吉嶺史晴のブログ

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歳とると

2017-06-19 | weblog
この間、ある人と話したこと。
歳とると弱くなるのは身体だけじゃなくて、メンタルも弱くなって来るんじゃないか、ということ。(もちろん人にもよるだろうけれど)

スポーツ選手が引退するときに「モチベーションがなくなってしまった」ということを言うことがあるけれども、あれは言い換えると「戦い続けるためのメンタルが保てなくなってしまった」ということになるのではないだろうか。
身体能力も技術もまだまだじゅうぶん高い水準にあるのに、精神状態がそれに耐えられなくなってくる。

分野は違うけれども、楽器演奏も似ている点がある。
音楽の場合には何かと戦うということではないけれども、目の前にある楽譜をどうにかして演奏できるような状態にまで自分自身を持ってゆくこと、やっぱりそれなりに大変なことだ。

特に歳をとってくるとそうなるのではないか。
若い頃になんの苦もなく出来ていたはずのことが出来なくなって来る。

「俺、なんのためにこんなことやってんだろ。。。バカみたい。。。。」
みたいな考えが頭をよぎったりもする。

特に練習を始める際がぜんぜんダメだったりする。
いったん練習を始めてしまえば、内容はともかく、ある程度の勢いがだんだんついて来て良いけれども、練習始める前がおっくうだったりする。

その時々はたいして面白くもないこと(自分自身が納得できないような音を自分自身が出し続けること。下手なのだから仕方ない)をやり続けるわけで、それはあんまり音楽的なものではない。自分の頭のなかにある理想の演奏と、その時に出ている現実の音のへだたりは大きい。

でも、それでもやれるのか、どうか。
このあたり。

吹けない曲があったら、練習して吹けるようになる。
ただそれだけのことなのでは。

でも「音楽的である」というのはどういう状態を言うのだろう?
昔の人は音楽というのは今、僕たちが認識しているような音楽は「道具の音楽Musica Instrumentalis」といって音楽のなかのほんの一部分でしかない、とした。これより上位の概念としては「人間の音楽Musica Humana」、「宇宙の音楽Musica Mundana」というものがあった。

であるならば、その人がその人らしく居られる状態はすでにじゅうぶん「音楽的」であると言えるのではないだろうか?
その時々でその人がその人らしく居られること。

演奏する、って面白い。
難しいけれど、面白い。

その時々で変化する自分自身の身体とココロにうまくあわせながら演奏する。
いつも心地よい時ばかりじゃない。
でも、それでもやっぱりそこには何かがあるんじゃないか。
自分が自分自身の内側とうまくコミュニケーションとりながら。
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