いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(254)「主にあって強し」

2014年07月09日 | 聖書からのメッセージ

 ピリピ人への手紙4章10節から20節までを朗読。

 

 13節「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。

 この言葉に先立って、11節に「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ」とあります。「どんな境遇にあっても、足ることを学ぶ」とは、誠に幸いな恵みではないでしょうか。私どもはなかなか満足できません。いつも不足を感じる、足らないことを嘆く、つぶやくが現実の姿です。いろいろな事がどうしても思いどおりにいかない、願いどおりにすすみません。そして、あれが足らない、これが足らないと、いつも心に乏しく思います。ところが、パウロは「どんな境遇にあっても足ることを学んだ」と語っています。では、彼は余程恵まれた生涯だったかと言うと、決してそうではありません。確かに、生まれ育ちは相当な家柄であったと思いますし、また彼自身、個人的な才能、資質を言うなら、大変恵まれた人物であったことも確かです。才能豊かで、将来を大いに期待される人物でもありました。では、そのように恵まれていたから、彼はそう言ったのかというと、そうではなくて、ピリピの教会に手紙を書きました時は、パウロはろう屋に入れられていた時期であります。彼が地中海各地にイエス様の福音、イエス様のことを宣(の)べ伝えてまいりましたが、それに反感を持つユダヤ人たちによって捕らえられて、ろう屋に入れられることが何度となく繰り返されました。そのような境遇の中で、このように語ったのです。

 

 このピリピ人の手紙は1章からお読みいただくと分かりますが、「喜びの書」とも言われています。と言いますのは、ピリピ人への手紙には、「喜びなさい」「喜びなさい」と、何度となく繰り返されています。何回繰り返されているのか数えたことはありませんが、パウロによって書かれたテサロニケだとか、テモテだとかいろんな手紙がありますが、それらにはない、一つの大きな特徴です。「喜びなさい」と。今お読みました4章4節にも、そのように記されています。「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」と。私たちがいつも喜んでおれるのは、どういう時なのか。夢がかなったり、自分の計画通りに事が進んだり、思いが遂げられたり、そういう時に人は喜びます。事情、境遇、事柄をもって喜ぼうとします。ところが、そうである限り、なかなか喜べません。自分の状況や事柄が、自分の置かれた問題がこうなったら、ああなったら喜ぼうと思っている限り、思うようには事は進みませんから、嘆かざるを得ないし、不安と恐れと思い煩いが心を支配することになります。

 

 ところが、パウロは4節に「主にあっていつも喜びなさい」と語っているのです。事情や境遇、事柄が良くて、自分の願いがかなうから喜べというのではなくて、「主にあって」と言われます。「主」とは、イエス・キリストのことです。イエス様を信じて、イエス様のゆえに喜びなさいと言っているのです。私たちが喜ぶのは、ともするとそのような事情、境遇の中で喜ぼうとしますが、それでは決して喜べません。確かに、一時的に楽しいことやうれしいことがあって、「うれしい」と言って喜びはしますが、そんな喜びは長く続きません。一瞬の間に消えていきます。喜んだと思ったら、その次に不安と恐れや心配が追いかけてきます。永続的なと言いますか、変わらない喜びに生きること、これが私たちの願いではないでしょうか。ところが、そのような事象、境遇、事柄をもって喜ぼうとするものですから、いつまでたっても私たちには不安があり、恐れがある。そして、喜ぶことができないでいます。しかし、ここでパウロが「主にあって」と言います。イエス様のことを思って、と理解していただいたらいい。イエス様のことを思って喜びなさいと。

 

どうしてイエス様のことを喜ぶことができるか。それは永遠の滅びに定められた私たちを、神の子でいらっしゃった御方が、人となってこの世に来られ、私たちのすべての罪を負うてくださり、十字架に命を捨ててくださったと信じることによってです。これがイエス・キリストを信じる信仰です。イエス様をこの世に送ってくださった万物の創造者、造り主でいらっしゃる神様がおられ、その神様がご自分の愛するひとり子を惜しまないで、私を愛し、皆さんお一人お一人を愛してくださった。「我窮(かぎり)なき愛をもて汝を愛せり」(エレミヤ31:3文語訳)、とおっしゃってくださる。神様のご愛を感じ、知って信じることによって、私たちは喜ぶことができる。

 

