福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q,現世利益よりも後生大事を祈るべきではないか?

2017-09-18 | Q&A

Q,現世利益よりも後生大事を祈るべきではないか?
A, 現世利益も後生大事も自分の為に祈るのは功徳が少ない。一切衆生の救済のために祈れば無尽の功徳がある。

夢中問答集(無窓疎石)より・・・11
問、今生の名利を祈ることこそ愚なれ、後生の果報を祈らむはかしこしといはむや
答、人の今生と思へるは前世に後生とおもひし世なり。いままた後生と思へるは後生の今世なるべし。しからばすなわち前世の祈りとてせしことは今生の名利となりにけり。いままた今生の祈りとてすることも後生の名利となるべし。今生の名利ををば打ち捨てて当来の無上道を成ぜんことを祈れかしとすすむるなり。今生の名利をば打ち捨てて当来の名利を祈る人は・・来世の果報を祈る意の愚痴なることはまた同じ。たとひ無上道を祈るとももし一身の出離のためならばこれもまた愚痴なり。
大論(大智度論)にいわく「菩薩は一身一衆生のために善根をなさずと云々」されば一切衆生の為に諸々の善根を修して無上道を求むるを菩薩とは申すなり。普賢菩薩十大願を発したまへり。その初めに「敬礼諸仏」の願あり。その文にいはく「願わくはわが身を無量無辺に分かちて無量無辺の如来の前ごとに影現して礼拝し奉ること、尽未来際、念々相続して間断なかるべし」。また「広修供養」の願あり、その文にいはく「願はくは無辺の妙具を出生して無辺の佛のまえに身を現じて無辺の佛を供養し奉ること尽未来際間断なかるべし。余願も皆この趣なり。第九は「恒順衆生」の願なり。その文にはく「願はくは、我が身を無量無辺に分かちて一切衆生に隨縁して給使すること佛を敬ふに異ならず、尽未来際間断なかるべし。第十は「普皆廻向」の願なり。その文にいはく「まえに修するところの敬礼供養等の功徳を普く一切衆生に廻向して菩提を成功ぜしむべしと云々」。かやうの心を発するを無上道を祈る人とは申すなり。
・・愚人はたまたま佛を礼すれども、その心はただわが信ずる一佛のみにあり。供養を述ぶることも亦、この心なり。たまたま父母の追善・檀那の祈祷とてなすことも、その志ひとえにこれ我が身にむけて恩ある人のためなり。法界衆生に及ぼすこともなし。この故に所得の功徳広大ならず。ときにあたり縁に随って一佛を礼し、一人のために善をなせどもその廻向心広大なれば受くる処の功徳も亦、広大なるべし。経に云はく、衆生の六道に輪廻すること、車輪の如し、或は父母となり、男女となり、生々世々に互ひに恩ありと云々」

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