あるフォトジャーナリストのブログ

ハイチや他国での経験、日々の雑感を書きたくなりました。不定期、いつまで続くかも分かりません。

シスター須藤講演会

2010年07月30日 | 日記




7月28日、長年ハイチで医療活動を行なってきたクリストロア宣教修道女会のシスター須藤の講演会に行った。最後にシスターと会ったのは今年の3月。明治大学で行なわれてたJVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)主催のハイチ地震報告会に来て下さった時だった。それから数週間後、シスターはハイチへと旅立っていった。ハイチでのシスターの様子はNHKの「クローズアップ現代」やBS世界のドキュメンタリー「ハイチのマザーテレサ」で、放送された。
講演会でシスターは司会者の質問に答える形で、初めてハイチに行った頃の話に始まり、地震後の様子などを話された。シスターの話によれば、被害地域の復興は遅れてはいるが、損害を受けた結核療養所の建物は、日本政府からの援助で再建されるとのこと。嬉しい知らせだ。
シスターと初めて会ったのは1995年だった。優しい笑みを浮かべながら、結核やHIV患者の診察と治療にあたっていた須藤さんの姿を今でも鮮明に覚えている。それから十数年後、少々お年を召したとはいえ、その頃と変わらないシスターの元気な姿に驚かされてしまう。現在、医者としての仕事からは一線を引き、植林や農業の再生プログラムに尽力している。その逞しい行動力は一体何処から来ているものだろうかと、考えてしまう。修道女としての務めもあるだろうか、長年に渡って築き上げてきたハイチの人びととの絆と、愛情の深さからではないだろうかと思う。ハイチのことが大好きで、大好きでしょうがない。私ごときの観察で失礼だが、それがシスターの原動力ではないかと思う。これからもハイチと日本でがんばってほしい。
講演後、会館内(セシオン杉並)で行なわれていた「震災復興支援ハイチ・アート展」に寄った。主催者で絵画を提供している、井上ジェイさんと会場であった。入場者の入りは、今ひとつとのこと。暑い日が続いているせいかもしれない。
素晴らしいハイチ絵画の魅力にふれる絶好の機会だ。絵画展は8月4日まで開催されている。多くの人たちに見てもらいたい。


写真は シグノの国立結核療養所で診察するシスター須藤 1995年

「震災復興支援ハイチ・アート展」のお知らせ

2010年07月20日 | 日記
4月に千葉で開催されたハイチ・アート展が、7月に東京で開催されます。
ハイチは地震だけではありません。アンドレ・マルローはハイチ絵画を「最高の絵描き民族」と賞賛しました。 ハイチ文化に触れる絶好の機会です。
会場では、私が撮影した地震後の写真も展示されます。

第2回「震災復興支援ハイチ・アート展」杉並区にて開催決定

■会期 : 7月27日(火)~8月4日(水)

■会館時間 : 10:00~19:00

■会場 : セシオン杉並 1F展示室  住所:杉並区梅里1-22-32

          (丸ノ内線東高円寺より徒歩5分、新高円寺より徒歩7分)

        http://www.yoyaku.city.suginami.tokyo.jp/HTML/0030.htm

■内容 : ①ハイチ・アートの展示 約60点
     ②被災地の写真展示(提供:共同通信社および佐藤文則氏)約20点
   ③ハイチの風光と人々(井上氏撮影)15点、ハイチ絵画の説明パネル等 
      ④ハイチ絵画の絵ハガキ8種類の販売 1枚100円(全額寄付)


■鑑賞費 : 前売り500円(7月26日まで販売)・当日600円

          (高校生以下、および障害者手帳をお持ちの方は無料)


          ※開催にかかる経費を除き、収益は全額寄付


■チケット取扱 : インターネット:電子チケットぴあ:http://pia.jp/t
電話:0570-02-9999  Pコード:764-219
店頭:チケットぴあのお店、 サークルKサンクス