私はこのことを今大変感謝しています。今こうして私もイエス様の恵みを感謝し、証詞する使命を与えられてここにおりますが、そもそも私は牧師、あるいは伝道者になるつもりは毛頭なかったのです。自分の好きなこと、自分のしたいこと、夢を実現したいと思っていました。人生はそういうものだと思って生きていました。では、私は神様を知らない、神様から離れていたかというと、そうではなくて神様を信じていました。信じるけれども、あまり自分の人生には関係してほしくない。自分が足らないところ、あるいは自分が助けてほしい時だけ、役に立ってほしい。世間で言うところの“苦しいときの神頼み”と、そういうことを自分でも思っていたのです。だから、何か困ったことがあると、一生懸命にお祈りをする。礼拝にも励む、教会にも行く。しかし、調子が良くなると、「いいか、しばらくは」というような、切れかかった蛍光灯のようについたり消えたりという状況だったのです。ところが、神様の不思議な導きでのっぴきならない、神様のそばにおらなければならないようになってしまった。と言いますのは、結婚しまして、住んだアパートの近くに教会があったのです。それまでは、それこそ行ったり行かなかったり、礼拝も出たり出なかったりというような生活をしていました。結婚してから、私どもは名古屋に住んでいました。北九州出身の家内には名古屋は全く未知の土地でした。友達も居ません。かといって、何か習い事をしたりしても、すぐに友達ができるわけでもない。寂しいのです。結婚してすぐは、2DKぐらいの小さなアパートですから、家事なんて何ということはない。掃除だって30分もあれば全部終わってしまう。時間が余って一日暇で仕方がない。それでちょっと困りました。幸い、歩いて五分くらいの所に教会があったのです。私はそもそも牧師の家庭で育っていましたから、教会のことはよく分かりますので、「とにかく牧師館に行きなさい」と言ったのです。「普段の日でも時間があったら牧師館に行って、牧師先生にお願いして、洗濯だろうと掃除だろうと、庭を掃くなり、教会には用事はたくさんあるから、何か手伝いなさい」と言ったのです。そうしましたら、家内が時間のある時、よく牧師館に行くようになりました。その教会の牧師先生はお子さんがいない女性の先生でしたから、娘のようにかわいがってくれるようになった。

 

そのうち家内に「教会学校の教師をするように」という話があった。「それはいい」とすすめ、「私は関係せんでいいから、あんただけやっときなさい」と言っておった。そうやって、家内が教会学校の御用をさせていただくようになりました。そうすると、私に教会学校のいろいろなことを話すのです。私がなまじっか子供のころから教会を知っているだけに、口を挟む。「あそこはこうしたらいい」、「ここはこうすべきだ」とか、「それはいけないのではないか」とか。それを家内は真っ正直に受けまして、それを持って行って教師達に話す。そうすると、皆さんから「榎本さんのご主人は、陰で言うぐらいなら、出てきてちゃんと言ってほしい」となり、とうとう行き掛かり上、私も「教会学校の御用をしてください」と頼まれ、日曜日に教会を休めなくなってしまった。ちょうどその時、教会学校の中に小学、中学クラスまではあったのですが、高校から大学生を対象にするクラスがなかったから、「榎本さん、やりなさい」と言われ、「それでは、よし、やったろう!」という気になった。今考えてみますと、神様の計略だったなと思うのです。そうやって引き込まれてしまった。

 

そこの教会は人数が多いのです。当時の世の中は、今のように楽しみがないから、日曜日の朝になると、子供たちがたくさん来るのです。とうとう150人ぐらい子供が来るようになり、それで一度に入れなくなりましたから、1部と2部の2回に分けて教会学校をやっていた時期があります。その責任を負わされたのです。それで、私も自分の仕事もありますが、教会もあるし、忙しくてかなわない。それでもまた牧師先生が「お願いしますね」と言われるものですから、あれも、これも、とうとう教会のことばかりやっていた。そのほかにも青年会であるとか、何とか会であるとか、いろいろな部会があり、そのお世話をさせられて、神様から逃れられない。そこへもってきて、家内は牧師館の食事のお世話から、来客があると必ず呼び出されて、そういう御用をさせられる。牧師先生は女の先生で、独身者で、牧師夫人がいませんから、家内が牧師館を取り仕切っていた。夫婦そろって入り浸っていました。住まいが遠くになっても逃げられない。ができない、泥沼です。それでとうとう困り果てて、どうしたら逃げられるかと考え、留学しようと思ったのです。するとうまい具合に留学させてもらえた。これ幸いにあまり教会とかかわりあわないで、神様ともあまり深入りしないでいけると思ってアメリカに行った。

