(画像はネットより拝借)
僕は戦後10年ほど経ってから生まれたのですが、これまでに2度、藁葺き屋根の家の、屋根の修理のお手伝いをしたことがあります。一度目は小学生の頃、二度目は高校生くらいの頃です。
一度目は僕の実家で、真ん中に囲炉裏がある、とんがった藁葺き屋根の昔ながらの田舎家でした。
藁の古くなった部分を新しい藁と取り替えるのですが、屋根の内側と表側を藁縄を結んだ竹槍を抜き差ししながら、まるでミシンの針のように編んでいくのです。
屋根の表側にいる人の近くで、内側から竹槍がブスッと突き出てくるので、あぶないあぶない・・・・。
二度目は母方の実家で、ここは藁の代わりに近くの野で大量に採れる「萱」を使っていました。藁葺き屋根と方法は同じなので、実家での経験が大変役に立ちました。
実家での経験は小学生の頃だったのですが、屋根の内側の薄暗い中の木の骨組み、それよりやや細い竹の骨組み、それに巻き付く藁縄や、表側での小竹での締め付け、よく切れる「鎌」で「面」を整え、さらに少し叩いて「面」を調整していく・・・、など大変細かく鮮明に覚えています。
二度目の時は、もうすでに周りに藁葺き屋根の家はほとんど無く、恐らく最後の経験になると思っていました。で、僕もすでに五十代半ばですので、多分この先も二度と無いでしょう。
と言うか、日本には「建築基準法」なるやっかいなものがあって、ほとんどの住宅地では屋根は「不燃材」で葺かなければなりません。
建築の設計を生業とする今、法律は守らなければなりませんが、不燃材による建築主の「財産の保護」と、学問的景観的伝統的「日本の文化」との狭間で、僕の心は激しくも切なく揺れ動くのであった・・・・・。
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まさき設計