■主催 : ハイチ・アートで復興支援をする会
http://ameblo.jp/haitian-art/

■後援 : 杉並区、荻窪法人会

ハイチ 写真集

2010年07月19日 | 日記
数ヶ月前、アマゾンに注文した写真集「Kanaval: Vodou, Politics and Revolution on the Streets of Haiti」がやっと届いた。著者・写真家は長年ハイチを撮り続けてきた友人のLeah Gordon。ハイチの南東部にある小都市ジャクメルで行なわれるカーニヴァルのドキュメント写真集だ。歴史を感じさせる植民地風の古い建物が多く、落ち着いた佇まいを見せるジャクメルは、観光客から人気の町である。また、アートの町としても知られ、多くの優れたアーティストを生み出してきた。
私が初めてハイチのカーニヴァルを見たのは、1994年2月。首都ポルトープランスのカーニヴァルだった。当時ハイチは、国連からの経済制裁下にあり、経済は最悪の状況にあった。そのため、財政難からカーニヴァルの開催を、危ぶむ声も多かった。しかし、軍政権とその支援者が資金を出し、カーニヴァルを開催した。「経済制裁は何の効果もない。俺たちは負けない」との軍政権のアピールだった。ポルトープランスでは日が暮れると、通りから人の姿が消える。夜は野良犬と銃を持った軍人たちのの世界に変わる。だが、カーニヴァルの日だけは違っていた。深夜になっても、街中は大勢の人びとで溢れていた。市民の無礼講と安全を保障した、1年間で唯一の時だった。だが、人気バンドのカーニヴァルソングに合わせて、歌い、踊る人々の姿が、楽しげであればあるほど、私には悲しげに見えた。カーニヴァルが終れば、また抑圧された日々が戻ってくるからだった。
その頃、ハイチの友人が「カーニヴァルの写真を撮るならジャクメルが良い。もっと伝統的で、面白い」と教えてくれた。それから、数年後にジャクメルのカーニヴァルを見た。まるで絵本やおとぎ話のような世界だった。インディアン、角を着けた奴隷、動物など、様々なキャラクターに扮した人びとが、次々と街角に現れては、寸劇やパフォーマンスを行なう。人々は、それを家のベランダから眺めて、楽しんでいる。町とカーニヴァルが一体化していた。ブラジルのそれような華やかではないし、衣装も豪華ではない。だが、手作り感に溢れ、素朴な味わいで、文化の奥深さを感じた。
Leah Gordonも、そんなカーニヴァルに魅了された写真家の一人である。彼女に初めて会ったのは1993年頃だった。黒く染めた髪の毛に、黒いT-シャツと黒いジーンズのファッションに身を包んだパンク系の姉さんだった。写真を始めたばかりの頃だったと思う。父親から譲り受けた古いペンタックの一眼レフカメラ(レンズがねじ込み式)を首に下げて、通りを駈けずり回っていた彼女の姿を覚えている。そんな彼女が、十数年を費やして、記録したのが、この写真集である。
中版カメラで、カーニヴァルの様々なキャラクターを誇張することなく、ごく自然なポートレート風に、撮影した黒白の写真がとても美しい。私にとって嬉しかったのは、カーニヴァルに登場するキャラクターの由来や歴史が、きちんと説明されていることだ。
たとえば、ナポレオンで有名な二角帽子を被り、黒い背広にサングラス、そして水牛の大きな歯が付いた布製の厚い唇を口元に巻きつけたチャロスカと呼ばれる有名なキャラクターがいる。その大きな唇をかくかくと動かして見せるのが彼の特徴だ。これを演じるアーティストの説明よれば、チャロスカは20世紀の初頭にジャクメルに実在した、厚い唇と大きな歯を持つ、残虐な軍人をパロディ化したもので、政治家や軍人たちの不正や腐敗を象徴している。その他にも、エイズの流布を警告するための、エイズに犯された売春婦のキャラクターもいる。カーニヴァルはハイチの歴史と社会を映す鏡とも言えるだろう。
今年は残念ながら、地震の影響でカーニヴァルは中止となった。ジャクメルも、大きな被害を受けた。歴史的な建造物が多く破壊されたと聞いている。
ハイチの奥深い文化を知りたい人たちには、ぜひともこの写真集を手にしてもらいたい。
同時に、ハイチ系米国人作家エドウィージ・ダンティカの著書「アフター・ザ・ダンス-ハイチ、カーニヴァルの旅」を、読むことをお勧めしたい。2003年に日本で出版された、ジャクメルのカーニヴァルのエッセイである。カーニヴァルとハイチ文化をより理解するための、絶好なテキストになると思う

