福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国88ヶ所お遍路の旅その十八・結願~第88番札所 医王山 遍照光院 大窪寺~

2017-04-19 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
四国88ヶ所お遍路の旅その18

御大師様が開いた四国のお寺は、徳島「発心の道場」第一番霊山寺から始まり、高知「修行の道場」愛媛「菩提の道場」を経て、香川「涅槃の道場まで」88カ寺。
巡礼一行を乗せたバスはいよいよ結願の寺、第88番大窪寺へ走る。高松道志度I.Cから県道141号線、県道3号線を経由し、多和の交差点を左折して国道377号線を道なりに。想えばバスのお遍路旅とはいえ、遠い道のりであった。2年に渡って4回に分けて巡拝したが、お天気に恵まれ、よき巡礼仲間に支えられ、ここまでこられたのも、お大師様のお陰と感謝。

第88番札所 医王山 遍照光院 大窪寺 
宗 派: 真言宗
本 尊: 薬師如来
開 基: 行基
創 建: 養老元年(717)
 
大窪寺は、徳島県の県境に近い矢筈山(標高782m)の東側中腹に位置。縁起によると、養老元年に行基がこの地を訪れ、霊夢を感得し草庵を建て修行。弘仁7年に、唐から帰国した弘法大師が、奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。薬師如来坐像を本尊に。また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めた。

早くから女性の入山を許したため、「女人高野」といわれ、広大な境内に、多くの堂宇を配し、隆盛を極めたが、度重なる兵火により寺運が衰退。寛永から元禄年間にかけて松平氏により再興。しかし明治33年に再び焼失。現在の、堂宇はその後に再建されたもの。本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院がある。(霊場公式ホームページより)

  
  
 駐車場でバスを降り、2,3分歩くと、左の石柱に「四国霊場結願所」、右の石柱に「醫王山大窪寺」と書かれた門があり、すぐに四国霊場最大級の仁王門に。更に、石段を登りしばらく道なりに行く。少し開けた場所に出ると、正面に岩肌の見える胎蔵ヶ峰を背に 緑の木々に抱かれて建つ本堂が見える。 本堂後方には多宝塔(奥殿)があり、本尊薬師如来(薬壺の代わりに法螺貝を持つ珍しいお姿)が安置されている。本堂を背にした正面の階段下には旧・山門がある。

  

本堂内陣で納経。 ここまで無事に参拝出来たという充実感、安堵感を感じながら、感謝の念を込めて唱える。一緒に巡礼した仲間との唱和は、若葉の揺らぎとともに、明るい空に響いていく。少し離れた大師堂への参道に、藤棚があり、薄紫の花が満開に咲き、陽に輝いている。近くには、高さ3メートル以上の大師像が建ち、このお寺で迎えて結願を一緒に喜んで下さっているように見える。大師像の前で手を合わせ、無事にここまでこられたことに感謝。大師堂で納経。

  

門前のお店で、お接待のお茶を頂きながら、「結願証」を感慨深く眺めた。 お世話になった先達さん、バスの運転手さん、添乗員さん、そして巡礼仲間達に心より感謝。ここまで導き、助けて下さった御大師様に感謝。後日、「高野山奥の院」を訪れて、御大師様に結願の報告「お礼参り」に行き、四国八十八か所お遍路の旅が満願となった。       K&K
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