何気なく、図書館で西原理恵子さんの『パーマネント野ばら』を借りてきました。物語は、山あいのハウス農家のおばあちゃん達のパンチパーマを引き受ける「パーマネント野ばら」が主人公なおこの実家で、なおこは娘を連れて出戻っています。彼女の周りには絶え間なく恋に関する出来事が起こり、なおこ自身もせつなく「たよりない恋」の中にいます。強烈なキャラクター達の行動は圧倒的ですが、同時に相手に愛されたい願望が強く、それゆえのもろさもあります。人の弱さとしたたかさが両方描かれています。
全体的に叙情的ですが、すごくぐっと来たのが、ごみ夫婦とよばれているごみを集めている老夫婦のところへ定期的にカットへ行っていて、なおこの母親はその二人をうらやましいと思っているということを話す場面です。
「私ねえ 子供の時夢があったんよ 大人になったら だいすきなひとと お花畑でくらしたい」
ごみは外見だけの話で、おばあさんにとっては大事なもので、入れ替わるけれど、側に寄り添うおじいさんも大事な人であって、それはとてもすごく幸せな事ではないでしょうか。誰かが、幸せは自分の心が決めるものだと言っていたことがありますが、そう生きているおばあさんを私もうらやましく思うのです。なおこの母親は恋に対しては花畑で生きることはできないようですが、孫・娘・お客さんが花だといいきる姿も素敵だなと思います。
この漫画を読んで、恋愛が人生の全てではないと思い生きていましたが、どこかで、恋をしないと生きている感覚がないんじゃないかと思うことにも気づきました。まだ、おばちゃんらのように、楽になれない。誰かをいとしく思うことを繰り返すのかもしれません。この記事のタイトルは、ラストで語られる言葉です。いろいろあるけれど、そう思うのです。
全体的に叙情的ですが、すごくぐっと来たのが、ごみ夫婦とよばれているごみを集めている老夫婦のところへ定期的にカットへ行っていて、なおこの母親はその二人をうらやましいと思っているということを話す場面です。
「私ねえ 子供の時夢があったんよ 大人になったら だいすきなひとと お花畑でくらしたい」
ごみは外見だけの話で、おばあさんにとっては大事なもので、入れ替わるけれど、側に寄り添うおじいさんも大事な人であって、それはとてもすごく幸せな事ではないでしょうか。誰かが、幸せは自分の心が決めるものだと言っていたことがありますが、そう生きているおばあさんを私もうらやましく思うのです。なおこの母親は恋に対しては花畑で生きることはできないようですが、孫・娘・お客さんが花だといいきる姿も素敵だなと思います。
この漫画を読んで、恋愛が人生の全てではないと思い生きていましたが、どこかで、恋をしないと生きている感覚がないんじゃないかと思うことにも気づきました。まだ、おばちゃんらのように、楽になれない。誰かをいとしく思うことを繰り返すのかもしれません。この記事のタイトルは、ラストで語られる言葉です。いろいろあるけれど、そう思うのです。
泣かせようとは思ってない
作風やキャラなのに
なんともいえないせつないような
雰囲気もあったりして
私も好きです。
いとしいとゆうのはいいもんだと
思います。
彼氏とかが望ましいかと思いますが
まぁとりあえず周りのひとみんなでも
いいかと思います。
> そばに好きがあったら人生毎日正月
このタイトルいいですね.
今日は一日家にいましたが,体調が悪く外にもロクに出られないで,人と話をしたいとしみじみ思い(アンビバレントではありますが‥),その気分に合致しました.
「好き」をそばに於けるのは「自分の優しさ」でしょうね。それを持ち続けるには大変な努力が必要ですが・・・
お互いに頑張りましょう。
自分の周りにいる皆を大切に思いたいですね。時々自分本位でつっぱしっちゃうことありますんで。
「好きはきれえな花みたいやし」
というものです。いつまでも抱きしめていたいようなそんな感じですね。
体調は大丈夫でしょうか?人と話をしたい時にはよりぐっときますよね。私も似たような感じだったからより心にきたのかもしれないです。
>「好き」をそばに於けるのは「自分の優しさ」でしょうね。
人を好きになっている時は優しい気持ちを持っているときだと思うのです。人を思いやる気持ちを持てる力ができるのではないでしょうか。ただ、それに対する見返りもほしくなるから、うまくいかないのかもしれません。本当に努力ですよね。私もそうありたいです。