はかかるかも。しかもこれだけ垢抜けしたものにはならないだろう。それにほとんど個人情報の開示もない。ドメインをとるために揃えた書類が嘘のようだ。もっと手軽な無料ホームページスペースで作るページの上下の広告スペースもない。 HTMLの知識やFTPは不要、これなら少しPCの操作が出来れば小学生でもそれなりのページが出来るだろう。
この簡便さがプラス面ばかりなのかは考える部分はあるが。

出来たブログのソースを見ようとして困った。全角文字が全部化けているのだ。幾つかのブログを覗き、どうやらこれもお約束のことらしいと悟るが、お陰で投稿した記事につけたタイトルが果たして<head>内の<title>と一致しているのかどうかもわからない始末だ。知る必要がないといえば必要のない事なんだけれど。
コメントというのは見当が付くが、トラックバックがわからずマニュアルらしいところをブラウズすると、相互リンクのことらしい。よく判らないままコメントもトラックバックも事前承認の設定にしたのだが、どうやらこれが正解だったらしい。早速きたコメントはとんでもないジャンクメールだった。即刻削除。京都へ行ったことを書いた記事にトラックバックが着いた。京都の駅について書いている人だった。京都というキーワードで片っ端からやっているのかもしれない気はしたが、こちらは好意と受け止めることにした。
カテゴリーとジャンルとはどう違うのかな、これは少々試してみて漸く了解しつつある。ご多分に漏れず私にとっては要らない機能が多すぎるように感じるが、試してみていくよりしょうがないだろう。実はどうしても使いこなしたいと思っている。

使いこなしたい最大の理由はブログの検索エンジンへの引っかかりのよさだ。
11/19日に「原子力防災訓練 敦賀市(福井県)」という記事をあげた。21日に別な理由で”原子力防災訓練 福井県”をグーグルで検索した。検索結果 約 38,300 件中9番目に自分の書いたブログが上がっていてびっくりした。リンクは貼ってあるからもっと有効なサイトに行き着く可能性はあるものの所詮個人のメモ程度の記事だ、どう贔屓目に見たって3万件を越すコンテンツの中でトップテンの情報ではない。私は8月にあった福井県総合防災訓練のページもメインのHPの中につくっている。これが検索サイトの上位に表示させる、という観点からは大苦戦をしているのだ。それに比べて何気なく書いたわずか数行のブログのこの順位。ウームとばかり唸ってしまった。
ブログをアップすると、提供サイトの新着記事の一覧へ登録される。おそらく、ここを優先的に検索ロボットがスクロールするのだ。ブログを提供しているサイトでは検索エンジンの度々のアルゴリズムの変更にもめげず、よほどSEOに励んでいるに違いない。ジャンルの項目もキーワードとしての役割を果たしているかも知れない。ここまで判ればこれを使わない手はない。HPでの新規、更改ページの紹介にブログを連動させるのだ。うまく行くようなら、メインのHPのサブサイトとして別のブロブを運用してもいい。それまでしばらくはこのサイトで試してみよう。

但し、私はこのブログは検索によく掛る、という状態はずっと続くものだとは思ってはいない。なぜなら、実際にいろいろな調べものに検索を使っていると、資料・情報としては全く役に立たないブログが次々に引っかかってきてイライラさせられる、という状態は既に起こっていることだからだ。私自身がブログに手を出すのを躊躇っていたのも単に面倒くさかった、という他にこれがある。
たとえばの話、”原子力発電所 事故”と検索し「原子力発電所で事故があったって!怖いよねえ。」などという誰かの日記の記述ばかりが出てくるとしたら検索サイトとしての意義を失ってしまうだろう。単に直近の更新ページを優先する、というのでは適切な情報提供ができるはずがないのだ。ブロブの新着エントリーは日替わりどころか秒替わりで新規登録されて消えていく。本当に役に立つ情報を掬い上げるにはこんなものをいつまでも重視してはやっていられないだろう。

