吉嶺史晴のブログ

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今の学問として認められていることではないかもしれないけれど

2017-04-24 | 話のタネ
今の学問として認められていることではないかもしれないけれど、中世のヨーロッパの音楽理論に3種類の音楽という分類があった。
Musica Mundana(宇宙の音楽)
Musica Humana(人間の音楽)
Musica Instrumentalis(道具の音楽)
このうち、通常、人間が音楽として認知することの出来るものは一番低い次元に位置している(道具の音楽)ということになっていたらしい。つまり実際に声や楽器を奏して鳴り響く音楽。

上位のふたつは人間には音楽として認知することは出来ない。
(人間の音楽)や(宇宙の音楽)というなかで使われる(音楽)という言葉は今21世紀に関わらず中世のヨーロッパにおいて例えば人間が生まれて、その間いろいろな活動をして歳をとって死んでいったり、あるいは天体の太陽や月、星たちがある規則ただしいリズムのもとに動いていたりしている、そういう在り方を(音楽)と呼んだらしいのだ。

つまりここで言うところの(音楽)は実際に僕たちが(音楽)だと思っている(音楽)ではなく、むしろ調和の根本原理みたいなものを(音楽)だと指していたらしい。

そういえば(音楽)の語源であるミューズ。これは別に「楽しい」というような意味があるわけではなく、もともとは芸術をつかさどる女神の名前だった。こんなことを思いをめぐらせてみると(音楽)はもともと神がかった意味合いをもつものだった。

それでは今、(音楽)として流通している(音楽)は全て(道具の音楽)なのだろうか?
厳密な区分に従えばそうなるけれども、極めて限られた種類の(道具の音楽)には(人間の音楽)、あるいは(宇宙の音楽)が反映されている、と考えることが出来ないだろうか?

だとすれば今、僕たちがやろうとしている(音楽)は実は単なる(音楽)ではなくて、人間や、動物、植物、大自然、あるいは宇宙が存在するための根本的な原理が反映しているものだということのなるのではないだろうか?
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