ドラマのとびら

即興劇で、ドラマで学ぶ、教える、浮き沈みの日々  HP「学びの即興劇」の現在進行形

教師とは?

2016-11-04 22:05:56 | 日記・エッセイ・コラム
NHKの「U-29人生デザイン」を時々見ています。
懸命に生きる若者に元気をもらいます。

先日は、保育所や学童で日本語を教える日系ブラジル人4世のビアンカ。
8歳で日本に来て、日本語が分からず苦労をしました。
その時、励まされたのが、日本語の先生の「がんばってるね」「大丈夫だよ」という言葉。
この先生のようになりたいと勉強しました。

しかし、経済的な事情で大学へ行けませんでした。

ブラジル人向けスーパーでのアルバイトを契機に、ブラジル人の相談にのることで新しい道が見えてきます。
ブラジル人の子どもたちのための保育所で働くようになります。

子どもたちと接する彼女は、よく笑います。
あのコロコロとした笑顔に子どもたちは救われるでしょう。

彼女の将来の夢
「子どもたちにいろんなことを教えてあげたい」
「子どもたちの『わかった!」という表情が見たい」
「子どもたちから『僕ね、何々になりたい』という声をたくさん聞きたい」
「子どもたちにいろんな道が広がるよう支えになりたい」
「どこにもないようなその人の居場所になりたい」

彼女は本物の教師だと思いました。
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なぜ社会に目が向かない?

2016-10-31 09:44:04 | 授業のようす
ある授業にて。
受講生は、教師採用試験合格3割、企業へ就職2割、進学希望2割、その他現在進行中も含めて3割といった感じ。

道徳を考えるということでコールバーグの段階説をとりあげました。
例えば、友だちが道路に違法駐輪しようとしているとき、自分はどうするかという例を考え、自分に道徳段階を当てはめてみる。

その行動判断の基準が自己中心か他律的で、「社会をよくするとか変えるとかいう視点をほとんど持っていない自分に気づいた」という結果になってしまいました。

特に最近、そういう傾向が強く、これはキャンパスの学部構成が変わったためなのか、
それともそういう傾向が全国的にあるのか。

もちろん、人間の行動なんて自己中心で他律的なのは仕方ない、
そういうことも含めて生き抜いていくのだと思います。
それでも社会に向ける目は持ちたい。

ドイツZDFテレビ「フクシマのうそ」。
福島原発事故に関わるドキュメント、
http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html
ここには、原子力ムラに抵抗した人たちが出てきます。
これがドイツで制作・放映できて、日本では放映されないのでしょうか。
仕事を得るために、東電の事故隠しに協力せざるをえなくなるような状況に追い込まれても、チャンスが来たら告発できる人でありたい。

自己中心的もしくは他律的な人が、教師になるの?って感じですが、彼らのせいじゃない。
日本の学校教育ってそういう人を育てる教育をしてきている。
体罰などの罰で子どもの行動を規制し、損得でつり(「将来、損しますよ」って)、良い子であることを求め、ルールでしばる。
過度な校則。「空気を読めよ」という集団づくり。

教師自身に自覚があるかどうかはともかく、全体としては
自己中心でかつ他律的な人を育ててしまっている。

社会にとってどうなのか、どういう社会が良い社会なのか、本質的にどうことなのか、なんてことが、視野にない。
「どう受け止められるか」が最優先。

そういう自分も、学生に対して有効な授業ができているのか?
自分の授業の在り方も見直さなければ。

「アクティブ・ラーニング」と言うのは、そういうことだと思っています。
自分の頭で考え、行動できる人を育てる。
しかも独りよがりでなく、他の人と一緒に。
文科省が何を言っているかは別として。
それこそ、自立した市民をつくるために必要なんだと思っています。
「自立」と「共生」の社会。

「入試がある~」「教科書に縛られるから」「授業時間数が少ないから」できないというけれど、違う!
やるしかないのです。
教師が自立しなければ。
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ママのお腹の中で泣いていた

2016-10-21 22:56:00 | 日記・エッセイ・コラム
孫のAちゃん
ときどき驚くことを言います。

一緒に歩いていると、目にゴミが入ったらしく目をこすっています。
「こすらないほうがいいよ。涙が出ると、ゴミが流れるから泣くほうがいいよ。
何か悲しいことを思い出してみたら?
Aちゃんは何が悲しい?」