というわけで、しばらくこのブログであれこれやってみることにする。


脳トレに川柳しようと今朝思い

2007年11月23日 | 全般
「お題」は初冬、としておこう。

外猫の毛皮冬毛に変わりけり

デブ猫の重さ懐かし冬布団

雪起こし聞いてプラグを引っこ抜く

融雪の試し水出し道路濡れ

木枯らしに慌て灯油の手配する

炬燵とは猫の天国動けない

初鍋の湯煙越しに夫見る

鰤大根二日目の美味さ平らげる

セイコガニ無口にせせる解禁日


なんだかいくらでも出てくる気がする。その割りにピリッとしたのは思いつかないものだ。これで毎日一句づつとなると却って続かないのだ、きっと。

原子力防災訓練 敦賀市(福井県)

2007年11月19日 | 福井県

2007年11月18日福井県敦賀市で原子力発電所の事故を想定した訓練が行われた。福井新聞の記事はこちら

ここ数年、原子力防災訓練時には除染シャワー設営され、同時に点検も行われれる。
17,18日と社長と社員2名が敦賀へ行っていた。現在除染シャワーは敦賀と小浜にある。
イギリスのプライス社というメーカーの物で空気膨張式テントの除染シャワーだ。
このページもアップから時間がたちすぎた。更改を考えなくては。それに最新のお薦めは同じメーカーだがこちらのフレーム式のものだ。エアテント式のものは設営は楽でも片付けるのは手間が掛る。フレーム式のものは設営も片付けも楽々で、それこそあっと云う間なのだ

 


京都 狩野永徳展

2007年11月18日 | 国内旅行

11月10日土曜、朝6:30、京都へ向かう。北陸道はいつもよりは交通量が多いようだ。大型の観光バスが目立つ。昨夕、夕食をご一緒したN氏は京都は宇治の在住で、京都の交通事情、駐車のし難さを云っておられた。年中混んでいるが、11月が最悪と。
米原ジャンクションの検問所がなくなっている。まだ工事中だがゲートは撤去されていた。東名はそれほど混んでいるということも無い。京都東で高速を降りた後はやはり混んでいる。途中までは余裕で来たが、9:00京都駅待ち合わせには早く着すぎて困ることにはなら無いだろう。

京都国立博物館の前にはもう行列が出来ている。駐車場にも開門を待つ車の列だ。京都駅で一人拾い、京博へ戻ると開門されていて、駐車場は既に満車、とりあえず降りて行列の最後尾に着く。連れは駐車場を探しに行き、豊国寺に停めて来た。さて入場まで40分待ち。
狩野永徳の特別展ともなれば止むを得ない か。この頃のちょっとした展覧会、東博でも京博でも皆行列だ。今年の5月、相国寺の伊藤若冲展も行列で、こんなお寺の展覧会まで!と驚いたものだ。
長い列がぐるりと普通は歩かない博物館の前庭の奥へ延びている。手入れのよい庭だ。寒いかと思ったが暖かくて助かる、でもほとんど紅葉している樹は無い 。これでは京都の紅葉狩りに来た人は残念だろう。Aがこの建物いつ頃建ったのだろう?と聞くので、明治時代だろうけれどいつだろうね、と言っていたら、 列の前にいた人が、くるりと振り返り、明治三十何年と教えてくれた。見れば手に京都検定、というテキストを持っているのだった。京都検定ってこんなこと まで問われるんかいな。
本当に40分待った。今日は12:00に祇園の白川沿いの店に予約を入れてある。だから11:15には出口で集合と言うことで中にはいる。今回は大津で一泊なので翌日早くから京都国立博物館へ向かうことにする。