 

アメリカに行って通っていた教会でまた引っ掛かってしまったのです。そこの副牧師の若いご夫婦が同じ年代だったのです。すると大変喜んでくれて、あの会だとか、この会だとか、いろいろな会に引っ張り出される。ほとほと困りました。断るに断れない。そして2年後また日本に帰ってきたのです。そして同じ教会に戻りましたが、もうその時はほかの方々がやっていたから、私は手を出すまいと思って引っ込んでいました。するとまた別の用事を先生から言いつけられて、ズルズルと引っ張り込まれて、どうにも仕様がなくなった時、神様が私の心に届いてくださったのです。

 

もう20年以上も前ですが、大学に勤めておりましたから、年末になって、4月からの新年度のプランを立てます。大体、それが12月から始まる。次の年度、新しい学年でどのような授業をするか、授業計画や時間割の作成とか、そういうものが入ってくる。それは本来楽しみなのですが、その時はどういう訳か楽しめない。それでいて、心が落ち着かない。このままこの仕事をしていていいのだろうかと、疑いがわいてくる。それが年末から元旦にかけて、激しく自分の心を揺さぶる。今振り返ってみると、神様が臨んでくださったのです。夜も眠られない。そして一人でお祈りしていると、「あなたは、わたしに従ってきなさい」と、ヨハネによる福音書21章の御言葉が耳に響いてくる。お祈りをしていて、「神様、私はこれまであなたに従ってきました。あれもしました、これもしました、こうもしました。こんなこともしたのですよ。あなたのためにしたのですよ」と、お祈りするけれども、心が納得しない、落ち着かないのです。そうこうしているうちに、だんだんと「私は神様のためにあんなにした、こんなにした」とお祈りしているが、その一方、神様から私は何をしてもらっただろうか。私は神様のためにあんなにした、こんなにしたと言っているけれども、私に対して神様は何をしてくださったのだろうか。それからもう一度、自分が生まれてから43歳のころでしたから、40年ちょっとの人生を振り返ると、いろいろなことで神様にお願いしてきた。「ああしてください」、「こうしてください」と、自分の願いを神様に次々と祈った。その祈りに神様は答えてくださった。そして自分の思うよりも願うよりももっと素晴らしい、非常に恵まれた境遇に置かれました。私は神様に対して「ああもしました。こうもしました」と言っているが、それは神様が私にしてほしいと願ったことだったのだろうか。あの祈りにも答えてくださった、このこともしてくださった。数えたら数えきれないくらいにたくさんのことを神様は恵んでくださった。そればかりか、ひとり子でいらっしゃるイエス様を、私のために十字架に釘付けて、「父よ、彼らを赦し給へ」(ルカ23:34文語訳)と、私の罪を赦して、憐(あわ)れんで、生きる者としてくださった。その時、私の心に大水がドッと押し寄せてくるように、神様の愛が膨らんだ。イエス様が何を私にしてくださったか。その思いがあふれかえって、ジッとしておれない。そのとき「神様、ごめんなさい」と言うしかないのです。「私はあなたに従ってきました、神様、あなたのためにこんなにしてきましたと言っていましたが、私はあなたが願っている、あなたが求めていることに従うことをしなかった。そのような私なのに、神様、あなたは私のためにひとり子を送ってくださった。『我窮(かぎり)なき愛をもて汝を愛せり』、『それはその獨子(ひとりご)を賜ふほどに世を愛し給へり』(ヨハネ3:16文語訳)と。これほどに私を愛してくださっているのに、私はいったい何をしただろう」。その時、こんな事をしているわけにはいかない。「神様、降参します。神様、これからあなたの求めるところに従って行きます」。そう決心したのです。そうした途端に、心が非常に軽くなった。生活がどうであるとか、どういうことがしたいとか、何したいとか、そんなことは一切お構いなし。その瞬間から「これからの残された生涯は、神様あなたにお従いしてまいります。あなたが『よし』とおっしゃることはどんなことでもします。命を神様にささげます」と覚悟しました。それまで勤めていた仕事を辞めました。すべてを神様にささげて、「神様、あなたが『よし』とおっしゃること、『行け』とおっしゃる所、どんなことでもさせていただきます」と心を定めた。今でも忘れませんが、お正月明けの4日か5日ぐらいの時です。そして、詳しいことは省略しますが、その後、神様の導きを得て、福岡へ遣(つか)わされてまいりました。その時以来、こんな者を愛してくださる主にあって生きる喜び、これは変わりません。

