(変)独身貴族

変態紳士の俺が歩んできた日々の日記。
不定期とは言え気が付けばもう20年以上日記を書いていた模様。

パキシル

2010-07-29 00:54:43 | Weblog
完全に辞めて何日目だ?
日記読んでる方は勝手に前回から計算してください。

長く続くかな~と思ったこの減薬日記も思いのほかさっさと減薬から断薬まで完了しちゃったもんで、早くもネタ切れという嬉しくもショッパイ結果に終わった。

現状はと言うと、まぁ、夜になると頭がクラッとしたり、目を動かした時に頭のなかにシャンシャンとした音が聞こえるような不快感はあるが、程度が軽いせいもあり慣れてしまったのでまったく苦もない。

一応パニック障害の発作でもなけりゃぁ、またパキシル飲もうってこともないだろうと思うし、もし発作が来ても選択肢からパキシルは外すだろう。
20mgからの断薬が一箇月で完了したわけだ。

もちろん個人差があるっつ~話だから、誰もがこんな簡単にパキシルを辞めれるとはまったく考えていないが、減薬断薬を考えている方の為に少しでも参考になればと思う。

ちなみに、余談ではあるが、酔っ払って気分がいいので俺の薬遍歴を書きたいと思う。

10年以上前、短大時代に、対人恐怖からアルコールに頼るようになり、酒を飲まないと外に出られない状態になり、併せてもとからあった心配性が実家から離れて生活をするようになり、病的な心配性になった為初めて精神科を受診した。
診断結果は抑うつ状態との事だった。

その頃は不眠症もあった為、すぐ抗鬱剤と弱い睡眠薬が処方された。
たしか、アナフラニールって薬とアモバンだったかな。

不安性と対人恐怖はアナフラニールのおかげであっという間に改善したが、これがまた効きすぎた、自分の理想とする人格になれる魔法の薬、それが抗鬱薬だった。

俺の理想は何にも臆しない強い人間だった。理想の自分と、実際の自分のギャップだよね、それを埋めれるってのはすごい魔法だ。

素の自分は人と面と向かって話しをすることも出来ない、見知らぬ土地を歩く事もできない、強面の人がいるとかかわりたくない、そんな人間だった。
それが、薬を飲めば自分から不良の溜まり場に赴き喧嘩を吹っかけるような人間になれた、いわゆる理想の自分。
ただし、薬が切れると素の自分より落ち込むし、必要以上に物事を心配するようになった。

そうなってくると、さらなるハイになる薬と落とす為の睡眠薬が必要になてきて、どんどん抗鬱薬が強い物になり、落とす為の睡眠薬も強い物になっていった。
いわゆる、薬漬けの状態だね。

結局最終的には、市営の病院では処方量が限界になり、町医者に通って薬の量を水増しするようになったよね、薬が切れたときのギャップが怖いから。

抗鬱薬は相変わらずのアナフラニールがマックス、眠気がひどいのでリタリン、薬が切れたときの振るえを抑えるためにパーキンソンの薬、抗不安薬は手放せず、夜は寝れないのでヒルナミン40mgにサイレースがmaxとベゲタミン+酒。
こんな生活が何ヶ月続いただろうか。

最終的に精神が破綻して自殺を企てた。

幸い日記に書き綴った遺書を友達が発見して鍵を閉めてない部屋でこん睡状態の俺を発見してくれた為、病院のベッドで目を覚まし現在も生きている。
2日程目を覚まさなかったらしいが、目を覚ました時には遠く海の外から駆けつけてくれた母の前でちんこに管をさし、大量の点滴を注射されているという大変残念な姿をさらしていた。ちなみに町医者には精神病院の強制収用紹介状を書かれたが、全力で拒否し、実家に強制収用され、通常ではやらないであろう、全ての薬を一気に断つという無茶な断薬を自分で行った。

詳細は薬ボケのせいでよく覚えてないが、一つ記憶に残っているのが、3歳はなれた兄との喧嘩だ。

兄は地元でもトップクラスの不良、2chでいうところのDQNだ。
小さな頃から、兄に逆らう事も出来なく、よく兄からイジメられ、弟の俺としてはいい迷惑だった。

20歳にもなろうと言う俺は、自殺未遂の末実家に戻り、多少は落ち着いた兄に断薬のイライラと共に初めて自分から喧嘩を挑んだ。


けっか、パンチが目測を誤り窓に突っ込み動脈から大出血という素敵な結果に終わったのだが、冷静にタオルで止血をして病院に連れて行ってくれた兄とは今はわだかまりもなく仲良しだ。

その頃の断薬は精神状態がまともに保てない程のものであったが、幸い家族の理解があったため、半年程で大学にも復学する事ができ、その時の苦しみがあったから自分の理想と現実のギャップを埋める事もできた。
ようは、そんだけ苦しい思いをする位なら現実を受け入れようという気持ちになれた訳だね。実際、その頃の断薬の苦しみと、家族や他の人にかけた迷惑に恥じる事にに比べればと
思えば、多少は昔より精神が太くなったんだと思う。

