けろちゃんの山日記

定年後の山行録です

北穂高山行

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北穂高岳行
北アルプスの涸沢に行くというIさんの計画をお聞きして、急遽割り込みをお願いし、7年ぶりの穂高山行に参加しました。
以下はIさんの個人記録ですが、とても立派で詳細なので、これをそのまま掲載することにしました。
  
2017年7月7日 晴れ  新宿特急スーパーあずさ5号指定席に乗車、8.00発
 松本11:28→新島々12:10→13:15上高地バスセンター着 —弁当昼食―バスセンター13:54発→梓川右岸経由-15:05嘉門次小屋着(泊)  部屋2室使用、夕食17:30 、この日宿泊客は我々4人のみ。

明神までの左岸の遊歩道は観光客の往来が多く何かと騒がしいが、右岸は静かだ。
入浴後夕食までの間穂高奥宮明神池散策。地酒嘉門次。
バスセンターの手荷物預け@400、松本上高地往復4,550円、嘉門次小屋@8,000、穂高奥宮拝観300円、昼食弁当握り@800円

7月8日 晴 嘉門次小屋(朝食6:30、)7:10→8:20徳沢8:35→(この間新村橋の袂でショウキラン発見)
9:43横尾(上高地、槍ヶ岳へ11km、涸沢へ6km)10:10発―横尾谷に入る。横尾大橋から10分程度進んだ所で数日来の雨による梓川の増水で登山道が冠水し、かつ水流が数か所に拡散し登山道の判別不能状態となっていた。涸沢に向かう数組の人々が浅いながらも急流となった川を裸足になり或いは苦労して渡渉可能場所を探ったりして渡渉し、本道の見分けがつかぬまま流れの無い河原部分や川沿いの笹薮を選んで遡行を繰り返し、本来の登山道への道を探りながら藪道に入り込んで行った。前後の数組も本道探しに藪を漕ぎながら迷い始めていた。
結局藪漕ぎではらちが明かない為引き返し再検討しようと戻り始めた時、幸運にも冠水道路に迷うことなく本道を涸沢に進む人の頭が藪の向こうに見えたため、笹薮を道路方面に20~30m漕ぎながら進み、乾いた本道に達することが出来た。迷う事約30分くらいだったか。僅かな時間ではあったが体力はかなり消耗した。後続の迷っていた数人にも声をかけて皆藪を脱出することが出来た。何か連帯感が生じた。但し単独行の男がしゃにむに川沿いの道を進んでいって心配したが小屋に着くとすでに到着していてビールを飲んでいたのには驚いた。涸沢に初めて来たという60歳代の人。→12:15本谷橋(1840m)12:40→ヒュッテ手前の標高差150m?位の場所から雪渓が広く深く残っていた。この部分ではアイゼン装着しなかったためかなり時間と体力を消耗して涸沢ヒュッテを通過し15:20涸沢小屋(2350m)着(泊)。本谷橋から上部では季節の花が多くみられた。特にこの時期を逃すと見られないサンカヨウやキヌガサソウの元気な姿を見ることが出来たのは期待通りでうれしかった。
本日の標高差約800m、歩行時間約8時間。
涸沢圏谷はこの時期例年より残雪多くテント村になる基部も雪で埋まっていた。
テント泊の人々の数は10組程度であった。この時期、目的地が涸沢という人が大部分で、奥穂や北穂登頂を目指す人の方が少なかったように思えた。涸沢小屋の従業員達はいつもながら気分が良い。北アルプス山小屋のこの夏の協定宿泊料は@9500円だが、予約者には@200円割引してくれた。
涸沢小屋@9300-昼食弁当(いなり寿司)@1000円 部屋(大部屋:岳)夕食5:30、朝食6:00 地酒岩波。

