いこいのみぎわ

主は我が牧者なり われ乏しきことあらじ

聖書からのメッセージ(466)「主に問い、従う」

2015年02月10日 | 聖書からのメッセージ
 「使徒行伝」27章9節から12節までを朗読。

 11節「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」。

 パウロはユダヤ人の反感や憎しみを買い、エルサレムに来たとき、ついに捕えられたのです。彼を殺そうという陰謀やたくらみもあった、といわれています。パウロはかつてユダヤ人社会にあってクリスチャンを迫害していた人物であったのです。ところが、ダマスコにクリスチャンを迫害しに行く途中でよみがえったイエス様に出会って、彼の人生が180度変わってしまいました。それまではユダヤ教徒として、熱烈な情熱をもってクリスチャンを迫害していたのです。それこそが信仰の証しだと思っていたのです。ところが、そうではない、実はイエス・キリストは神の御子でいらっしゃった。私たちの罪のあがないのために来てくださった、私こそがイエス様に救われなければならない罪人であるということを知ったとき、彼の人生がまったく変わって、それから後イエス様の福音を伝える者となりました。いうならば、ユダヤ人社会にとってそれまで仲間であっただけに余計に憎しみが倍増するわけです。同じ仲間だった彼に裏切られたような思いもあったでしょう。ですからユダヤ人社会ではパウロという人はまことに許し難い人物だったのです。しかも、自分たちが反対しているイエス・キリストの福音を伝えるというのですから、これはもっての外(ほか)であります。そういういろいろな恨み・つらみが重なって、パウロを亡き者にしようというたくらみがなされていたのです。

そういうときエルサレムで彼は訴えられ、捕えられる事態になりました。カイザリヤのローマ軍の駐屯地まで連れて行かれ、総督の下で裁きを受けることになったのです。しかし、彼はそもそもローマ市民でした。当時ユダヤの地方はローマ帝国の属領といいますか、支配下にありました。ローマ市民というのは、ローマの支配下で生まれ育った人たちを指します。ローマ市民だからといってユダヤ人でないのではなく、彼の場合は両親ともにユダヤ人でありましたが、ユダヤの地方を離れて国外に移住をしていたユダヤ人です。ですから、パウロ自身はイエス様と同じユダヤの地方に生活した経験はほとんどありません。むしろタルソス町、今で言うトルコのほうですが、そちらで生まれ育った。そして後に学問を受けるためにエルサレムに来たことがあったと思います。ですから、ユダヤ人が全てローマ市民ではありませんが、パウロはローマ市民としての資格を持っていたのです。他の記事を読みますと、時に市民権をお金で買う習慣も当時はあったようですが、彼の場合は生まれながらにローマ市民としての権利、資格を持っていたのであります。ですから、彼が訴えられてカイザリヤの総督の所で裁きを受けるのは、あくまでも、占領地、属領であるユダヤの人々に対する司法制度、裁判の制度でもあったのです。ところが、彼はローマ市民でありましたから、ローマ皇帝・カイザルによって正式な裁判を受ける権利を有していたのです。それで彼はローマ市民だからカイザリヤでの地方総督による裁判ではなくて、正式な皇帝の裁判を受けたい、と申し出たのです。そうなりますと、地方の総督の手を離れまして、管轄がローマ皇帝に移るわけです。そのためローマで裁判を受けることになり、そこまで犯罪者を連れて行くということになったのです。

そのことが27章1節以下に語られています。1節に「さて、わたしたちが、舟でイタリヤに行くことが決まった時、パウロとそのほか数人の囚人とは、近衛隊の百卒長ユリアスに託された」と。そのとき他にも数人の囚人がやはり直訴するというか、皇帝の裁判を求めてローマに行くことに決まりました。そのときユリアスという百卒長が責任者、護送の責任者になったのです。そして船に乗ってローマを目指すのです。その当時は商船といいますか、貿易船を使いますので各港に寄港しながら積荷を下したり載せたりします。だから真っすぐ行くわけではないのです。地中海の各地の港に寄港しながら進んで行きます。ですから2節に「そしてわたしたちは、アジヤ沿岸の各所に寄港することになっているアドラミテオの舟に乗り込んで、出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した」とあります。このアドラミテオの舟に乗り込んだのです。当時は帆船が主であったと思います。風まかせ波まかせで、少しは櫓をこいだかもしれませんが、そんなに長いことこげませんから、風に吹かれて進むのです。だから、随分と時間の掛る話であります。