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狩野永徳展
狩野永徳は中学の歴史教科書にも図が出てくるような画家だ。唐獅子図と桧図画最も有名だろうか。今回特に見たかったのは、大徳寺聚光院襖絵上杉本洛中洛外図。大徳寺の襖絵は2003年に東京国立博物館で特別展があり、最終日曜に行く計画をしていたの に急な用が入り行けなくなったのだ。洛中洛外図は2006年のお正月に見た岩佐又兵衛(伝なので作者不詳になっていた)の舟木本が面白くて面白くて、是非見比べてみたいのだ。中は混んでいた。聚光院は何とか見れるが、洛中洛外図はものすごい人だ。この京都の人たちの洛中洛外図の接し方は東京国立博物館でのそれとは違うようだ。なじみのある場所が書かれているから近しい感じがするのは当たり前だろうが、縮尺が正しい地図でないにも拘らず、生活実感としての空間の把握、距離感は、現在の京都人も洛中洛外図のそれもそれほど変わらないのかもしれない。ともかくこれをかき分けるのは無理だ。比較的すいているところを見て回る。聚光院の花鳥図、あの梅の枝ぶり、鳥のしぐさ、東京国立博物館の聚光院展では襖として室内にあるように組み立てて見せていたそうだ。今回は平面的な展示 だ。こう混んでいると下がって全体を見渡して、という見方が出来ない。 二日目には朝早くから並んだから比較的ましだったのだったけれど洛中洛外図だけは東京国立博物館で舟木本を見たようなわけには行かなかった。唐獅子と桧図は堪能。唐獅子は仁王さまだ。これは襖に書いた仁王門。今回は連れが一緒に回ってくれる。お陰で仙人高士図なんてよさの認識が変わってくる。

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ぎおん琢磨は知っていないとまず見つけられない店構え、予約しないと入れないし、だけどすごく美 味しくて去年くらいからの京都のお気に入り。四条川端で有料だけどまあまあ止めれる駐車場もありかも判ったし、ということで京との楽しみの一つとなった。この料理で昼酒やったらさぞうまかろう!と 思うのだけど車で来る以上出来ない話だ。
昼食後醍醐寺へ行く。一度も行った事がなくどんなところかと思っていたが、たぶんもう行かないだろう。五重塔だけは悪くなかった。紅葉していればイメー ジが違うかもしれなかったが紅葉青々夏樹のようだった。いっそ信楽まで行ってしまえ、という話にもなったのだけど、石山寺へよって、大津の宿へ向かう。
石山寺も初めてだ。行って初めて石山の意味を了解。硅灰石という変成岩の塊なのだ。紫式部より地学に興味ある人向けかも。幾分紅葉した多宝塔のたたずま いは悪くない。

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大津
本当は今回の一泊旅行のメインは滋賀の近江八幡、信楽あたりをゆっくり回ろうと言うはずだった。ところが永徳展をやっていると知って、予定変更。ヴォー リスやMIHO-MUSEUMはまたお預けだ。
快適でお値段もそこそこの宿探しは難しい。せめて不快な思いはしたくない。シーズンのギリギリでの宿探し、ホテル自体の空き室照会よりも予約のポータルサイ トの方がまだ空きがある。大津プリンスホテルが空いているではないか!ツインに3人泊まれないかと交渉し予約する。湖岸にそびえる高層ホテル、外観は悪くない。が、部屋の内装はどうも安っぽい。冷蔵庫が空なのはリゾートホテルではよくあることらしいけれど。バスルー ムがたまげた。シャワールームではなくアパートのユニットバスのようなものがついている。ところが脱衣所に当るものがない。そのくせシャワールームにあ るようなバスマットが浴室内にある。これをどう使えと言うのだろうか?しかも誰かがバスを使うと水音が室内に響き渡る。廊下の話し声もよく聞こえる。客 室の防音は全くの安ホテル並みだ。もっとたまげたのは翌朝の窓の結露だ。琵琶湖に面する窓ガラスがびっしり結露、アルミの枠を水が床に流れ落ちている。まだ11月だ。真冬になったらどうなるのだろう。スマートな外観に似ないエネルギーロスの欠陥建築物。それに売店で朝、昨夜はあったパンの棚が空っぽだったので、何時に入るの?と聞くがレジに居た男性は首を傾げるばかりだった。もうプリンスには泊まらないもんね。

