吉嶺史晴のブログ

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リハビリ

2011-04-20 | weblog
左手を痛めてしまった。多分、重たい楽器で長い曲を休まずに練習し過ぎたのだと思う。
インターネットで腱鞘炎のことを調べたら重症になると楽器の演奏どころではなくなってしまうらしいことが判明したので早速、鍼に行って3日間ほど安静にしていた。

そろそろ練習を復活。
あまり長い間練習出来ないので、短い曲でへんてこりんな指の動きのない曲をゆっくり、ゆっくり練習。

いわゆる、リハビリである。

あああ、今の今になってリハビリなんて!!!!

なんとなく、いろいろな状況に身を置かなくてはならないというようなことに最近慣れて来たような気がする。身体がうまく動かないので、それなりの曲をそれなりにしか演奏出来ないのだ。

それはもう、いわゆる超絶技巧というようなものとは、ほど遠い世界なのである。
これでも、もすこし若い頃は凄い技術の持ち主と一部では呼ばれたこともあったのだが、少なくとも、もう、そのような片鱗はないのである。

全くないのだ。そもそも、普通の技巧の曲でさえ演奏出来ないのだから、もうそれはしょうがないのだ。

ああ、少しずつ、いろんなことが分かって来るよな気がする。でも、それでも演奏したい曲がある。身体がうまく動かなくても、それでも演奏したい曲がある。

うまく、どころじゃなくて、ほとんど動かなくても、それでも、それでも、それでも演奏したい曲がある。それは本当のことなのではないかと思う。

もう、それは多分、自分が生きていることをなんとかして感じてみたい願いみたいなものなのではないかと思う。
自分の技術とか、そのような制約はいろいろあるけれど、でも、それでも、それでも、それでも「ああ、今、生きてるよ」って感じたいのだ。

思えば、楽器の演奏ということに関しては、実に、へんてこりんな指の動きが要求されるものが多いなあ・・・・・

でも、へんてこりんでも、なんてこりんでも、それは、やっぱり、もう、そのように出来上がっている曲があるわけだから、自分自身をその曲にあわせるしかない。とりあえずはそうするしかない・・・

最近、やっぱり「滋味」のことが気になる。
リハビリなんかしてると、やっぱり「滋味」のある音楽が欲しくなるのだ。いろんな音楽があって良い。いや、なければならない。でもなかには、飛び切り「滋味」のある曲があって、それは本当に、なんというべきか、なんといって表現して良いのか、わからないほどに・・・・・

ああ、音楽のことを言葉で語ろうとすると、なんだか必ず、どこかで表現に行き詰まってしまう。

それは何故、この世のなかに美しくて心優しいオンナの人が存在しているのか、という理由を説明しなければならないことの苦しみと通じているような気がする。
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