7節以下に「幾日ものあいだ、舟の進みがおそくて、わたしたちは、かろうじてクニドの沖合にきたが、風がわたしたちの行く手をはばむので、サルモネの沖、クレテの島かげを航行し、8 その岸に沿って進み、かろうじて『良き港』と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった」と。なかなか思いどおり船は進まない。考えてみると、この時代は、自然の力に身を任せるしかないのです。今でこそ私どもは逆風であろうと何であろうとジェット機で飛んで行ってしまいますが、この時代はそうは行かない。幾日も、しかもこの風が逆風になったり、願った風が吹いて来ないことでなかなか進まない。難儀しておりました。何とかしてクレテの島影に沿って進んで「良き港」と呼ばれる場所まで来たのです。その近くにはラサヤという大きな町があった、と語られています。

9節に「長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になった」とあります。地中海のこの地方にも暴風雨といいますか、台風の季節がありました。日本でも二百十日、9月の頭当たりが台風がよく来るという季節で警戒をしますが、この地方も同じくそういう季節があり、思いがけない時にしばしば暴風が吹く。「ユーラクロン」といわれていますが、サイクロン、いうならば、台風のひとつです。地中海あたりに吹いてくるそういう台風のことを「ユーラクロン」と呼んだわけです。ですから、その季節になると長い船旅は一切しない、その季節が終わるまで待つ、時を待たなければならないのです。ですから、9節に「すでに航海が危険な季節になった」と。それで、ここでしばらくその時を過ごそう、というのが判断であったと思います。そのときパウロは皆に警告して、10節に「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」と。パウロは「わたしの見るところではこの航海、今から船出して行くならば、必ず積んでいる荷物ばかりでなく、自分たちの命にも関わる危険に遭うに違いないから、ここで待つべきだ」というのが彼の意見だったのです。ところが11節に「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」。ユリアスという百卒長が責任者でありますし、船を動かすのは船長であり、また船主であろうと思います。しかし、この度の航海の大切な任務は囚人を護送するということがありますから、やはり百卒長の判断には決定的な力があります。だから、パウロはこの百卒長に進言して、「これは行かないほうが良いに違いない」と言った。ところが百卒長は「パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」。確かに私でも恐らくそうだと思うのです。パウロの意見よりも、船長や船主に聞く。船長は殊に航海に巧みな人でありますから、何もかも分かっているわけです。この間のイタリヤの観光船は船長がいて座礁し転覆するという、とんでもないことになりましたが、恐らく船長は専門家だと思います。ちゃんと航路は分かっているし、風向きや天候のこともよく分かっている。船主は自分の船を持っていて、それを動かしている者ですから、自分にとっていちばん利益のある道を選ぶに違いない。危険を冒(おか)して積荷まで損をしたらえらい大損ですから、そんなことはしない。だから常にいちばん良いことを心掛けている人たち、もっとも利害に密接な人たちが船長であり、船主であります。しかもベテランであり、その道の達人であります。「そういう人の意見を聞かないでどうする? 」というのが、世間一般の物事の判断であります。恐らく皆さんでもそうだと思います。何か経済的な問題が起こると、「ちょっと銀行に行って相談しようか」と、その道の専門家ですから。また何か人とトラぶって民事的な財産分けだとかややこしい問題になったら、「ちょっと弁護士に相談しようか」と、それは弁護士のほうが分かるに違いない。隣の隠居のおじさんに聞いたって仕方がない。そうなります。だから、このときの百卒長は、世間から言うならばいちばん良い、ベストな相談役を得たと言えます。