 

恐らく、皆さんも同じだと思います。神様がこんな私を愛してくださって、ひとり子を賜うほどの大きなご愛をもって、顧みてくださっている。この神様のご愛を感じる時、もう恐れはなくなり、喜び、感謝、そしてただうれしいの一言です。だから、この4章4節に「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」と勧められていますが、本当にそのとおりで、イエス様のご愛に満たされる時、神様が愛してくださるそのご愛に絶えず思いを向けていく時、喜ばなければおられないのです。本当にそうでしょう。神様がこんな者を愛してくださって、今日も許され、生きる者としてくださった。だから、私はそれ以来毎朝起きるなり、「今日も主が命を与えて生きる者としてくださっている」と、このことを感謝せざるを得ない。今日生きるのは自分のためではなくて、私のために死んでよみがえった方、イエス様のため。皆さんも同じく今は死んでよみがえってくださったイエス様のために、生かされている生涯です。神様はやがて私たちのその使命が終わったならば、即、天に召されるに違いない。その時は喜んで主の御許(みもと)に帰ることができるように、絶えず神様が備えてくださった一日を生かしていただくこと。明日があるか、来年があるか、それは分からない。しかし神様が、滅びて当然であった私たち、神様の呪いを受けて永遠の滅びに定められていた私たちを赦して、御子イエス・キリストの十字架のいさおしによって、そのあがないによって、その御犠牲のゆえに、私たちを赦して、今日も生きる者としてくださった。肉体の健康を与え、また生活する場所を与え、仕事を与え、いろいろなかかわりある問題や事柄の中に、神様が私たちを置いてくださった。それは自分のために生きるのではなくて、一つ一つ小さなこと、大きなことを通して、主に応えて、神様に仕えていくためです。そこまで自覚がなかったと思っているかもしれませんが、是非これからそのことをしっかり自覚して、今日も主よ、あなたのために生きる者としてくださったと感謝していく。そうすると、どんなことにも失望をすることはないのです。

 

このパウロも同じです。4章11節に「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ」。病気の中であろうと、健康の中に置かれようと、乏しい中にあろうと豊かな中に置かれようと、人生のいろいろな浮き沈み、世間の様々な事柄の中に置かれますが、どんなところに置かれても、私たちは満足していく。足ることを知る。それは、死んで当然であった者、無きに等しいものをあえてえらんで(Ⅰコリント 1:28)、今日も神様がこの中に置いてくださったと、主を前に置いて、神様のわざとして、今日の一日があることを信じますから、足らなくても感謝、余っても感謝、良くても悪くても、どんなことがあっても私たちは「すべてのことについて感謝しなさい」。(Ⅰテサロニケ 5:18)と喜べるのです。足らないことがあっても、神様がそれで「よろしい」と言われるなら、それで満足すべきです。

 

だから、コリント人への第二の手紙に(12:7)、パウロは自分の肉体に一つのとげが与えられたと語っています。肉体のとげは何であったのか分かりませんが、どうしても自分が納得できない、受け入れがたいものがあった。それで「何とかして、神様、これを取り除いてください」と祈ったとあります。ところが、神様の答えは、「わたしの恵みはあなたに対して十分である」と。「お前はそれが足らないとか、これさえなければと思っているが、お前の今のままで十分だよ」と神様はおっしゃる。その時初めて、彼は「そうなんだ。この私が弱いから、私は足らないからと思って、何とか取り除いてほしいと祈ってきたが、足らないからこそ、そこに神様の力が現れてくださるのだ。その上で神様が『お前はそれでよろしい』と言われるのだから、私もこれでよろしいのです。感謝です」と。神様が「よし」と言われて、今ここにあるのです。そうであれば、私たちは何の文句を言うことがあるでしょうか。何をつぶやくことがあるでしょうか。神様は「お前はそれでよろしいんだよ。どうしてお前は『足らない』とか『これが何とかなってほしい、ああなってほしい』とつぶやき、不平不満に思うのか」と。パウロは自分のそのような肉体的な弱さを通して初めて、神様は全能の力あるお方であることを知ります。その神様の手によって私たちはすべての必要を満たされて生きているのです。