ショウキラン

サンカヨウ

キヌガサソウ
7月9日 晴 朝から青空に圏谷が映え東の高みを常念・横通・東天井岳が区切っている。
涸沢小屋(2350m)6:46→北穂へ、小屋の脇の沢はまだ残雪に埋め尽くされていた。沢に沿って雪を踏み、沢を離れた後は途中随所で景色を眺め、花を眺めながら北穂南陵取付きまでほぼ無雪で順調に登高。取付き点手前で幅20m程度の雪渓を渡る。北穂の小屋が作ったと思われる雪渓内の段差50cm位の高い段を、はじめは登りのちトラバースして取付きの鎖場に至る。無雪期であれば鎖やロープで登るべき部分が雪に覆われている為かなり上部から鎖に取付き、最後の鉄梯子10m程度を登って南陵に出る。梯子上9:00着(約2750m)。北穂山頂まで標高差約350m。ここからは大きな岩稜の連続で穂高の穂高たる由縁の登攀となる。見上げていた常念を下に見て前穂・奥穂も目の高さとなり、這松の中にまだ腹の部分が白く羽の色頭の赤色が新鮮なライチョウもまじかにとらえられて、登りにくい岩場の疲労の癒しに事欠かない。2900m地点を過ぎると北穂山頂の小屋の一部が見えてきて元気回復感を味わう。11:10奥穂・涸沢岳からの縦走路との合流点3034mに到達。北穂山頂を目前に仰いで、小屋で事前に聞いていた頂上直下の雪渓トラバース地点に至る。山頂直下から幅数十メートル、高度数百メートル下に落ち込む雪渓をトラバースすればすぐ山頂。雪渓を一度10メートル程度下り、トラバースの後山頂に向かって再び雪渓を詰めていくルートで、夏道では約20分の距離。北穂高岳3106mへの最後の関門は、厳しい雪渓横断となった。
Fさんが様子を見にピッケル片手に途中まで下がり、皆に降下するように促されたが、雪渓最上部であることの高度感は半端ではない。小屋が予め作ってくれている雪渓上の道の段差は凡そ50cm位あり幅も1m近くあったと思われるが、雪質はかなり軟弱で、ここでの事故は命取り間違いなしとも思われたのと、ここに至るまで4時間余の急登の連続で疲労度合も少なからずある事、更に山頂に達した後この雪渓を再び戻ること等を考慮すると、山頂を極め山頂からまじかに得られる槍ヶ岳の眺望は捨てがたいものはあったが万一の事故の代償は償いきれるものではないと判断。
この雪渓横断登高を断念しても今回の目的はこの地点で十分達成されたものと判断することにして、雪渓横断・北穂登頂を断念することにした。2人の女性メンバーはアイゼンは所持してきたが雪上訓練は十分とは言えず万一の場合のピッケルの持参もない。自分もこのような状態を想定し敢えてピッケルは持参しなかった。Fさんにはあいすまぬことになったが了解してくれて、十字路の標識の下で昼食とした。この時北穂に向かう3人組が通り抜けて行ったが一人はガイドではなかったかと思えた。ハーネスを付けていた。
更にもう2人組が南陵を登った地点で北穂から下ってきたとの事であったのでこの日全部で3組が北穂へ向かったことになる。昼食後12:15下山開始12:58南陵の降下点着、南陵取付き点の雪渓トラバースを無事に下って14:50頃涸沢小屋着、預けていた余分の荷物を回収して15:20涸沢ヒュッテ着(泊)。
小屋が作った雪渓の道の段差が50cm位と高いのは、歩くには不便だが、足場を後々まで崩れから防ぐことと滑り落ちてくる落石をよけるには必要な段差ではなかったかとも後から考えた。本日の標高差約800m、歩行時間約8時間。
涸沢ヒュッテ:@9500円、部屋4人部屋「ユキワリソウ」。地酒岩波。従業員の接客態度は涸沢小屋比素っ気ない。

涸沢と前穂高北尾根

奥穂高

奥穂高とジャンダルム

7月10日 朝から快晴  6:46発 涸沢圏谷の根っこ部分の雪渓下りにはアイゼン着用とした。このため8日の登りには1時間近くかかった雪渓を7:05には下りきり、アイゼンを外して8:01本谷橋通過→9:10横尾9:20→、往時難儀した冠水登山道はまだ冠水状態であったが、小屋の作業だったろうか急遽山側に笹を切り小枝を払ってロープを張り高巻道が作られており、難なく通過することが出来た。この2~3日中の作業だったのか、それ以前からあったのを見落としていたのか。どちらにしても往時は渡渉を余儀なくされた筈だ。小屋の作業には感謝に堪えない。なお、横尾山荘泊であれば事前に様子を聴取できていたのかもしれない。→10:20徳沢着、ソフトクリームで英気を養い10:33発→明神5分休みで通過12:05河童橋。バスセンターの荷物一時預けで着替えを回収し14:05発のバス整理券を予約して、対岸のアルペンホテルで入浴、3日分の汗を流して人心地着いた。時間までバスセンターの食堂でざるそばを摂り昼食とした。本日の標高差約800m、歩行時間約5時間強。
バス時刻を気にして、かなりの急ぎ足、この日の距離17km標高差800mをこのような短時間で下ったことは初めてのこと。疲労をものともせず全員よく歩き切ったと、振り返ると恐ろしい。
バスセンター14:05→新島々15:25→松本16:48で帰宅。池田20:30帰着。
涸沢ヒュッテ@9,500円、ソフトクリーム400円、入浴600円、ざるそば830円

7月上旬、日本中梅雨の最中、九州北部福岡朝倉・大分日田地方は豪雨禍被害甚大。死者行方不明者40人超とか。
そんな中この山行中は予報に反し4日とも晴又は快晴で天候には恵まれていた。当初5日発としたのを2日遅らせて正解だった。上高地を除いて登山者数は少なく、涸沢の小屋は2か所とも朝食客数は20~30人程度と閑散。
雪解け時期にしか見られない高山植物類は期待通り最盛期状態で見ることが出来た。帰宅後調べると40種類くらいの花や植物を鑑賞できていた。そして何より皆元気で無事故で良かった。
おかげさまで最後の3000m、北アルプスを締めくくることが出来た。
     
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