ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

なぜナチは生き延びるのか――ロベルト・ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』(2)

2017年03月06日 | 読書ノート
〈僕=ボラーニョ〉は、政治抗争に巻き込まれて収監中にカルロス・ラミレス=ホフマンを知る。ある日、彼は古い飛行機―ドイツの戦闘機メッサーシュミットらしい―で黄昏の空に詩を書く。祖国・チリの虚空に巨大な文字で悪夢を書いたのである。(それは僕たちの悪夢でもあった、とボラーニョは言う。)1973年のことだ。翌年彼は、写真家として、空中詩の詩人として、新政権のもと、首都で発表する。写真展では女性客が嘔吐する。確かな評価を与えられないまま所在不明の後、チリを去る。理解できない詩は不在のうちにカルト性を増幅させ、人物は神話化される。一方で数々の殺人事件との関わりも取りざたされている。「世界に吹き渡る変化の風」は彼を召喚しては、忘れさせる。
 そして1998年、バルセロナで〈僕〉はアジェンデ政権時代の敏腕警察官・ロメロに会い、この地に住むラミレス=ホフマン暗殺の協力を求められる。〈僕〉はバルでラミレス=ホフマンを待つ。彼であることを確認するために。ブルーノ・シュルツ―ゲシュタポに銃殺されたユダヤ系ポーランド人の作家だ―を読みながら。
 老いたラミレス=ホフマンに〈僕〉は、ラテンアメリカ人特有の「哀しげで手の施しようがない近寄りがたさ」を見る。「果てしない哀しみがそこに住み着いている」のだ。暗殺に向かおうとするロメロに〈僕〉は「殺さないでください、あの男はもう誰にも危害を加えられません」と言う。心の中では信じていないにもかかわらず。20分後、ロメロは戻ってくる。
「忌まわしきラミレス=ホフマン」のあらすじである。しかしながらこの章の不気味さは、書かれていない部分にある。どんな詩なのか。どんな写真なのか。さらに本当に人を殺したのか。どれくらいの人を殺したのか。読者にとっても、ラミレス=ホフマンは神秘に包まれたモンスターなのだ。そして本当に1998年に彼は抹殺されたのだろうか。本書が刊行されたのは1996年、ボラーニョは架空の人物たちを近未来まで生き延びさせている。それはボラーニョの没年を越え、2017年の現在を越え、2029年を没年とする者までいる。ナチズムが根絶することなく、潜行しつつ、様々に形を変え、立ち現れてくることを暗示しているようだ。
近年のヨーロッパの極右政権や、トランプ大統領の排外主義にそれを重ねたくもなるだろう。しかしボラーニョの悪夢はもっと深い闇と共にある。トランプにはラミレス=ホフマンのような「哀しみ」はない。アメリカ合衆国の「哀しみ」を共有してなどいない。不満を代弁しているに過ぎない。せいぜいがネオナチのレベルだ。現に多くの知識人が批判している。ボラーニョをして根絶することをためらわせ、共感せしむるものを生み出してしまうモンスターこそが怖ろしい。 (霜田文子)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« なぜナチは生き延びるのか――... | トップ | 第8回LPレコードを楽しむ会 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。