デビッド・クリストファー・ハッチャー(David Christopher Hatcher)選手は、米国・ノースカロライナ州レノア郡キンストン出身のプロ野球選手です。現在はロサンゼルス・ドジャースに所属しているピッチャーです。
2006年 MLBドラフトでフロリダ・マーリンズからキャッチャーとして5巡目(全体155位)指名され、6月12日に契約。この年は1Aで36試合 打率.181 ホームラン2本 17打点 3盗塁。
2010年 1A+でシーズンの大半を過ごす。9月1日にマーリンズとメジャー契約を結ぶ。19日のシカゴ・カブス戦でデビュー。9回裏に代打として出場したが、三振。5試合 6打数 0安打 5三振。
2011年 3Aで開幕。ピッチャーに転向。7月8日にメジャーへ昇格し、7月16日のカブス戦で初登板。8回裏から登板し、1回を無安打無失点1奪三振。この年は11試合 防御率6.97。
2012年 3Aで開幕。5月5日にメジャーへ昇格、2試合に登板したが防御率13.50と結果を残せず。3Aへ降格。8月3日に再昇格し、この年は11試合 防御率4.30。
2013年 3Aで開幕。7月7日にメジャーへ昇格。8日のアトランタ・ブレーブス戦で、同点の延長14回表から登板したが、1回を投げ4安打6失点3四球の乱調で初黒星。試合後に3Aへ降格。9月1日に再昇格し、この年は7試合 0勝1敗 防御率12.46。
2014年 3Aで開幕。開幕後の4月29日にマイアミのバーでチームメイトのサム・ダイソン選手と喧嘩になり、ダイソン選手の顎の骨を折ったため、5月1日に制限リスト入り。5月22日に再びマーリンズとメジャー契約を結んだ。この年は52試合 0勝3敗 防御率3.38。
2014年 12月10日にロサンゼルス・ドジャースへ移籍。
ドジャースのクリス・ハッチャー選手は2010年のメジャーデビュー当時はキャッチャーでしたが、翌年からピッチャーになったという異例の選手です。メジャーでキャッチャーからピッチャーへ転向した選手は1930年代後半にプレーしたアート・ドールさん以来のことです。
ハッチャー選手はオフシーズンになると必ず地元ノースカロライナ州キンストンに戻り、市が運営する公園などの管理団体パークス・アンド・レクリエーションでパートタイムの仕事をしています。15歳のころから働いているそうです。
「学生のアルバイトから始まったんだ。当時は夏に球場のグラウンド整備などをしていて、体を動かせるから良いトレーニングになっていたんだけど、プロ入りしてからはオフだけ働いている。もう僕の一部だね。楽しいし、少しでも地域への恩返しになればと思って。これがなかったら僕は毎日テレビを見て過ごすだけの役立たずになっていただろうからね。一応ちゃんとオフィスにデスクがあるんだよ」
フレックスタイム制で週に30時間ほど。朝7時に出勤して、午後からは野球のトレーニングへ。市の決まりで最低賃金をもらっているそうですが、「ボランティアでも構わない」と言っているそうです。「二十数個の公園を管理しているんだけど、毎年新しいプロジェクトをしているうちに大工やら溶接が得意になって、去年は好きが高じて自宅に溶接工房までつくっちゃった。工房にこもって音楽をかけて作業をしたら6〜7時間は平気で没頭できる」とのことで、市のプロジェクトで、これまでに3m級の飛行機のオブジェやキッズ向けの機関車の制作等に携わってきたと誇らしげに話すそうです。
そして毎年11月の感謝祭の後に欠かせないのが、市のクリスマスツリーのセットアップ。「人工のもみの木なんだけど、8m以上あるから重機を使って2日かけて設置するんだ。重機の運転をできるのが全部で3人しかいなくて、7〜8年前から僕が担当するようになった。5万個のライトをつけているからこれも大変! 球が切れると連動して切れちゃうから、どの球が切れたか、一つひとつ確認しなきゃならない」と取材に対して、美しくライトアップされたツリーの写真を見せたそうです。
そのハッチャー選手は昨年からいつもと違うオフを過ごしているそうです。2015年10月上旬、カリブ海で発生し米東海岸南部にも大きな爪痕を残した「ハリケーン・マシュー」。マシュー選手の地元すぐ近くのレノア郡も大きな被害に遭いました。シーズン終了後にすぐさま航空券を取ったマシュー選手は、連日ハリケーンの残骸を処理するゴミ廃棄場へ通い、他の作業員たちと同じ蛍光色のベストをまといながら、ブルドーザーを操作して復旧を手伝っているそうです。
「僕は野球選手としてより、何事にも頑張っていたヤツって覚えてもらいたいんだ」
私もこの一年、頑張ってみようかと思います。