「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

「津之郷本谷の探訪」

2012-01-27 16:27:23 | 報告

現在、ある資料の作成中のため、同僚のN.Fさんから
誘いを受けて、津之郷本谷に伝わる、伝足利義昭居館跡を
訪ねる機会を得ました。


案内は、福山市文化財協会の村上範慥副会長にお願いし、
案内をして頂きました。


先ず、「伝足利義昭居館跡」と伝えられている「惣堂神社」へ
伺い、惣堂神社を巡ってみました。
本殿には、古色を残した「蛙股」があり、以前あった「鳥居」には
「寛延二年己巳」と読める文字が確認出来ました。
また、居館跡と伝わる台地状となった平坦地には、はるか遠くまで
見渡す事が出来、強ち伝説のみとは、言い切れない風情を醸し出して
いました。
また、「惣堂神社」に至る畑の石垣にも、見るべきものがあり、畑の
中からは、「土師器」や「須恵器」の破片が点々と転がっていました。
中世より以前の「遺跡包含地」とも言う事が出来ます。


続いて、「田辺寺」を訪ね「和光廃寺」の塔の礎石を見学しました。
奈良時代の塔が存在する程、古代には栄えた場所と推定出来ます。
遺物の殆んどは、「福山城博物館」に保存され、見られた方も多い
と思います。


津之郷小学校には、中国の貨幣である「貨泉」が出土したと伝える
場所があり、それも見学して来ました。


「津之郷」の地名のとおり、様々な遺跡・遺物が残り、その背景を
考えるだけでも、胸がワクワクする程の高まりを感じる楽しい
探訪でした。
半日だけの探訪でしたが、ジックリと訪ねる意味がありそうです。
村上副会長大変ありがとう御座いました。
(文責 : 鳳来)


           (惣堂神社の遠景)


    (惣堂神社へ続く畑の石垣)



         (惣堂神社がある平坦地)


          (廃和光寺塔心礎)


           (田辺寺境内にある廃和光寺の塔心礎)


             (貨泉出土地案内板)


         (惣堂神社境内にある、「丸に二引」の紋様石)


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3 コメント

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史跡めぐり (飛天)
2012-02-08 10:22:44
私も先月末、写真撮影を兼ね、水呑を一人で散策しました。
一番嬉しかったのは、水呑の旧道(古道)を知ったことで、この道を昔の人は歩いて鞆~草戸千軒町、長和村まで行き来したのかと思うと感無量でした。私も、鞆から草戸千軒まで歩きたいと思いました。(爆)思っていた以上に高い位置にあり、当時の海岸線はどのあたりまできていたのだろう・・・??と思いました。
実地を歩いてみて回る歴史の面白さを、全身で感じることが出来、家に帰っても心が躍っていました!
現代人が忘れているもの (流水)
2012-02-08 15:55:39
飛天 さん
現代人が忘れているものに、
「歩くスピードでものを見る」ことがあります。
ともすると、交通機関や車での移動では、
見落とすばかりです。
「歩くスピード」で見る景色は、考えるスピードであり、また格別です。
現代人が忘れかけているものの一つです。
と考えています。
感動いたしました (飛天)
2012-02-08 18:15:11
なるほど。
さすが!!ですね。
いいことに気づかせて頂きました。
感動いたしました。

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