ドラマのとびら

即興劇で、ドラマで学ぶ、教える、浮き沈みの日々  HP「学びの即興劇」の現在進行形

『ドラマと学びの場』書評

2017-03-11 11:40:38 | 本・論文・雑誌
上條晴夫先生が、facebook上で絶賛してくださいました。
嬉しいので、記録します。



facebookをやっておられる方は、2017年3月8日にシェアしていますので、私のスレッドを見てくださいな。

ワークショップと本づくりの過程がめちゃくちゃ面白かったのは、集まったメンバーが良かったから。

私の功績は、本を出すという目的をもって、このメンバーを集めて、ワークショップを開催したことやねえ。

幸せなことです。
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シタヲマワス

2017-03-09 15:01:51 | 日記・エッセイ・コラム
新聞を読んでいると夫が
「ボールペンどこ?」
私「真ん中の引き出し」
「このボールペン、どうしたら先が出るの?」
私、新聞から顔も上げずに「下を回すの」

するとピチャピチャと変な音がするので顔を上げたら
夫が高速で舌を回していた。

爆笑!

ばかばかしいけど面白いから書いておこう。
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これって詐欺?

2017-03-05 16:08:44 | 日記・エッセイ・コラム
新しい家ができて、いまボチボチ引っ越し中。
2009年に京都に戻った時の引っ越しを含めて、京都で実に5回目の引っ越し。

気がついたら、布団にカビが。
それで丸洗いをお願いしようと業者に電話。

実はこの業者。何日か前に「会員になれば布団丸洗いの料金が会員価格になります」と電話セールスをしてきて、「そろそろ布団も古くなってきたし」と思い会員になったばかり。

電話で丸洗いをお願いすると、その日に布団を引き取りに。
でも、布団を見るなり「これはすでに中までカビてるから丸洗いは難しい」とのこと。
「生地も弱ってるし、このまま洗うと破れる。打ち直しも綿がたくさんいるし、新しく買ったほうがまし」と。

そして言うには「綿布団は手入れが大変だし、羽毛布団にしたほうが良いですよ」。
「いや、羽毛布団はある」というと見せてほしいという。
見せると「これは良い布団だ。良い羽毛が入っている。でも、羽がでてきているので打ち直しを勧めます」とのこと。

「これだけの良い羽毛が入ったものを新しく買うと1枚40万円はする。
(実は親が買ったもので、私は値段を知りません)
それを20万円で最高の布(側生地)で打ち直します。」…

「高い」というと、ちょっと布の質をおとして、端数を落として1枚10万円とのこと。
しかも、今なら羊毛敷布団をサービスすると。
ちょっとその気に。

でも2,500円で丸洗いのつもりが10万円って、いくら何でもどうよ。
「考えさせて」と帰ってもらいました。

すぐに布団をつくってもらった店に電話。
見に来てくれて、「これたぶん表面だけ。うちで打ち直します」と持って帰ってくれました。
電話があって「上だけで、中は大丈夫でしたよ」とのこと。

やれやれ。

ネットで検索すると、良い布を使っても羽毛布団1枚3万円から5万円で打ち直しをしてくれる。
10万円と言われたから、これが安く感じるから不思議。

うちの親が、そんなに高い羽毛布団を買っていたとは知りませんでした。
両親は、贅沢とはほどとおい暮らしぶりの人たち。
想像するに、母親が○○商法に引っかかって買わされたのでは?
他人を疑うことを知らない人だったから。

私も似たようなところがあります。
気をつけよう。自戒をこめて書いておきます。
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すれ違う会話

2017-03-04 09:58:50 | 日記・エッセイ・コラム


夫の運転でホームセンターへ向かう途中。

私「車って、運転してるとき、自分の車の幅を認識するの難しいんやろな」
夫「しまった。この道行くつもりじゃなかったのに」
私「私は運転しないし分からんけど」
夫「仕方ない。大通りまで出よう」
私「Y駅へ行くまでの細い道あるやろ?自転車で走っていると車に後ろから付けられることがあるねん」
夫「あそこで曲がろう」
私「私は端に寄せてるし、余裕で追い越す幅があるのに…。あれ嫌やわあ」
夫「この道は信号少ないし、やっぱりこっちにして良かった」

ここまできて、私は黙りました。
まったくかみ合わない会話。
これ、「かみ合わない」の象徴として台本に使えるのと違うかな?
台本を書く予定など全くないのに、考えていました。

最近、お互いに相手の話を聞いていないことが多い。
私が聞いていないときは「聞いてない!」って語気荒く言わたり、
聞き返すと「さっき言った!」と無視されたりする。
お互いさまやねんけどな。

それに、私は今に始まったことではないけど、ふと何かに囚われて
周りが入らなくなることが多い。
そういうときは聞いていない。
だから聞くことを意識するときは、疲れる。

もうちょっと優しく言ってほしいけどな。
まあ、この年になって自分を変えるのは難しい。
これもお互いさまやね。
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2016年度沖縄研修事後学習会