ところが、12節に「なお、この港は冬を過ごすのに適しないので、大多数の者は、ここから出て、できればなんとかして、南西と北西とに面しているクレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した」と。他の仲間たちは何と言ったかというと、「この港は冬を過ごすのに適しない」、名前は「良き港」で良かろうと思うのですが、そこはどうも望ましくない。殊に船乗りにとっては、休んでいる間に楽しみがないというか、近くにラサヤの町があるというけれども、恐らくそこまで毎日遊びに行くわけにもいかない。もっと良い所があるというわけです。「できればなんとかして、南西と北西とに面しているクレテのピニクス港に行こう」というのです。その港がどんな港であるのか、私どもは定かではありませんけれども、恐らくその当時の船乗りにとっては「ああ、あそこが良いぞ」と、「あの港に行けばあれが食べられる。食べる物も遊ぶ所も何もかもそろっている」というような話かもしれません。「そこでこの季節をやりすごして冬を過ごしたい」と主張したというのです。

13節に「時に、南風が静かに吹いてきたので、彼らは、この時とばかりにいかりを上げて、クレテの岸に沿って航行した」。危険な季節の真っただ中というわけではなくて、「今から危険になるぞ」という入口の所ですから、「もうちょっと先まで行けるんじゃないか」と、そういう判断があります。また船長や船主だって、皆が「あそこの港が良い」と言えば、「あそこまでぐらいやっておこう」と、船主にしてみれば早く荷物、届ける物は届けないと、もらうものがもらえませんから、彼らも急ぐに違いない。そこへもってきて、ちょうどうまい具合に都合のよい風が吹いて来た。「これは行けるぞ」というわけです。それで早速、いかりを上げて進んで行きました。ところが14節以下に、「すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。 15 そのために、舟が流されて風に逆らうことができないので、わたしたちは吹き流されるままに任せた」。とんでもない事態になった。出ては行ったものの間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風に出会うわけです。そして彼らはその後、とんでもない災難に遭います。暴風に悩まされて、積荷を捨てる、船具も捨てるという、そして食べることもできなくなる。命の望みが断たれてしまうという、死を覚悟しなければならない事態になります。20節に「幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった」と。実に絶望的です。本当にとんでもない事態になってしまったのです。そこで意気消沈して、力を失くして、食事もできない。21節に「みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいた」。ところが、そこに一人だけ元気な人がいるのです。パウロであります。彼は21節の中ほどに「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった」。確かにそのとおり、パウロは「これは危険だから、積荷や船を捨てるばかりでなく、命にまで及ぶ危険があるよ」と言ったのです。ところが、彼らはそんなことはお構いなし、それを聞かないで船出をしました。だから、面目無いわけであります。でもパウロは他の人は皆「死にそうだ」と言って沈み込んでいるとき、ただ一人元気がある。なぜ元気がある? 22節にありますように「だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう」。「船は失われるかしれないけれども、死ぬ人はいない。だから、元気を出せ」と。どうしてそんなことを彼が言えるのか? パウロはどうしてそこまで確信を持って言えるか。それが23節以下に、「昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、24 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』」。実はわたしが仕え拝んでいる神様が「このわたしを必ずカイザルの所へ、ローマに連れて行く。そこでちゃんと裁きを受けなければならない、と決めておられる」。そればかりでなく、一緒に行くあなたたちも同じ様に決して死ぬことはない。その命を神様が守ってくださる。パウロが死なないかぎり、彼らも死なないのだ、ということです。彼はそこまではっきりと神様の御心を知っている、握っているのです。これは決してパウロの思いや考えや経験に基づいての言葉ではなくて、パウロの背後に神様がいらっしゃるのです。百卒長は船長や船主のほうを信頼した、とありますように、見えるもの、あるいは自分の過去の経験、自分で理解できる知識やその範囲で事を決めようとしました。そのことで言うならば、パウロを見ると、これは完全な素人(しろうと)であります。航海のことも海のことも何も分からない。彼は天幕作りであったと語られていますから、天幕を作るのは上手かしれませんが、船を操って長い航海をするのが得意なはずがない。「そんな者の意見を聞いてどうなる? 」と。確かにそれは言えます。ところがもう一つ大切なことが抜けているのです。それはパウロには、その背後に神様が付いていらっしゃる。パウロは常に神様からの御旨を、御心を語っている人物です。いうならば、パウロが語っていることは、その背後に神様の御思いがある。ここなのです。

