ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

多和田葉子氏講演会「言葉と歩く日記」

2017年07月09日 | 游文舎企画

游文舎では開館9周年記念として、8月5日(土)、多和田葉子氏の講演会を開催する。演題は「言葉と歩く日記」。2013年に刊行された岩波新書のタイトルにちなむ。ドイツに在住し、ドイツ語と日本語で創作を続ける多和田氏は「越境の作家」として紹介されることが多い。ただしかつてのように亡命など政治的理由で他言語を強いられたわけではなく、自ら「選び取った」創作言語である。同時に氏は「旅」の人でもある。多言語が行き交う空間も、国や民族の境界も「言葉」が生まれる場所、ひいては小説や詩が生まれる場となる。
多和田葉子氏の作品は、独特の文体や言葉遣いに注目し初期から読んではいたが、『飛魂』(1998年)を読んで、言葉そのものから神話的世界を作り上げてしまう、こんな方法もあったのかと驚き、以来最も気になる作家となっていた。何しろ、言葉が生き物のように蠢きだし、文字を解体し別の意味を生み出し、それがまさにその物語にぴったりの意味を持ち出すのだから。
その文章は、口角をきっちりと引き締めながら話しているかのように響いてくる。歯切れがよい、というのとは違う。曖昧さのない、慎重に選ばれた言葉を一音一音、丁寧に、なおざりにすることなく発声している、そのままの文章といえばよいだろうか。しかも、視覚や聴覚にも訴えかけてくる。昨年秋には柏崎で、高瀬アキさんのジャズピアノとともに詩の朗読パフォーマンスを聴く(見る)機会を得た。活字ではない表現方法によって、言葉がさらに生き生きと伝わってくることを実感できた。
小説や詩のみならず、エッセーからも新鮮な発想、鋭い視線を感じさせられる。それは今、多和田氏ほど、言語に対して自覚的な作家はいないからだろう。「多言語を意識的に、情熱的に耕していると、単言語とは比較にならない精密さと表現力を獲得する」という多和田氏ならではの講演に期待したい。(霜田)
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