2017-02-27 09:41:14 | 日記・エッセイ・コラム

今年度の沖縄研修が実質終了しました。あとはレポートと報告集の作成を残すのみです。

4月に立ちあげ隊の活動が始まって、6月に募集、第一回目の学習会での実行委員選出。
8月から毎月1回の学習会を経て2月に沖縄へ。
そして2月末または3月初めの事後学習会。

このパターンが定着しつつあります。

昨日の事後学習とその後の食事会は、特筆すべきものとなりました。

最後には、全員で合唱。学生にとっては中学や高校の合唱コンクールや卒業式でおなじみの曲だったらしく、ちゃんとハモっていました。
最近の学生がこうして合唱するというのは私にとっては珍しく、70年代の私自身の学生時代の雰囲気を思い出しました。

事後学習では、それぞれの班が自分たちの学びを報告したのですが、一班5分という制限時間をかなり超えました。
それぞれの口から自分の体験から出た真実のことばが語られ、少しも長さを感じさせませんでした。沖縄へ行けなかったメンバーも仲間と一緒に前に立ち、報告の一環を担っていたのも印象的でした。

その後、小グループに分かれて2セッション、それぞれの報告についての話し合い。

最後には、がんばった実行委員へみんなから一言を書いたメッセージのプレゼント。
実行委員に内緒で準備されたものです。

実行委員からは、立ちあげ隊へ感謝の花のプレゼント。私にまで花をいただきました(写真)。これもサプライズ。

そして、打ち上げへ。
小さなイタリアンレストランを借り切り。
ここでもまた、卒業する4回生にみんなからひとことのビデオ上映のサプライズ・プレゼント。
そして肩を組んでの大合唱となったのでした。

涙する4回生。
笑い合う仲間。
良質のドラマを観ているようなすばらしい瞬間でした。

毎年似たような状況ですが、今年はとりわけ集団の凝集力が高いように思いました。
事後学習に良く分からない理由で欠席する人はひとりもなく、
サークルの合宿中にもかかわらず早く抜けて駆け付けた4回生、
例年なら沖縄に参加できないと事後学習には来ない人もあるのに、
沖縄に行けなかった4名が「みんなの報告を聞くのを楽しみにしてきた」と全員出席。

班学習の予定が沖縄に行ってもまだ煮詰まっていなかった班があったのがうそのようです。

なぜこうなったのか。
真実は分かりませんが私なりに感じたことを書いてみると

・メンバーに、実行委員にまかせっきりのお客様意識が生じなかった。
2回生ばかりの実行委員だったため「助けなければ」という意識が芽生えたのでしょうか。
事前学習でチェックイン・チェックアウトをするようになったことも、誰もが自分のことをみんなの前で話す機会があり、耳を傾ける、聞いてもらえるという関係づくりに繋がったように思います。

・対立的な話し合いがなかった。
事前学習でも沖縄でも「賛成か反対か」といった議論をすることが一度もありませんでした。何かを話し合うときは、小グループで話し合っていました。グループで話し合ったことをシェアすることもほとんどありませんでした。お互いの思いを聞きあうといった話し合いでした。
私としては「これでよいのか?」と思うこともありましたが。

・班学習のメンバーでよく話し合っていた。
例年なら沖縄の学生たちと一緒に行動することが多かったのですが、今年は計画が遅かったこともあり、班だけでの行動がほとんど。それだけに班での絆は深まったようです。
せっかく沖縄まで行って、沖縄の学生と交流しなかったのは残念ですが。

・事前学習のたびに飲み会をやっていた。
こんなに頻繁に飲み会をしたのは初めてでした。
「学習会のあとには、飲み会がある」みたいになっていて、それが楽しいからと参加者は増え続け、沖縄での打ち上げに至っては、仕事で早く帰らなければならなったN先生を除いて沖縄へ行った全員が参加しました。こんなことはかつてなかったです。
これまでは研修が終わった後も独自にあちこちを訪問したりして学習を続ける人たちがいました。そういう意味では「沖縄の打ち上げに全員参加した」ということが手放しで喜べることなのかどうかは分かりませんが、「もっと話したい」「いろんな人と話したい」と学生たちは言っていました。

学生たちは口々に「ここでは何をいっても受けとめてもらえる」「真面目な話ができる」といいます。日常では「真面目」ということがかっこ悪い、ダメな事のように受け止められているようです。けれど学生たちは真面目に話たいのです。

今回私は実行委員会にもほとんど出なかったし、実行委員や立ちあげ隊の誰かの相談にのることもほとんどありませんでした。
沖縄で、N先生の車での移動プランを立てるために班学習の計画の聞き取りをすることで、ようやく出番があったぐらいです。

今年の実行委員がたまたま良かったのか。
今年のメンバーがたまたま良かったのか。
これまでの蓄積がこういう形で繋がってきているのか。

教員は学びの質へどのように貢献しているのか、いないのか。
教員の介入は、ない方がよいのか、必要な時もあるのか。
見守り隊としての教員は必要なのか、いなくても良いのか。

そんなことを考えた昨日の事後学習でした。
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