 

パウロは「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ」と。「足ることを学ぶ」とは、「神様がすべてのものを私のために備えてくださっています」と言い切る、信じ切るところにあるのです。その時、「すべてのことに足ることを知る」と言えるのです。そうやって自分を振り返ってみると、今まで不平不満であり、欠けだらけで、「もっとああなりたい」「こうなりたい」と言っていた事が無くなります。もうそんなことを言わなくてもいいのですから。どれもこれもありのままの自分を神様が「よし」と言われるなら、何の文句を言うことがあるでしょうか。「神様が『これでいい』と言われるのに、いつまでも『いや、そんなことはありません。私はこれに満足できません』と言い続けるところに、実は大きな罪があるのです。どうぞ、もう一度、神様の前に自分がどういう者として生かされているか、しっかり認めていきたいと思います。

 

パウロは12節「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている」と。素晴らしい恵みだと思います。貧しかろうと富んでいようと、飽くことにも飢えることにも、どのような状況に置かれても、わたしはそれに処する秘けつ、それに対応できる力があるというのですから、立派なものです。そのあと13節「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」と。「わたしを強くして下さるかた」は、神様です。神様はオールマイティー・全能です。その方が私たちを強くすることができるし、どんなことも、いまここに在ること自体が神様のご計画、御心によってここに生かされている。この神様なくして、私たちは有り得ないのです。どんなことでもできる方が、いま私にこのことを与えてくださっていると信じていく。これが秘けつです。「そんな神様が何でもできるのだったら、私の言うとおり、思うとおりに、あれもこれも全部かなえてくれたらよさそうなもの、神様ってケチやね」と言われますが、そうではありません。欠けている、足らないことがあるのは、神様だからなし得ることです。どんなことでもできる方があえてそのことをしないで、むしろ不足を置いているのは、神様の御心だからです。神様はできないのではない。あえて、しないという意思をはっきりと表しているのです。そこまで神様をしっかりと自分の創造者、造り主として握っていく。私たちはそこで神の大能の手のもとに自らを低くしていくこと、これが大切なことです。(1ペテロ 5:6)「そうでした、神様、このことはあなたが『よし』とおっしゃってしておられるのですから、神様、あなたにお委ねします」と言うしかないのです。神様はそこからどんなことでもさせることができます。

 

13節「わたしを強くして下さるかた」、どんな力でも神様は私たちに必要ならば与えてくださる。私どもはできないのではないのです。「私は知恵もないし、年も取ったし、こうだし、ああだし、あれだから、これだから」といろいろな条件を並べ立てて、「不可能です。できません」「ありません」と言って、どんどん自分を小さくしていきますが、そうではなく、「今はそれができないかもしれない。神様はこれを私に必要がないから、させなさらないのであって、主が『よし』と言われるなら、どんなことでもできます」。これが私たちの信仰です。「これを信じるか」と、私たちは絶えず問われる。自分を見ては駄目です。自分の力を見ては駄目です。自分の状況を見ては駄目です。神様は私たちをどんなにでも造り替えることができるし、なし得給う方、力を与えることができるのですから、私は失望しません。パウロはそう言っている。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。

 

ローマに行く途中、船が難船して、三日間にわたって暴風の中に翻ろうされた。船の者たちは死ぬしかないと、思い定めた時、パウロは一緒に乗っている人たちに、「心配することはない。私の信じ仕えている神様は私たちを必ずローマにまで連れて行ってくれるのだから、この嵐で沈んで死んでしまうことは有り得ない」と。「だから元気をだしなさい、食事をしなさい」と、パウロをして神様は力を与えてくださった。

 

ですから、どうぞ、私たちもパウロのごとく「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」と信じましょう。「できないのではない、いま神様が必要がないから、させなさらないのであって、もし必要ならばどんな事でもなし得給うお方です。私にもできないことはありません」と、はっきり神様の前に信仰を持って歩もうではありませんか。

 

ご一緒にお祈りをいたしましょう。


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