だから、11節「しかし百卒長は、パウロの意見よりも」というのは、いうならば、パウロの意見を退けることは、取りも直さず神様の御思いを拒むことに他なりません。パウロが神様の代理人というわけでは決してありません。パウロが言っていることを通して、神様のほうに思いを向ける。神様の御心を求めることです。これが何よりも大切な事柄です。ですから、彼はどんな時にも「わたしが仕え、また拝んでいる神」と言えるのです。いつも神様とパウロは絶えず共にいる。いつも交わりの中に彼はいたのであります。だから24節に「『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。確かに神はあなたと同船の者をあなたに賜っている』。だから、皆さん、元気を出しなさい」と。パウロだって人の子でありますから、大嵐の中で「俺はへっちゃらだ」とは言えません。彼だって恐らく不安があり、恐れがあり、心配があったでしょう。あるいは「これは駄目か」と思うこともあったでしょうが、しかし、彼は常に仕え、拝んでいる神様を握っていたのです。だから「皆さん、元気を出しなさい」と言えるのです。決して彼の空威張りでも、空元気でも、あるいははったりといいますか、ただ恰好を付けて言っているわけでもない。彼にははっきりと、神様はこのことを通して決して命まで取る御方ではない。このことで死ぬことはないと、確信が与えられていたのです。だから「さあ、元気を出しなさい」と言えるのです。

私たちも実はパウロと同じように、周囲の人が思い悩み、沈み込んで立つ元気もない、生きる望みを失ったその中にあっても「大丈夫」と励ますことができるのは、私たちの与えられた大切な特権といいますか、役割でもあります。このときのパウロはまさに神様が船に乗っている他の多くの人たちのために備えられたのだと思います。それは私たちも、皆さんがそれぞれの所でやはり「私の仕える、また日々拝んでいる神は私を助けてくださる。また、あなたがたもそうですよ」と、言い得るのは、私たちの使命であります。ですから、パウロの意見といっても、それはパウロという名前が付きますが、パウロではないのです。その背後にいらっしゃる神様に問う、神様の御思いを知ることです。

ですから、11節に「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」と。その結果、悲惨なことに終わるのです。これは今も同じことであります。私どもが何に聞こうとするのか、誰に聞こうとしているのか? 私たちはそこを常に問わなければならない。

アサ王様が神様に信頼して勝利を得て、国を平定して、安定した国造りをいたしまして、34年にわたって戦争がなかったというのです。ところがイスラエルが攻めてくることになって、アサ王様はスリヤという大国に援軍を頼みました。そのために、神様はアサ王様に「あなたは何ということをしたのだ」と言われました。そのときアサ王様は傲慢になって、忠告をしてくれた神の人をろう屋に入れてしまう。「自分の気に食わんことを言う」というわけです。それでとうとう彼は病気になります。そのときにアサ王様は病気になって、「主を求めないで医者を求めた」とあります(歴代志下16:12)。神様に信頼しないで、医者を神にしてしまった。そして、そのためにアサ王様はとうとう死んでしまう。

このときの百卒長もしかりであります。パウロの意見よりも、言い換えると、神様の御思いよりも船長や船主の、いわゆる専門家といわれる、目に見えるものに心を向ける。そのものに私たちが信頼しようとする。これは大きな失敗であります。いま見えるところがどうであれ、事がどうであれ、まず神様の御思いを知る。御心に従う。これが私たちの幸いな恵みにあずかる道であります。

