ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

それぞれの言葉を持つ絵画――皆川奈緒子・長谷部昇展「極彩と白黒」

2016年11月02日 | 游文舎企画

色彩だけではない、作風も年代も全く異なる二人の世界が、会場を心地よい緊張感で満たした。
長谷部さんには5年前に游文舎で個展をしていただいている。キャンバスに油絵の具を幾層にも重ね、サンドペーパーで削って描き出す、という独特の手法と、東日本大震災などに反応した重く沈潜した、具象とも抽象ともつかない作品を覚えていた人には、ちょっと意外だったかも知れない。ペンと墨で克明に樹木を描いた作品が主体だからだ。ただし、それらは古木の株や洞(うろ)、節だけが遺った朽ち果てた木片など、やはり長谷部さんならではの着眼を感じさせる。きっかけは、若い頃読んだインドの詩人・タゴールの詩について、改めて樹木に寄せる思いを知ったからだという。タゴールは森の中で、若くして亡くなった母や妻に語りかけるようにして詩を作っていたという。彼の思索は木々の下で深められ、研ぎ澄まされていったのだった。同時に「大きな樹木たちは祈祷者なのだ」という詩の一節も想起されたことだろう。年経た木々は天に祈りを捧げるようにして立っている、そんな光景を思わせる格調高い一節だ。長谷部さんの執拗なほどの描線には、まさに古木への慈しみと畏敬の念が込められている。

そんな中で「相克―壁」(約71㎝×51㎝)という三連作が目を引く。抽象だが、森を逍遙していてふと紛れこんだように、古木の絵の中にあっても違和感はない。厚いケント紙に墨を塗り重ね、サンドペーパーで削ることで描かれた画面は、墨一色とは思えない複雑な階調を見せる。そして画面に切り込むように引かれた線が、強い意志を感じさせる。新たな境地と見た。
(ビッグなダディ)
(リトル・ドーター)
皆川さんの作品はまず、「インコ観音セキレイ夫人」「ビッグなダディ」「象虫」といった奇妙なタイトルが気に掛かる。画面には連想のままに次々と集められたモノたちが躍動する。裸婦、鳥、魚、花、ゲーム、得体の知れない動物たち、ゴルフクラブ、さらには灯油ポンプまで、現代版の風俗画のようだ。ただしエロスも獣性も換骨奪胎され、すべてが等価になって意味不明のままそこにある。それはまた軽佻浮薄な現代社会を相対化しているようにも見える。少し前の作品では絵の具の技巧を凝らしたり余白を工夫したりして、ファインアートとしてのこだわりがあるように見えた。しかし最近の作品は吹っ切れたようにぐっとドライになり、イラストとファインアートの境界を軽々と越えて、見応えのある作品になっている。大画面の隅々まで緻密に描き込まれた圧倒的な描写力と色彩感覚、巧みな構成力がそれを支えている。モチーフは極私的で偏執狂的でさえある。だがそれこそが自らの言葉を語り、特異な画面を作り出しているのだ。さらなる妄想が楽しみだ。

11月3日まで。(霜田文子)
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