自分のふるさとの富山が好きだと自分の送別会で語った女子社員、脇田千春は富山に帰った。送別会の後、彼女の上司、川辺は知り合いがやっているバーに行く。マスターの日吉が昔、富山で雪の中を20キロも歩いた話をしてくれた、その晩に別の女性客が「ゴッホの『星月夜』がもうじき真帆の部屋に着くわ」と連れに話しているのが聞こえてきた。彼の娘は23歳、妻子のある男性と不倫関係にある…というのが最初の37頁。
富山についてマスターが他の客と話しているのを聞いた真帆は童話作家。自転車メーカーのカガワサイクルの社長をしていた父親は、九州に出張に行っていたはずなのに、富山の駅で心筋梗塞で亡くなった。父はどうして富山にいたのだろうか…
うーむ。うーむ。なんという豊かな物語なのだろうか。
父の死の謎を解くという主題を真ん中に置きつつ、しかし様々な登場人物の視線で全然違う物語が進んでいく。これに何の関係があるのだろうと思っていると、後で必ずつながる。そのつながらせ方に思わず、うっと唸ってしまう。
川辺、川辺の娘、マスター。富山に帰った千春。京都でお座敷バーを経営する女性、富山で美容院を経営する女性。真帆を担当する編集者とシゲルちゃんの関係。魅力的なキャラクターがこれでもかと登場する。
私のような者が言うと、安っぽくなってしまうが言わせてもらえれば、
生きるというのは、重荷を背負って歩くようなものだけれど、重荷を背負い続けていれば、必ずごちそうにありつくことが出来る。なんてことを思った。
というような文化批判もある。確かにそうだなー、と思いそして、人間もその場しのぎの薄っぺらなことばかりしていると、十五分も話していれば、底が知れてしまい、そして飽きられてしまうのだろう。なんてことをパラフィンな人生を生きる私は思った。
今日の一曲
港、海。Paul Simonで"Once Upon a Time There Was an Ocean"
では、また。
富山についてマスターが他の客と話しているのを聞いた真帆は童話作家。自転車メーカーのカガワサイクルの社長をしていた父親は、九州に出張に行っていたはずなのに、富山の駅で心筋梗塞で亡くなった。父はどうして富山にいたのだろうか…
うーむ。うーむ。なんという豊かな物語なのだろうか。
父の死の謎を解くという主題を真ん中に置きつつ、しかし様々な登場人物の視線で全然違う物語が進んでいく。これに何の関係があるのだろうと思っていると、後で必ずつながる。そのつながらせ方に思わず、うっと唸ってしまう。
川辺、川辺の娘、マスター。富山に帰った千春。京都でお座敷バーを経営する女性、富山で美容院を経営する女性。真帆を担当する編集者とシゲルちゃんの関係。魅力的なキャラクターがこれでもかと登場する。
私のような者が言うと、安っぽくなってしまうが言わせてもらえれば、
生きるというのは、重荷を背負って歩くようなものだけれど、重荷を背負い続けていれば、必ずごちそうにありつくことが出来る。なんてことを思った。
文化財保護と銘打って、古民家のあちこちを補修して安化粧で装い、「なんとかの道」だとか「なんとかの宿跡地」だとか名づけて、おじさんやおばさんが観光バスで乗りつけても、そんなものはせいぜい十五分も歩けば底が知れてしまって、おいしくもない、というよりうも、たいていはまずい草餅とか名代のなんとか蕎麦を食べさせられて、古くて風情のある商家ねェ、なんて言って、それきり思い出しもしない観光用の町が、日本中に作られてしまった。
というような文化批判もある。確かにそうだなー、と思いそして、人間もその場しのぎの薄っぺらなことばかりしていると、十五分も話していれば、底が知れてしまい、そして飽きられてしまうのだろう。なんてことをパラフィンな人生を生きる私は思った。
今日の一曲
港、海。Paul Simonで"Once Upon a Time There Was an Ocean"
では、また。
図書館に予約していますが、まだまだ順番は回ってきそうにありません。
いつかは、きっと願いがかなってしあわせになれるんだろうと自分に思い込ませて日々を送っているけれど、
そんな日は来ないことに気が付いているのに気が付かないことにして暮らす毎日に疲れて、
行くあてもないのにどこか遠くに行きたくなります。
そんな時に宮本輝作品を読むと、こころが復活!します。またしばらく歩いていけそうな気持ちになります。
>生きるというのは、重荷を背負って歩くようなものだけれど
ふるさんもそんなふうに思われることがあるのかしらと、思ってコメント致しました。
>いつかは、きっと願いがかなってしあわせになれるんだろうと自分に思い込ませて日々を送っているけれど、
>そんな日は来ないことに気が付いているのに気が付かないことにして暮らす毎日に疲れて、
ハッとするような言葉です。
>>生きるというのは、重荷を背負って歩くようなものだけれど
>ふるさんもそんなふうに思われることがあるのかしらと、思ってコメント致しました。
昔はずいぶんと重い石をしょっていたような気がしますが、今ではかなり軽くなってしまいました。
それそのものが軽くなったのか、あるいはしょっている方の気持ちが変わっただけなのか分かりませんが。
きっと、ふるさんが大きく強くなったからではないでしょうか?
「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし 急ぐべからず」という 徳川家康の人生訓を知った時、
重い荷物を支えきれずに行き倒れる姿を想像し、
人はそうして死んでいくのか…と愕然とした中学生時代から、私は進歩していないようです。
>きっと、ふるさんが大きく強くなったからではないでしょうか?
いやいや。背負わなければならない物をどんどん捨てていった結果だと思いますよ。
>重い荷物を支えきれずに行き倒れる姿を想像し、
>人はそうして死んでいくのか…と愕然とした中学生時代から、私は進歩していないようです。
重い荷を背負っているからこその喜びもあるのではないでしょうか。サウナで我慢したの後のビールは旨いというような。
読むにつれて、
沈み込んでいた深い場所から光の方へ向かうような…
周りを包んでいる空気が少しずつ澄んでくるような…
自分が少しだけ上等な人間になれそうな気持になりました。
宮本作品はいつも心を満たしてくれます!
>沈み込んでいた深い場所から光の方へ向かうような…
>周りを包んでいる空気が少しずつ澄んでくるような…
素敵な言葉ですね。パールさんが、素敵なのか、それともそう言わせる輝が素敵なのでしょうか。
>自分が少しだけ上等な人間になれそうな気持になりました。
>宮本作品はいつも心を満たしてくれます!
御意。
輝作品の未読なものがあるのですが、勿体無いので、積ん読しております。