「サムエル記上」23章1節から5節までを朗読。

これはダビデがサウル王様に命を狙われて逃げているときであります。彼らが逃げている所にケイラという村がペリシテ人に攻められて、その穀物を奪われようとしている。これは大変なことです。穀物、お米でも麦でもそうでしょうけれども、収穫物というのは年に一度です。それを全部取られてしまったら、次の年に収穫するまで食べる物がないのです。これは命に関わる重大事件です。そのときにダビデたちに「何とか助けてください」と助けを求めて来た。そのときに2節に「そこでダビデは主に問うて言った」と。このときダビデは神様に祈るのです。問うのです。「わたしが行って、このペリシテびとを撃ちましょうか」。「そんなことを神様に聞かんでも分かっとるやないか。困っている人があったら助けてあげんな」と思いがちです。人間的に、道徳的に考えて「これが正しい」とか、「これが世間一般、皆がこれは喜ぶ」とか、「これは『よし』と言われるからする」というのでは駄目です。主が何とおっしゃるか、主に問うこと、これが私たちの大切な事柄であります。なぜならばそれが私たちの命だからです。だから、ダビデは主に問うたのです。「わたしが行って、このペリシテびとを撃ちましょうか」。それに対して神様が「行ってペリシテびとを撃ち、ケイラを救いなさい」とおっしゃった。ところが3節に「しかしダビデの従者たちは彼に言った、『われわれは、ユダのここにおってさえ、恐れているのに、ましてケイラへ行って、ペリシテびとの軍に当ることができましょうか』」。これまた理の当然の話です。ダビデとその仲間の者たちは、いま追われている身であります。そんな人助けどころではない。我が身が大切です。我が身こそ何とかしなければいけないという事態の中で、そんな人を助けることなんかできようかと。しかもその「従者たち」と、仲間の者です。ダビデに仕えている連中が「それはやめたほうがいいよ」と言うわけです。命懸けでダビデと行動を共にしている仲間がそんなにまで言ってくれるのに、どうですか? 皆さん、「そうか。あんたがそう言ってくれるのならそうやね」と、つい情にほだされる。「そんなにまで私のことを思ってくれるなら、やはり行かないほうがいいに違いない」と。ところが、ダビデは彼らの言うことも分かるのだけれども、しかし、誰に従うべきか、誰の言葉を……。このとき4節に「ダビデが重ねて主に問うた」。ところがダビデはもう一度、部下の者たちが言ってくれるそのことを受けて、だからといってすぐに仲間の言うとおりにしたわけでもなければ、かたくなにそれを拒んだわけでもない。彼らの意見を取りあえず受け入れ、聞いて、そしてもう一度、神様の御心を求める。彼は恐らくそこで共の者たちの言葉を聞いて「さっきは、これは神様の御心だと信じたのだけれども果たしてそれで良かったのだろうか。もう一度……」と、彼は重ねて聞くのです。ここまで徹底して神様の御思いを知る、御心を求める。これが私たちに大切だと思います。

このとき4節に「ダビデが重ねて主に問うたところ、主は彼に答えて言われた、『立って、ケイラへ下りなさい。わたしはペリシテびとをあなたの手に渡します』」。神様の御旨を確信したダビデは出掛けて行く。そして5節以下にありますように、ペリシテ人と戦ってケイラの人々を救うのです。これは私たちが絶えず直面する事態・事柄であります。家族の娘や息子が「お母さん、そんなにしてまで教会に行かんでもいい。今日ぐらいは休んだらどう、寒いのだし」なんて言われて、「ああ、そうか。私のことを心配して……、この子は親思いやな、じゃ、そうするか」と。神様はどこへ行ったの?どんなことでもそうです。私たちはそこで誰に聞こうとしているのか? これが問題です。そこで失敗した一人の人がいます。

