吉嶺史晴のブログ

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テクノロジーの進歩  「録音芸術」は存在できるのだろうか?

2016-08-02 | 音楽制作覚書
テクノロジーが進歩すると表現の在り方も変化する。(ああ、なんて当たり前のこと!)

ということは紙と鉛筆がなかった頃の芸術と、紙と鉛筆が出現した以降の芸術の在り方では異なったはず。
この紙と鉛筆という項目のところに「印刷技術」とか「録音技術」とか「写真技術」とか、あるいはまた「動画撮影技術」などなど。。。。

ということは芸術的な活動の目に見える形というのはその時々によって変化するという風に考えてみることが出来るはず。

例えば「映画」。。。。
少し前の本など読むと、「映画は大衆に共感を呼ぶものでなくてはいけないから芸術とは言えない」というような記述を見ることがあるけれど、本当にそうなのだろうか?

テクノロジー。
これは日に日に進歩する。比較的、進歩の遅いもの、あるいはある時期に完成されたものとみなされ進歩しているように見えないものもある。(クラシック音楽に使われる大多数の楽器など。。。。)
でも、それでもサクソフォンのように比較的、新しく発明された楽器もあるわけで。。。。。

何が言いたいのか、というと「録音芸術」というものが存在できるのかどうか、ということ。
たとえばその昔、グレングールドというピアニストが居て、ある時期から公開の演奏会をやめてしまって、録音のみによる活動を行っていた。

彼がやっていたことは「録音芸術」と言えるのだろうか?
録音上、多少の編集はあっただろうけれども、それはやはり演奏を記録するものだった。

録音でなければ表現できないようなそのような音響を求めたものではなかった。

実は昨日、2016年9月17日の演奏会の衝撃がまだ冷めない。
まだ頭のなかに、いや身体のなかに、昨日聴いた演目のなかのいくつかが響きを残している。

あれはもちろん、現実の演奏会でなければ味わえない性質のものだった。
でもそれはそれ。
いつまでも聴いた演奏会の余韻に浸っているわけにもゆかない。

「録音芸術」もし、こういうものが存在し得るものだとしたら、それはそれでやってみる価値のあるものではないかと思うのだ。

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