自殺をして家族や周りの人にかける悲しみや迷惑を考えたら、普段の悩みなんてすごく小さな事だと気がついたからね。

で、なんだかんだありながらも、大学を無事卒業し、社会に出れたわけだ。

まぁ、そんなこんなな前歴があったせいで、就職活動もろくにせず、社会はIT不況。
入れる会社なんかなかった。

とりあえずで就職活動はしたものの、行き着いた先は田舎の工場のライン工。

給料も安いし、残業はサービス、それでも大学卒のヒラ社員は俺しかいなかったから余計なポストを与えられ、忙しいし薄給だし、下はいう事キカネェしという素敵な環境。

一年勤めたかな・・・。

新ラインが閉鎖しそうな香りと嫌気がさして退職。
案の定退職後すぐにそのラインは閉鎖、ざまーミロだが、俺も無色。
だったら、ライン閉鎖で首切られてたほうが失業保険もらえて良かったよねって感じ。


その後、実家自営の営業マンも数年程やってみたが、不況にあおられ、給料未払いの為パチンコパチスロにせいをだした。

で、時期が良かったせいもあり、気がつけばスロットプロに。

これも2年位やったのかなぁ・・・。

グランドオープンの開店プロ、その店でジグマになり、プロの仲間が出来て、仲間と一緒に開店プロ集団になって、ホームの状況がが悪くなりその後県内の状況のいい店を転々と。
高校の頃の同級生がプロにいたため連れ立って県外まで旅打ち。

半年程車上とラブホの生活を続けたがツレの結婚と共に俺もパチプロ廃業。

その時のたくわえで半年程エロゲとスナック通いのNEET生活をしたが、金が底をつき将来の不安と社会復帰の為にバイト生活に突入。

その頃は既に20代も後半だったかな。

知り合いのつてがあり、派遣で公務員の職場に非正規雇用でもぐりこんだが、慣れない満員電車と定時まで仕事はないわ、毎日サビ残で深夜になるわ、参加したくない飲み会に毎回連れていかれるわの訳のわからないストレスで出勤途中の地下鉄の階段で初のパニック発作発生。

最初は何が起こったのかまったく理解できなく、何件かの病院にかかったが、適当に抗不安剤を処方され処置終了。

妄想と予期不安に悩まされたが、昔の断薬の苦しみを思い出し、なんとか自分をふるい立たせ、薬を飲まずに生活を送った。自分を不安に追い込む為に発作を抱えたまま単独でテントを抱えてバイクツーリングにも行き、不安を克服しようとしてみた。

しかし結局は発作が起きないようにストレスから逃げる為、その職場を自己都合退職した。


ストレスから解消された為か幸いパニック発作も頻度が少なく、ダラダラとバイトとスロットで食いつないでいたが、状況は思わしくなく、将来に不安が募る新しい不安が募る日々だった為、地元近くの派遣会社に就職。

選択ミスだった。就職した会社は最強ブラック企業だった為、研修名目で駅もない田舎からいきなり東京に飛ばされた。

半年位の研修との説明だったが、いつまでたっても地元に帰れる目処もなく、毎日サビ残+手取り9万5千円の相部屋社員寮生活。
ストレスはピークだった。

他企業への出向が期間終了となり、訳のわからぬまま、社員寮の管理人にさせられ、、社員寮閉鎖と共に東京ど真ん中の本社の総務へ移動となった。

毎日想像を絶する通勤ラッシュ、ちなみにわかる人はわかると思うが、千葉から青山までの通勤だ。

本社総務、主に社員寮を担当する部署の人間になったが、担当は俺一人。日本全国、いや、海外アジア各国に点在する1000人を超える会社名義の物件に住むの住人の窓口だ。
ちなみに前任の人間は精神を病んで急に退職した為引継ぎ等いっさいなかった。

当然の事ながら、毎日サビ残。
残業申請を書かないと残業が出来ないという決まりだが、残業申請が却下される不思議空間。結局は出しても無駄な申請を出さずに残業するしかない。

そんな折り一緒に旅打ちしていた友達が社会に適合できなかったかどうかはさだかではないが妻子を残し自殺、翌日入電。
通勤ストレス、残業ストレス、友人の死のストレス、大パニック発作発生。

外に出る事もままならない体調になった為休職。

休職の為の診断書を会社指定の病院でとらなくてはならなかったのでかかった病院で処方されたのがSSRIのパキシル。
最初は10mgだったが発作がおさまらないので、20mgに増量。

ストレス環境から脱出の為、本社総務から、技術の派遣に移動願い。

そして、気がつけば地元から研修名目で東京に送られ5年の歳月がたっていた。

給料もようやく手取り30万の年齢相応になったが、33歳にして一昨年の世界レベルの不況に見舞われ派遣終了。

丁度その頃実家自営の社長である父が脳梗塞で倒れ、あさっての方向を見る人間になった為、ブラック企業に見切りをつけ、退職し地元に戻り取締役に就任。

都会に揉まれたおかげで、田舎での生活はストレスが少なく、また、自営の為給料は出ないが自分のペースで仕事ができるし飯も母親が供給してくれる為食生活が充実している。
まったく不安も発作もない。

となればパキシル減薬開始。

気がつけば3年も服用を続けたパキシルとは縁が切れた。

今は一切薬を飲む事が無い。


減薬の日記だけ書こうと思ったが、気がつけば半生を語っていた俺。



まー、俺の人生みてまだ自分よりマシだなと思う方がいれば間違いなく鬱は治るだろうし、薬を辞める日もくるだろうし。

なによりパニック障害は治る病気だから、悲観的にならず日々過ごして頂戴。






日記を読んだみんな元気になれ!
悩みなんてだれだってもってるんだよ!

自分だけが苦しいんじゃないって。






俺だって毎日苦しいよ!   金なさすぎて(笑)


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