福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教の大意(鈴木大拙、昭和天皇御進講より)・・その20

2017-10-20 | 法話

華厳の世界観を四通りに分ける。事法界(眼に見える具体的世界)、理法界(真理の世界)、理事無礙法界(真理と現実が入り組んでいる)、事事無礙法界(現実が相互に入り組んでいる)の四つである。法界が四つあるといふのではない。四通りに見られるといふのである。法界といふのは梵語のダルマローカで、ダルマは法,ローカは世界である。・・法界は法――霊性的直覚――の生ずる場所と考へておいてよいとおもふ。法界の真相は事事無礙法界(全ての現実と現実が相互に関連し入り混じりあっていること)を会するとき始めて認覚せられる。・・・
華厳の事事無礙法界をうごかしている力は大悲心にほかならぬのです。この大悲心の故で人間の個我はその限界を打破して他の多くの個我と徧容摂入することができるのです。悲心は光り輝く天体のやうです。それから出てくる光明はすべて外の形体を照らしてそれを包みます。さうしてそれと一体になります。それ故、それらのものが傷めば自分もまた傷むやうになるのです。これは自然に爾かるのです。・・法界の動力は大悲心の外にはないのです。

金獅子の喩(純金でできた獅子はどこをとっても純金であるように一部が全体をあらわすこと)、や鏡面の喩(四方八方鏡の部屋で仏像を置くと全ての鏡に映り重々無尽を表わすこと)だけでは空間的・静態的にしか華厳の法界を観ずることができないと思ひます。が、ここへ大悲心を注入すると、帝網重重の天珠(華厳経では無数の網の目にそれぞれ珠があり相互に無限に写しあっている世界を説く)は不可思議の光景を現出するのです。
大智が大悲で、大悲が大智であるといふことは、神においては観智が即ち創造で,創造が即ち観智だとの意味に外ならぬのです。換言すると、空間が時間で、時間が空間だといふことになる。さうしてこれが二元的に合致するといふことではなくて、華厳的に円環的に非一非異(同じでもなく、異なっているのでもない)であるといふのです。これが霊性的直観の本質です。

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