大津市内の道路は混んでいた。イベントがあったのだ。「豊かな海つくり大会」があったのだ。天皇が皇后がご臨席だったらしい。警備の機動隊の車が列を連ねている。天皇は皇太子時代にブルーギルだかブラックバスだかをわざわざ希望して貰い請けあちこちにありがたくもご下賜下さったという。そんな話を車中でしたが、本人も気が差すところがあったと見えて、「心を痛めている」云々のお言葉があったそうな。
大津市の琵琶湖沿いには「箱物」と呼ぶしかないような建物がぼこ ぼこある。この春の知事選挙で新幹線の新駅の凍結を公約に新人女性が当選していたが、新幹線の駅云々は典型で他にもよりやりきれない状況があったに違いない。
夕食を摂りにJR大津駅前まで出るが、この駅前通、立派なオブジェクトが並ぶ大通りだが、ひどく閑散としたところだ。
少し入ったところの居酒屋風の店で夕 食。地元の人でにぎわっていた。ここの刺身の桶盛りはなかなかのもの。量も多いいし、美味い。しめ鯖ではない生鯖の刺身なんてよほど自信がなければ出せ まい。この店「えんや」という。
大都市に近接する地方都市のあり方は難しい。中核都市、といわれる地方都市よりももっと難しいかもしれない。ホテルに戻るタクシーの運転手は琵琶湖畔の大半は埋立地だと言っていた。大土木工事だったろうからそれで潤った人たちも居はしただろうけれど。

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 「迷惑施設」のあり方
京都で葬儀施設の営業反対のタテカンを見た。葬式と言えば寺、寺だらけの京都で何を今さら、と思ったのであるが、そういう問題ではないらしい。セレモニ ー会館の類で、地元住民ともめているらしい。いわゆる迷惑施設はゴミ処分場とか原発に限らぬらしい。最近知った例では大学である。 仙台の東北福祉大学、住人のブログはこちら


風車ビルだよりについて

2007年11月17日 | 全般

おとこもすなるブログなるものにゃんこもしてみむとてするなり。

ホームページを作り出してからは長い。ほぼ10年が過ぎた。但しブログは初めてだ。HP内に日記風のページを作っていたことはある。題して「風車ビル便り」
住んでいる4階建てのビルの屋上には風力発電用の風車が回っていた。今その風車は修理のためにメーカー送りになっていて、当分?戻って来そうに無い。だから、今このビルは風車ビルとはいえないのだけれど、新しくブログを書くに当り「便り」を「だより」に替えたタイトルを借りた。

風車ビル便りの最初はこう書いた。

2004/01/07
ドーデの「風車小屋便り」に心鷲掴みされたのは幾つの時だったのだろう? コルニーユ親方の無残さは滅びるもの、時流に乗れないものの悲しみを子供心にも、もの狂いの恐怖さえ交えて喰い入らせた気がするのに、今読めば記憶は微妙にくい違う。親方の秘密を垣間見、驚愕するのは少年だったはずなのに、何故か親方と同世代の男性なのだ。私は記憶を勝手に子供向けに変えたのだろうか? 私が最近手に取ったのは図書館にあった小学校4~6年生向き、とあった本で、昔読んだものも多分そんな本だったのだろう。だがどの物語も子ども向きという気は殆どしない、大人の物語という気もしないが、あえて言えばちょっとした雑誌の連載コラムだろうか? コルニーユ親方の話以外は「月曜物語」の一編が微かに記憶に引っかかっていたようだ。
さて、私は現在ミストラル吹くプロバンスとは似ていない北陸,福井の街の屋上に風車の回るビルに住む。 風車がついたのは去年の秋、2003年11月26日のことである。 築30年を超え、配管などに傷みの目立つ老朽ビルではあるがコンクリート自体は近年の建築物より丈夫だという4F建である。今年の内に断熱工事と配管と内装の大幅改造を行う予定のビルである。 ドーデもおんぼろの風車小屋に住まいするに当たっていろいろ手は入れているようだ。だがかの風車はコルニーユ爺さん亡き後はついに二度と粉挽くことはなかった。我屋上風車はどのような風を受け、どのようにパワーを発揮するか、今、時流の風はコルニーユに吹いた風とは違ったものであるはずだ。
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ビルの改装工事は2Fを除いてほぼ終わり、断熱材と樹脂サイディングのコートをまとい、大きく開く木製の窓のガラスも複層のLOW-Eだ。風を受けて回る風車は今はないけれどを様々な風の流れがこのビルからふと見える気がする時もある。

その日常からの諸々を風に託すことにして、新たな風車ビルだよりの始まりとしよう。