「歴代志上」10章13,14節を朗読。

これは初代のイスラエル王となったサウル王様の最後であります。彼は神様の言葉を退けたがために、イスラエルの王としての資格を剥奪(はくだつ)されてしまいました。だからといって翌日から位を追われたわけではありませんが、それから後の彼の人生はまさに悲惨でありました。気が狂うといいますか、そういう狂気の中で生きて行きます。そしてとうとうここにありますように、「主の言葉を守らず」と、神様から心が離れてしまうのです。そして「口寄せに問うことをする」。「口寄せ」とは占い師であります。日本で言う巫女(みこ)といいますか、イタコといいますか、そういう霊を呼び出す霊能者に自分の判断を委ねる。とんでもない話であります。しかし、サウル王様は神様から呪われた者となったためにとうとうそういう所まで落ちてしまう。14節に「主に問うことをしなかった」。このひと言は重い言葉です。「それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた」。サウル王様はそのために神様が殺したと。彼はペリシテ人との戦いの中で戦死したわけでありますが、しかし、実はその背後に神様の決定的な力が働いていたのです。そこで彼の命を取るという、神様の厳粛なわざが進められたのです。

私たちもそうであります。今も神様は私たちをそのように取り扱われる御方です。「え!そんな怖い……」と言われますが、まさに神様は怖い御方です。しかし、神様が今はそのご愛のゆえに忍耐して、私たちの全ての者が悔い改めるべきことを求めてくださる。「今は恵みの時、救の日です」(Ⅱコリント 6:2)。私たちはいろいろなことの中に置かれます。そこで誰に聞こうとしているのか? 誰に従おうとしている自分であるか? 人の言葉、あるいは専門家、あるいは経験者、ベテラン。世の中にそういう有力者、実力者という人たちがたくさんいます。つい私どもはそういう問題にあたったとき、「早く何とか事を解決したい」「事を進めたい」と、目の前の事態に心が奪われてしまいます。パウロよりも船長、船主のほうを聞いた百卒長になって行くのです。

 「使徒行伝」27章11節に「しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」。この百卒長という所に自分の名前を入れて「しかし、榎本はパウロの意見よりも……」と、大変なことになります。「奥さんのほうを信頼した」なんて、大変なことです。パウロというのは、その人物ではなくて、そのパウロを生かして持ち運んで、立てておってくださる神様、それは私たちの神であり、その御方に絶えず問う者となる。そのお言葉に従う。これが私たちの命に生きる道です。

だから、「ルカによる福音書」5章にありますように、「イエス様がガリラヤ湖畔でペテロの船に乗って集まった会衆にお話になって、その終わった後『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』と言われた」。ペテロに取ってみたらイエス様の言葉なんて全くの素人です。ガリラヤ湖の漁に付いてはペテロのほうが先祖代々そこで生活してきたのですからベテラン中のベテランです。自分たちが前の晩一晩中漁をして取れなかった。「もう終わった。今更行って何する? 」まさにそこです。そのときに「イエス様、あなたが言ったって、あなたは大工の息子じゃないか。大工だから家造りのことは分かるだろうけれども……」と言い出したらそれでおしまい。ところがペテロはそこで「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」と従った。彼はイエス様、神様の言葉に従ったのです。そのときに驚くべき大きな不思議な神様のわざに出会う。私たちもそうです。今も神様は私たちに「わたしに聞きなさい」とおっしゃってくださる。このパウロのように神様に問うことによって、そこに従うことによって、私たちは想像を越えた、思いを越えた、経験を越えた驚くべき神様のわざを体験するのです。

どんなことの中でも常に「いま私は主の御声を聞こう」と、主に問うこと。ダビデのように、しっかりと主の御心を信じて踏み出そうではありませんか。あの人が言ってくれたから、この人が言ってくれたから、あの人が勧めてくれたから、ではなくて、いま主が私にこのことを教えてくださった。「このことをするように主がいま求めておられることです」と、はっきり神様のお導きを確信して主の御声に従う。これが命につながる道です。

 どうぞ、私たちはどんなときにもこの百卒長の失敗に倣(なら)わないでダビデのように主の御心に従って行きたいと思います。

 ご一緒にお祈りをいたしましょう。


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