「ママの結婚式」
「エッ?ママの結婚式、悲しいの?」
「ママのお腹の中で泣いていた」
「悲しかったから?」
「ううん、赤ちゃんだったから泣いてた」

「ママが結婚した時、Aちゃんがお腹の中にいたんだよ」と聞いたことを思い出したのでしょうか。

このことを息子に話していると、
Aちゃんが両手を前に組んで少し体をかがめて左右にゆらゆら動きながら
「ママのお腹でこうしていたの」と言うので
「泳いでいたの?」と聞くと
「踊ってた」そうな。

インプロのキース・ジョンンストンは「大人は委縮した子ども」と言いました。
「うまく適応した」大人は、辛辣で、創造性がなく、怯えていて、想像力に乏しく、敵意に満ち溢れた人である。
つまり、大人はさまざまな教育によって子どもの頃に持っていた創造性を失ってしまう(『インプロ教育:即興演劇は創造性を育てるか?』高尾隆)。

ほんとにそうだよ!
と思った瞬間でした。
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「受けとめる」と「冒険」

2016-10-12 14:34:27 | 授業のようす
学校教育演習。
後期はドラマの手法を中心に進めています。

最近、あまり授業でドラマの手法を使わなくなって、「だから本音で話すのがなかなかできないのかも」なんて思ったりしてね。

後期の授業が始まってすぐに、「表現を受けとめる」をテーマに、夏休みに印象に残ったことをそれぞれ1分の独り言にまとめて、それを動きながらお芝居風にグループで演じるというのをやってみました。
(これ、いしいみちこ先生のワークショップからのパクリ)

どんなことが表現されても「受けとめる」と言う経験をしたかった。

「何か動作をしながら独り言を言うって、やるのは大変だったけど、見るのは面白かった」
「何か日ごろ見れないその人が見られた」
など、好評だった半面
「なんでこんなやり方をするのか分からん!」
「普通に1分間で話すほうが上手にできたのに」
など、「受けとめる」より「上手にできない自分」に意識が行ってしまった人もいました。

どうも、思ったようにはいかないなあ。
ドラマの手法でないほうが良かったのか。
などと、悶々としつつも、次には「冒険」をテーマに。

トム・ソーヤの冒険のテキストを読んでくることを宿題にしてありました。
6グループに分かれ、2グループずつ
 トムとハックが墓場で殺人を目撃する場面、
 無人島での海賊ごっこの場面
 トムとベッキーが洞窟で迷子になる場面
を静止画で表現。

次にこれまでの人生における自分の冒険をグループで話し合う。
その中から一つ選ぶか、ひとりずつ自分の冒険を自分で形にするか、
どちらでも良いので静止画をひとつつくり、
誰かが解説。
 小4の時のタケノコとり、見つかって怒られた
 知らない道を行ってみること
 近所の獰猛な犬に出くわすこと、今も避けている
 ジャングルをロープを使って滑り降りる、この夏の経験
 通える距離だけれど一人暮らしを決断した時
 小学校の時のカンニング
が披露されました。

そのあと、自分にとっての将来の冒険について一人で考えました。
何を冒険と言うのかも自分で考えてほしいと言いました。
その後、全員で円をつくって、グループ毎に立って、一人ひとり自分の将来の冒険について語りました。

どういう冒険か。
それがなぜ冒険だと思うのか。
みんなに向かって話すのではなく、独り言のように。
(おっ!ここで先週の独り言が生きた!)

進路を選ぶこと。
結婚すること。
自分をだすこと。
自分の考えを伝えること。
知ろうとすること。
新しいものをつくること。

いろいろな冒険が語られました。
グループが終わるごとに温かい拍手が送られました。

自分を出すこと。
相手を受けとめること。

良い時間が流れました。
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butterfly

2016-10-08 22:21:13 | 日記・エッセイ・コラム
孫のAちゃんの英語はイマイチと書いたけれど、
あなどれん!

butterflyを上手に発音します。
私みたいにバタフライなんて言わない。

なかなか真似ができなくて「難しい!」と言っていると、
「かんたんや」って言われてしまいました。

私は目で発音している、Aちゃんは耳で発音しているって思いました。
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