ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

もはや同じものではいられない――鴻池朋子展「皮と針と糸と」

2016年12月28日 | 展覧会より

新潟市美術館で開催中の鴻池朋子展。巨大な皮緞帳に引き込まれた。不規則な四辺形をつぎはぎした幅24mに及ぶ支持体に描かれているのは、噴火する火山から流れる骨や血管のような溶岩流に始まり、臓器や植物や冬眠する動物たち、そして美しい雪氷。右から左へと絵巻のように、始原の生命が植物や動物に分化し穏やかに眠り、やがて凍土に覆われる様を思わせる。私がとりわけ好きなのは溶岩流とともに地殻の中で蠢く、細胞のような塊や稚魚のようなもの。神話世界を構成する未分化の生命体たちだ。
人間の想像力を超える自然災害と、自然を見くびった人間の驕りを象徴する原発事故という複合災害を前に、誰もが観念の底を揺さぶられたに違いない。しかしほとんどが時間の経過の中で、その動揺をなだめ馴致させている。しかし鴻池の感受性は元に戻ることを許さなかった。
七年前の東京オペラシティギャラリーでの個展を思い出す。もともと鴻池朋子は神話世界と親しんでいた。「インタートラベラー」と題されたその展覧会は、文字通り広大な空間を地球の核まで、そして神話の世界までをドラマティックに往還するものだった。彼女は豊かな想像力で屈託なく、自在に世界の深奥へ、そして神話世界へと行き来していた。狼も彼女には甘噛みでしか接してこない、そんな親和力さえ感じられた。
今、その愛すべき獣たちの皮を使ってアートをするとはどういうことなのだろうか。筆致は相変わらず巧みだ。しかし皮は光により異様にテカリを発し、果たして支持体としてふさわしいのだろうか、とまず思う。会場には他に秋田の女性たちに作ってもらったという刺繍による民話や伝承を描いたものや、手びねりの得体の知れない陶器が並ぶ。
そこでそもそもアートとは何か、という問いを突きつけられるだろう。皮や布とはアートよりずっと以前から人類が接してきたものだ。アートと言う概念が現れたときから、それらは美術と一線を画されることになった。さらに皮を扱うことは人間の職掌の中でも周縁に追いやられた。そうした境界を鴻池は問い直す。その時、人間の営為とはそもそもが暴力的行為であることにも気づかざるを得ない。それらを排除して君臨する「アート」にどれだけの力があるのだろうか。あれほど親和的であった動物たちの皮を使う鴻池の営為は、まさに自覚的に根源的な暴力を引き受け、問い直していると言ってよい。(霜田文子)
 
 
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