ハイチ 写真展

2010年07月15日 | 日記

10月に東京・新宿のコニカミノルタプラザで写真展を開催することが決まった。展示する写真は、ハイチ地震。未発表(正確には発表する機会がなかった)の黒白の写真だ。
ハイチに行ったのは地震から3週間後だった。被害や救援の様子などを伝える速報性のニュースが終わろうとしていた頃だった。だが、それでも、現地の混乱ぶりは、ニュースだけでは、全く想像がつかない。出発に向けて、泊まる場所や食糧は調達できるだろうか、不安だらけだった。
 災害などの取材は軽装が基本だ。そこで、デジカメ2台に数本のレンズ、そして、念のために、ここ2年ぐらい愛用している中版カメラと黒白フィルム30本を持っていった。結果として、こちらの方にはまってしまい、2週間も経たないうちに、フィルムを使い切ってしまった。もっと持ってくれば良かったと後悔したが、後の祭りだった。
 ここ2週間は時間があれば、写真ギャラリー、PhotoCentral の暗室を借りて写真展用のプリント(紙焼き)をしている。バラ板紙に焼くのは、実に17年ぶりかもしれない。久しぶりに、印画紙を買いにいって、その値段に驚いた。十数年前に比べて、2~3倍くらい値上がりしているのではないだろうか。結局、在庫はなく、取り寄せることになってしまった。同時に、アナログ的な写真が消えつつあることを、改めて実感した。確かに、今はデジタルが全盛の時代だ。私も、ほとんど撮影にはデジカメを使う。撮った画像をパソコンに移し、Photoshopで調整し、必要ならばプリンターでプリントする。それに、写真を勉強していた学生の頃から、時間のかかる暗室作業はあまり好きではなかった。学生時代はクラスとアルバイトとの日々で、撮影に省く時間すらない。そのような状況では、暗室作業が邪魔な時間に思えてしようがなかった。だから、プリントは上手ではない。
 PhotoCentralは米国帰りの田村夫妻が開いた写真ギャラリーだ。米国で写真の基礎である、黒白写真を本格的に学んだだけあって、プリントのこだわりは人一倍強い。私も、フィルターの上手な使い方とか、写真をより立体的に見せるコツとか、改めてというより、初めてプリントの方法を学んでいる。写真展が楽しみになってきた。

写真展については、またお知らせします。

写真は、倒壊した鉄市場。ポルトープランスの商業地を代表する建物だった 2010年2月

ハイチ -  テレビ番組「ハイチのマザーテレサ」のお知らせ

2010年07月08日 | 日記
5月に放送されたクローズアップ現代(NHK)で、須藤さんのハイチに対する思いや、生き方に共感された方は多いと思います。須藤さんのドキュメンタリーが7月10日の深夜に放送される予定です。必見です。

NHK BS-1
BS世界のドキュメンタリー
「ハイチのマザーテレサ」

2010年7月10日 土曜深夜(日曜午前)0:00~0:50

http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/100710.html

死者22万人の大地震に襲われたハイチ。
この地に「ハイチのマザーテレサ」と呼ばれる日本人の女性医師がいる。
修道女の須藤昭子さん、83歳。
須藤さんは、30年以上に渡って、結核、ハンセン病など、見捨てられた人々の
命を救うことに半生を捧げてきた。
地震発生時の1月、須藤さんはたまたま日本に一時帰国をしており、
難を逃れたが、一日も早く戻りたいと願っていた。
4月ようやく現地に戻ることができた須藤さんに、同行取材。
そこで直面したのは、想像を絶する事態だった。
須藤さんの結核病院は壊滅的な被害を受け、重症患者を入院させることはできず、
水さえも尽きる中、病院の存続が危ぶまれる状態に追い込まれていた。
しかも、地震の後、貧富の格差はますます深刻化、国際的な支援の手が十分に届かない中、
復興への光は差し込んでいない。
どうすれば果てしない貧困の連鎖を断ち切れるのか。
ハイチで大災害と貧困に立ち向かう83歳の挑戦を追う。
(※NHK HPより)